「オレはもう一度、この腕で抱き締めるために
地獄から蘇ったぜ 何か文句があるかよ?」
「全然ないわ、あたしあなたに抱かれるために
生まれて来たんだから もうどうってことないわ」
死者と生ける者が 今、恋の下にひとつ
ラーララ ララ ラブ・ゾンビ ラブ・ゾンビ
ラーララ ララ ラブ・ゾンビ ラブ・ゾンビ
(トゥルー・ロマンス/筋肉少女帯)
有無を言わさない感じが素敵な1曲。
「なんか文句があるかよ?」って可愛い!!!
死が二人を分かつまで、という誓いの言葉なんて知るか!みたいな無茶っぷりが可愛らしいです。
恋人に逢いたい一心で蘇ってきちゃったゾンビの彼氏を大喜びで迎える彼女の感じもかわいい。
ファンタジーだ。
実際こういうことを切実に望んだ、取り残されちゃった人って沢山いると思う。
現実は、死がふたりを引き裂いてしまったら、それを乗り越えて再び会うことはできない。
それはもう、圧倒的な別離です。
そういうものをいくつか経験してこの曲を聴くと、なんだか切実に来るものがあります。
小野不由美の「屍鬼」という小説があります。
国産ゾンビ小説です。
この小説の中でも、愛するものがゾンビになって帰ってくるのですが、
こちらはなんとも苦い帰り方をするのですね。
同じゾンビでも全然違う。
でも、ゾンビだってなんだって逢いたいと思う心はきっとどちらにもあって、
トゥルー・ロマンスはその願望だけのもの。
屍鬼はもう少しなんだ、地に足つけて描いているもの。
比べることがナンセンスなんですがw
屍鬼は、ゾンビと吸血鬼という非常にメジャーなばけものを使って、
人の理をひっくり返して見てみちゃうみたいな小説です。
文庫だと5冊。長い。そして暗い。なんせ日本のホラーだから。
しかし正しくホラーで非常によい小説です。
小野不由美の黒祠の島もいい小説です。一昨年のホラナイの風車が沢山の風景は、
黒祠の島の冒頭の描写にいんすぱいあされています。
そして、私は黒祠の島とオーデュボンの祈りが途中でごっちゃになっていました。
オーデュボンに出てくる桜と、黒祠の島に出てくる鬼子がどっちも強烈なインパクト持ってたのが原因か!
と、こないだオーデュボンを読み返して納得しました。
ごきげんよう、たいこです。
長い長い休みから復帰してみたら、お仕事が山のよう。
火曜日、水曜日と怒涛の勢いで片付けました。大方片付いたのは、今が繁忙期じゃないから。
来月から始まる、悪夢のようにややこしくてめんどくさい業務に頭を抱えつつ昨日は帰宅しました。
物事は大抵、はじめることよりも収束させることの方が大変なんですな。。
そして、3人の人間の足並みをそろえることはそう難しくなくても、
100人の人間の足並みをそろえることは異常に難しい。これが1500人になると無謀になる。
そう考えると、学校の運動会の組体操だとかってすげえなーと思う。
祭だー!というテンション分を差し引いてみても、やっぱりすっげえなあと思う。
子供たちは大人が簡単にできないことをやすやすとやってのける。
かつての自分もあんなことやすやすとやってたよなあ、なんて思ったりする。
学校に通っていた時代だから出来たことなんですけれども。
学校のルールを順守したり、こんな校則なんの意味があるんだ!と反発したりしながらも
私はそのルールの中で暮らしていた。
あんなこんな校則ってやっぱり意味はあるんだよなあ。良し悪しは別として。
あれだけ沢山の人たちを、自発的に同じ方向へ足並み揃えさせるって無茶だもんな。
「やらないと怒られるからやろう」っていやいややっても、
実際みんなで一つのことを成し遂げる経験って気持ちのいいものなんだと思っていて。
そうすると「いやいやだった」っていう最初の感じがうやむやになるのでしょう。
「ほら、やってみてよかったでしょう」みたいな話になる。
これに関する良し悪しもとりあえず置いておいて。
社会という集団の中で生きていくうえで、「集団で何か成し遂げると気持ちがいい」
っていう経験をさせるのは、確かにとっても重要なことなんでしょうね。
その集団から外れてしまうと生きにくいことこのうえない。
仕事の話からどこまでずれたんだ。
立場も環境もモチベーションもばらっばらの人たちに足並みを揃えてもらうのは至難の業だねーという話。
はあ、大変だ。
着物つくりました。
あとちょっと細かいところをあれこれしてきっと完成です。

相変わらず面白みも何もないごくごくふつーの着物ですが、メインは桜の枝です。
だからいいんです。
桜の花を描くのが案外面白かった。でも桜の木1本分の花はかけるきがしません。
桜を作ってる人たちはすごいなー。
ああ、早く桜咲かないかなぁ。
私は1年中春を待っている気がします。
春を軸に生きている気がします。
はやくこーい、はる!