サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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好きなふりを してた 本当は愛していたのさ 2011-11-04

うつろな この世界に
だけども 生きるなら
かいつまもう 僕らは
傀儡に ならぬよう
天秤にかけあって 出会いを許されて
いい方へころがれ ころがって 抱きあって
砂上の 楼閣を 大事に 壊さぬよう
見破ろう 僕らは 巻きこまれぬ 力を
さまよう この世界に それでも 歩くなら
いい方へころがれ
(ルーズ・ザ・ウェイ/特撮)

世間は4連休ですか。違いますか。
とりあえず私の職場は、明日の出勤者数はとても少ないです。
くそう。。。出遅れて休めなかったぜ。
そんなわけで今日1日お休みして明日はおしごと。
今週の土日は実家で松本人志祭りです。
松本人志大文化祭
私は松本信者でございまして。
そりゃもう大好きなんでございまして。
なぜか我が家ではBSが見れない。というわけで実家まで。
松本人志を観に。
面白い事は正義です。笑いこそが正義です。
世の中に笑い以上に大事なことなんてないんです。
BSが見られる環境の方はぜひ。


今日は文化の日。自治会の文化祭でございました。
文化祭には小学5年生と和太鼓クラブが出場するのです。
次男は和太鼓クラブの副部長。6年生なので今年が最後の和太鼓です。
そりゃーもう勇んで見に行きました。
去年より上手になっててちょっと感動したりして。
次男は6年生にしては小さいのですが、それでも堂々とバチを振るっている様はとても素敵だったのです。
ええ、親ばかなんです。
一番まえの席に陣取って、しっかり存在をアピールしてきました。
私を見つけた瞬間にちらっと出るはにかむ表情がまたこれ可愛いのです。
うふふ。


伊坂幸太郎の「モダンタイムス」を読了。
最近本のことを書いていませんが、地味に色々読んでいます。
モダンタイムスは、魔王の続編です。
読み終わってAmazonのカスタマーレビューを観てから気づいたのは内緒です。
慌てて魔王を読み返したのも内緒です。
確かにがっつり続編でした。というか世代交代な話。
世の中はわかりづらい。
現実はいつだって混沌としていて、世界も社会もなんだかよくわからないまま、
思いもかけない方向へ転がっていく。
世の中が良くなっていて欲しいとは、きっと誰もが思っていることなのだけれど
時間は流れるし世の中も変わる。
ここがいい、というところで止まってはいられない仕組みになってる。
世の中がよくなって欲しいと願うのはなぜなのか。
それは、自分自身の置かれている環境がよくなって欲しいから。
今の世の中の諦観を、魔王はよく現していたと思う。
そしてモダンタイムスでは、悪者なんていないことを語っている。
アメコミのように、スーパー戦隊ヒーローのように、わかりやすく悪者がいれば、
世の中はとってもカンタンでわかりやすいんだと思う。
悪者もいない、ヒーローもいない。
この世の中は、誰の意図でもなく、みんながみんなの役割を持って動いている。
誰もその全体図を知らない。
だから、悪者はいない。
強いて言えば、悪者は人間自体そのものっていうことになる。
選挙に行かない。
自分ひとりが世の中を変えようと思っても、なかなかどうして変わらない。
どうせこいつが当選するんだろうという諦めのもと、
選挙に行って、やっぱり「どうせこいつ」が当選してしまう時のがっかり感。無力感。
私たちは、投票することでしか世の中の大きな仕組みに参加できないという、
どうにもこうにもな感じにはまりこんでいる気がする。
そんな大きな大きな事をぼんやりと、しかしきっちりと描きながら、
結局一番大事なのは自分の手の届く範囲の物事だよね。っていう結論と、
どうにかこうにか一矢くらいは報いれないかとその仕組みのなかで頑張る結論と。
それはどちらがよいというものでなく、
結局、それぞれ自分自身が考えた「自分にとってよい」事なのだと思う。
「勇気はあるか」
という言葉が作中に何度も何度も出てくるのだけれど、
見て見ぬフリをするのも、目を逸らさないのも勇気っていうのは必要らしい。
だとすれば、勇気っていうのは「自分はこうする」って方向性を決めるってことなのかな。
それは覚悟に似てるのかもしれない。
そういえば、さらっと読み返した「魔王」には「覚悟」っていう言葉がちょこちょこと出てきてた気がする。
(なにぶん斜め読みなので確信はない)
自分の行動には自分で責任を取る事。ってことなのだと思う。
それは、大人の条件だと私は思っている。


