サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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アイデン&ティティは住みにくい街を捨て 辛く長い道を今日も歩むのさ 2012-03-18

ある朝、目が覚めると誰かのタレ込みで
アイデン&ティティは引き裂かれたのさ
それを何処で手に入れた 誰から買った 
問い詰められてとてもロックを知った時とは言えず
アイデン&ティティを捨てるならば
二人一緒にしてやるよと役人に言われた
(アイデン&ティティ / みうらじゅん)

何度観ても「うおおおおおお」と感動してしまう映画。
麻生久美子がすごくよい。
峯田もドはまりしてた気がする。
ああしなきゃこうしなきゃうわああああああ!ってなる人はすごくハマると思う。この人。
色即じぇねれいしょんで、それからもう少しおとなになった感じの役をやっていたけど、
あれを観た時に初めて「峯田俳優になればいいのに」って思ったんだったなあ。と思い出す。
アイデン&ティティの峯田はすごくよかったんだけれど、そのままの彼でも十分な気がしたから。
クライマックスでぼろっぼろに泣いた記憶があります。
色即じぇねれいしょんの方は、自分が仏教校出身なだけに、冒頭の三帰依で笑ってしまうのですが。
ごきげんよう、たいこです。
ジュンク堂に行ってきました。
新宿のジュンク堂が今月いっぱいで閉店なのです。
で、行ってきました。
新宿に行ったらついつい紀伊国屋に行ってしまうので、ジュンク堂ってあんまり馴染みがなかったんだけど、、、
いい本屋さんだなぁ。ものすごく落ち着く。
文庫の棚に長いこと居座り、同行者が苦笑いするほどの本を手に持ち……。
って言っても5冊程度なんです。積ん読が増えてきてしまったので抑えめに抑えめに。。。
本屋はなくなっても本はなくならないのだ。
その後石屋さんでパワーストーンなどを物色しつつ、冷やかしつつ。
ミニコーナーで売っていたお香が私の大好きな香彩堂製だったので、ついつい買ってしまう。
っていうか香彩堂、いつのまに練り香水なんて売ってるんだ。。。
大きな石屋さんに行きたくなりました。
今日は子供がお泊りに行っているので、夜お酒を飲んだりもして。
夜遊びはやっぱり楽しい。
昼遊びも楽しいけど、やっぱり夜遊びのが楽しい。
なんてことを思いながら帰ってきました。
気づけば3時間以上プラプラと歩き回っていたわけで、脚が痛いです。
明日絶対に筋肉痛になってる。
プラプラと歩いているだけで筋肉痛になってしまう自分の体が憎い。
非常にお疲れのところ、こんなプラプラに付き合ってくれたお友達に感謝感謝。
そんなわけで、結構な感じの読書漬け。
読書もしつつ、SLで物作って遊んだりしつつ。
桜桜!春春!っていうハイテンションで突っ切った感じのあるスカートと着物。
まだまだ春の浮かれモードは続くんだ。
本物の桜を見るまでこの浮かれモードは続くように思います。
私はソメイヨシノが好きです。
あの、はかったように同時に咲いては散る感じが好きです。
ソメイヨシノのピンク色を見ると、パァっとした気分になるのです。
意味もなく、理由もなく、ただただあの花が一面に咲いているのを見るだけで。
残念なことに、写真であの桜を観てもそういう感情は起こらない。
生で見ないとあの感じは沸き上がってこない。
画面の中でならなんだってできてしまうSLだけれど、生のよさってのは絶対にある気がします。
だからきっと、人はライブに行きたがるし、映画ができてもテレビができてもお芝居はなくならないのだ。
だからといってSLの桜がだめなわけじゃない。
そりゃもう2月から桜満開の我がSIMです。
とっとと春きやがれ!の思いも込めて、長い長い、本来なら有り得ない期間満開の桜を楽しむのです。
ソメイヨシノは自分でわが子を増やせない植物なのですよね。
挿し木や接ぎ木で増やすしかない。
そうやって増やされた桜は、いわば親のクローン。
江戸時代に生まれたソメイヨシノの幾本かの木が、これだけの時代を経て
「サクラといえばソメイヨシノ」っていうくらいまでメジャーになったのはすごいことだと思う。
私が感動する一斉に咲いて散るあの感じは、人が手を加えて作った花だからこその効果なんだよね。
クローンだから同じように咲いて散る。
ソメイヨシノは、人のためだけにある木ってことになる。
時代小説を読んでいると、よく出てくるのが変わり朝顔。
朝顔の色々な品種をかけ合わせて育てて、
ものすごく変わった花を咲かせる朝顔をつくって品評会する、みたいなの。
なんて贅沢な遊びなんだ!とちょっと感動したんです。
朝顔って一夏でかれてしまう。
しかも品評会で競う朝顔ってほとんどが突然変異なのだから、
その種を育ててまた同じ花が咲くとは限らないわけで。
さらに朝顔ってのは朝にしか咲かない花なわけです。
ぜいたくー。
見逃した映画はまたロードショウにかかるかもしれないし、DVDでも再販される。
見逃したテレビドラマだってそのうちDVDになる。
音楽は大抵CDに焼かれたものやデジタルデータを買って、繰り返し聞く。
いくらでも取り返しがきくことはとても便利なのだけれど、
そのぶん風情みたいなものが薄れてしまうのかもしれません。
ちなみに、お芝居をDVDに収録したものは、生のお芝居とは別物になります。
おそらく舞台中継だけ観ても良さが伝わらない作品って沢山あると思う。
ライブも同じ。
いくらライブ中継を観ていても、それはライブそのものではないのだ。
不便な時代の不便だからこその贅沢は、不便な時代の人には理解出来ないかもしれない。
それが当たり前だから。
だから、こういう事や物を「ぜいたくだー」と思える現代の私達のほうが、間違いなく贅沢なんだよなあ。


さて、日付も変わって今日は18日。
明日は私の36回目の誕生日。
そう、これがあるからなおさら私の春のわくわくは強くて特別なものになるのです。
ちなみに今日は母の誕生日。
私の誕生日から10日過ぎると妹の誕生日です。
見事に3月に偏った私達家族の誕生日。
だから、私は3月が好きなのだ。
明日はケーキを買って、母のところに行ってこようと思います。
お誕生日は、としをとる日ではなく、生まれてきてありがとうの記念日。
死ぬまでお祝いしたいなと思うのです。
死んだら誕生日って命日の影に隠れてしまうのだもの。
お誕生日がなければ、命日だってないのにね。

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