サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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青春漂流記 2012-01-30

シャイな少年 毎晩 枕に夢詰め込んで寝る
塞ぎこむ少女 毎晩 鏡に向かって戦う
だって 僕らは知っている
時計は人生の終わりを刻み続け
楽しい日々は風のように
通り過ぎる あっという間に
ステップ ステップ ステップを踏んで
夜明けに向かってステップを踏んで 駆け出そう
どんな壁も終わる恐怖の前では へっちゃらさ
本当のことなんて誰も教えてくれないから
それなら僕は 漂い続けよう
この青い春で
(青い春/劇団鹿殺し)

鹿殺し!鹿殺し!SHIKA564!
というわけで観てきました。劇団鹿殺し。
劇団名やチラシのデザインからは全く想像がつかない、想定外な芝居を繰り広げる素敵劇団。
私は去年の夏に「岸家の夏」を観て衝撃を受けてしまってからファンです。
まだ公演2回しか観てないけど。
前回公演の折に過去公演のDVDを買って観たわけですが、
DVDだってのを差し引いても、かなりの感じで成長している感じがしたのです。
なもんだから、今回の舞台、ものすごく期待値が高くてですね、これが裏切られたらどうしようっていう不安と、
いいものが観たい!という期待でいっぱいになりながら紀伊国屋ホールに行ってきたわけです。
いやああああああ、良かった!
歌あり踊りあり、一人二役三役当たり前、メイン以外は役名が10個くらいついちゃうみたいなワイワイした劇団なのですけれど、扱うテーマが非常によい。
脚本がすごく良い。
脚本はあの、丸尾丸一郎氏なんだよねえ。。あんなもじゃもじゃでぐりぐりなお目目でグワーって感じなのに、紡ぎだす物語の繊細さは素晴らしい。
ダメ人間と、そのダメな人に対する愛あふれるお芝居でございました。
夢を諦め切れないズルズルの大人達。
人のキャパシティってのは限られていて、夢を追いかけることと迫り来る現実と戦い続けることって一緒には出来ないものなんですよね。
だって正社員は、「稽古があるから2ヶ月休みます」なんてこと絶対にできないんだ。
私も若い頃は夢追っかけまくって滅茶苦茶な生活をしていました。
そのままいい大人になっちゃってる、それこそ今回のお芝居に出ているようなダメな人たちもいっぱい観てきました。
芝居から足を洗うきっかけの王道は、子供ができて結婚するとかでした。
私もまんまとその王道に乗っかって芝居から足を洗いました。
子供をたてつづけに産んだ私は、それから10年くらい迫り来る現実と戦い続けました。
今振り返っても、結婚していたあの期間の私の脳みそはとろけきっていたと思う。
死なないように生きること、死なせないように育てることでいっぱいいっぱいだったわけです。
それはそれで、現実とはなんぞや?を知るいいお勉強になったわけですが。
私は今は世帯主ですから、これでも精一杯現実と向き合って暮らしています。
毎日決まった時間に仕事に行って、お給料に見合うだけの働きをして、
ちょこっと会社の人達に必要とされたりしてそういうところで幸せを感じるような。
家に帰ってくれば思春期&反抗期真っ盛りの子供と、若干気の抜けない勝負をし続けるような、
それでもいつかは私のもとにも王子様が……!っていう妄想も若干交えつつ。
で。
ちゃんとした大人は、「青春時代の思い出」として、夢に向かって滅茶苦茶をしていた時代のことは封印してしまえるものなんだと思うのです。
そういうことをちゃんとできている人ってのは、確かにいる。
「ここまでよ」って幕を引くのは自分自身にしかできないわけで。
色々な計算や打算、将来のこととかを考えて「はいここまでよ」ってやるわけですよね。
それをしきれないのがダメな大人。
ダメな大人になると、普通の大人が普通に出来ることが本当にできなくなるのです。
30すぎてもジョナサンがごちそう!みたいな暮らしになったりするわけです。
封印しているつもりでも、心のなかではまだまだくすぶっている夢の欠片ってのもあるわけで。
私なんて未だに「なんの役にも立たないような事ばかり考えて暮らしたい」って思い続けてるんですもの。
私のやりたいこと、なりたいもの、実はまだまだ掴みきれていない35歳。
自分の可能性に見切りをつけることが出来ない3児の母。しかもシングル。
充分中途半端な私みたいな人間には、今回のお芝居はグサグサと刺さるものがあったんじゃないかと、
そしてそういう人は案外多いんじゃないかなとも思いました。


高田聖子の演じるアイドルグループ「モトコー5」のリーダー波美に泣かされた泣かされた。
もうほんっと、すごくよかった。
残りの4人のメンバーがうだうだずるずると辞めることも続けることも出来ずに暮らしていた20年間、
彼女は一人で真剣に夢を追いかけている。
がむしゃらに夢を追いかけている期間が青春だというのなら、まさに彼女は青春を漂流し続けた人なのです。
青春を漂流し続けた人の結末として、あれ以上身につまされるものはないのです。
彼らは「うまいことやる」ことができない人たち。
うまいことやることができない人たちって、本当に残念な人たちなのだけれどとっても愛しいなあと思ったのです。


今の私は、現実と何とか折り合いをつけつつもうっすら夢見ているという非常に中途半端な状態なのですが、
どうせ夢見続けることがやめられないのなら、現実と折り合いがつけられる方向で、がっつり夢を追いかけてもいいのかなと思い始めています。
そんな状態の時に観たものだから、とてもシンクロしてしまったのは言うまでもなく。
夢を追いかけ続けると、社会のメインストリートからは弾き飛ばされてしまう。
でもそれでも、もうそのメインストリートにはあまり魅力を感じない自分もいるのですね。
もちろん、お金のことで悩まない暮らしとか、
明日のことがわからない不安定な感じから開放されることは魅力なんです。
けれどもね、自分の中にある何かと引き換えにそれを手に入れたいかと言われると、
なんだかそれは違う気がするのです。
私の暮らしざまや生き様を見聞きして、引く人は引けばいいと思う。
何かやらかす人って、きっとたくさんこういう思いをしてきている。
どうしようもなく我侭で幼い、心のなかにあるものは、きっとずっと大事にしていくんだろうなぁ。
モトコー5のように。

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