人には優先順位がある。どうしてもある。
その中の最優先順位は、自分の子どもだったり大切な人だったりだ。
「今の世の中全般」っていうものが優先順位の一番上にきていたら、それはとても不自然なことだと思う。
私はその昔、その優先順位を見誤りかけたことがありまして。
博愛主義ってのは、結局誰のことも大切にしないってことなんじゃないかと今は思っています。
だって、自分で責任を取れる範囲なんてたかが知れている。
けれど、世の中にはとてもとても沢山の人がいる。
それは、お腹がいっぱいでご飯を残した時に、
「世界にはご飯が食べられなくて餓死する子たちが沢山いるんだから」
と、叱られる理不尽さにも似てる。
ご飯が食べられなくて餓死する子がいる。でも、
私が今、ここでご飯を残したとして、そのご飯を餓死する子に届けることは出来ない。
見ず知らずの人間が死んで、あなたは悲しいのか。
見ず知らずの人間が死ぬことと、かけがえのない人が死ぬことと、知っている人が死ぬことと。
その死の重さは、あなたにとっては同じなのか。
命の重さはみんな一緒。生きてるものはみんな平等。なんて、
人として生きていたら絶対に言えないことなのです。
人は、自分たちの食糧確保のために家畜を育てて殺すのです。
豚や鶏や牛が人間になったとしたら、それは「倫理上いかがなものか」ってなるのです。
食べるものはよくて、毛皮のためならだめ。っていう理屈もなんだかおかしいのです。
人のシステムは、誰も制御できない、今はかなり暴走しているように見える社会という人のシステムは、
人という種が末永く生きていくために自然に生まれたものなんだろうと思います。
それに反することは、人の社会のなかで生きていたら絶対にできない。
それは、今ニュースを賑わせている福島の原発だったり、
それ以外の原発だったり、
いつまで経ってもなかなかたすけてあげられない被災地だったり、
就職ができなくて悶々としているひとたちを沢山つくりあげている、
日本各地の姿だったりするのではないのかな。
誰もこの流れを止められない。
作成者のいないシステムを作ったのは、人の社会で生きているすべてだと、私は思う。
この先大変な社会が待ち受けていると聞いても、
私たちはその実感がもてないでいます。
人は自分の身に降りかからなければ、そのことを実感として捉えることは出来ない。
人はアリではないので、システムの歯車そのものになりきることが出来ない。
人には、余分なことをあれこれ考えるだけの、生き物としての余裕があるから。
作成者のいない人のシステムのことを、言い換えればおそらく神様。
神様が偉大なのは、何もしないから。
説明しようと思うとすごく難しくて、話題もあっちこっちに飛んじゃったけど、
めんどくさいからこのまま投稿しようと思います。
ほんとうにごめんなさいwwwwww


最近また色々なことを考えます。
あーでもないこーでもないと考えます。
でも私は今年の夏に、考えても仕方がないと思い知ったのです。
だから、あーでもないこーでもないと考えては片っ端から忘れていきます。
本心から出る言葉だって、鵜呑みにしちゃいけないタイミングってあるよね。
そして本心ってコロコロ変わるものだよね。
私は、おそらく世の中の何も信じてない。
そして全部を信じてる。
割といろいろなことが見通せる。
でも見通した事実の1割も確信が持てない。
自分に自信なんてまるでないから、過小評価をしがちだってことは理解している。
そして過小評価することは、逃げだっていうことも理解している。
そんなに強くはなれないよ。だからきっと過小評価し続ける。
遠慮するのが美徳だなんていう古い考えは捨てたほうがいいと思う。
それがあるから、鼻持ちならないヤツってのが生まれてくるんだ。
激しく脱線したけれど収集がつかないので、唐突にこのへんで終了。

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