サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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もう言葉など南無阿弥陀仏だけでいい 木魚を叩け 2014-11-17

バン バン バンギャ数珠つなぎ
東名阪&水戸ライトハウス
檀 檀 檀家数珠つなぎ
十三回忌も忘れた
そもそも葬式やっちゃない
これもカルマだ 涅槃で待ってろ
涅槃で待ってろ 数珠つなぎで
涅槃で待ってろ
(ニルヴァナ / 筋肉少女帯)

いきなり寒くなりました。。。
 今朝シャワーを浴びてびっくりしました。朝シャワーが辛い季節になってまいりました。我が家の目の前は銀杏並木です。もうだいぶいい感じに銀杏の絨毯ができつつあります。銀杏の散るころになると、掃いても掃いても際限のない放課後の渡り廊下の掃除とかを思い出します。公園でたくさんかき集めた銀杏の葉っぱの山にテンションがあがる、とか。いたるところに銀杏が生えている環境で育っているのですが、どこの地方もそうなのでしょうか。東京だからなの?その辺はよくわかりません。
ごきげんよう、たいこです。
 ここのところ首の調子があまりよくありません。おそらく病院に行ってリハビリ&薬を飲まないとよくならないんだろうなと思いつつもなんとか湿布でごまかしています。今使っているのがおきゅ膏っていう小さいテープみたいな湿布なんですけれども…この粘着剤と私の皮膚の相性が非常に悪い。ロイヒつぼ膏と私の皮膚も相性が悪い。
貼った瞬間から痒い。けれどこれを貼っていないと背中も首も手首も辛い。背中は自分で見ることができないわけですが、どうもテープの形にかぶれてかさぶたができている気がします。なんだか地味に八方ふさがりの気分。
 肩こりがひどいー。とぼやいたら、パートナーの人に運動をしなさいと言われました。運動不足なのは百も承知で、今の私を知る人は私が20歳になるまでは運動しまくってたなんて全く信じてもらえないのですが。体を動かすのは好きなのです。体を動かす気持ちよさは知っている。けれど一人で運動を始めようと思うと、ものすごく腰が重たい……!
 運動嫌いじゃないですが、運動能力が悲しいほどないのです。誰かに手を引かれないと運動できなーい。とか甘えてる場合じゃないのかもしれません。パートナーの人にダンベル運動を勧められました。うむ。やってみよう。肩こりがそれで楽になるなら。ついでに重力に逆らいきれずに可哀想なことになっているおっぱいとかのためにも。
 本当は一人でやるなんてやだ。とか思ってるんですけれどね。そんなことを言っていても始まらないのでね。


 どれだけ寝ても寝足りなかったり、またびっくりするほど眠れなかったり。なんだろうこれ更年期?とびくびくしながら暮らしている38歳。PMSもありそうです。女の人の厄年は30代にがっつり固まっていますが、自分が30代になってすごく納得している。本当に30代って色々あるよ。。。月の半分はどっかしら体調が悪いとか、どう考えても女性ホルモンのしわざなのですが、なぜ30代でこんなに症状が出てきてしまうのでしょう。そんな30代もあともう少しで終わってしまう。自分が40代になるなんてまったく信じられませんよ私は。
 なんか大人ってもっとしっかりしているものだと漠然と思っていて、それは自分が20歳になる時にも、30歳になる時にも、描いていた20歳、30歳像と実際の自分のギャップに愕然としたものですが。不惑の40なんて全く信じられないアラフォーな私。惑いまくる気がするよ。いまだに3年先の自分が想像できない。40歳なんて中年で、自分がその中年と言われる年代になっているその事がまったく実感できない。ははあ、世の大人たちも皆こんな風に感じながら歳をとっていっていたのだな!と、見るとやるでは大違いを実感中。しかしね、いい加減落ち着きたいと思う気持ちも強いのです。私の夢は手をつないで近所のスーパーに買い物に行く老夫婦になることなのです。
 自分でもどうかと思うくらい、乙女な部分を残しまくっている情けなさはあるのです。なんかもうファンシーとかメルヘンとか、そういう域でしょう、40歳で乙女とか。「かっこいい女」とか絶対に無理。なれない。相変わらず追い続けているのはかわいい自分。
 可愛げをどこかに置いて成人してしまったあたりで可愛げの大事さに気付き、それからずっと可愛さを意識して生きています。自分がそうなってしまった原因も、冷静に自分の人生を振り返れば原因が見える。しかし、そのせいで今の自分がこうだからと言って、今の自分は自分で落とし前をつけるしかないのです。今自分に足りないものは、自分で補わなければならない。私は全然しっかりした人間ではないのですが、それでも必要に迫られて最低限しっかりしています。この最低限のしっかりっぷりも、ある一面では息切れしてしまっていてしんどいなあ、と思ったり。甘えるのは下手ですが、甘ったれではありますし、甘えたい欲求もすごく強いです。自分のその甘えたい気持ちに潰されるようなことはなくなりましたが、若い頃はそのまま押しつぶされて真っ暗な部屋の中で体育座りみたいなことにもよくなっていました。特に今の季節は。
 今も11月は私にとっては魔の季節です。本当に、些細な事で心が折れそうになる。うまくなったのは、そういう自分の心持ちをある程度コントロールする術です。どうしようもないくらい落ち込んでしまうようなことは、そういえばここ何年かは経験していないと思う。


 気持ち、悲しいとか傷ついたとか、辛いとか気まずいとか。そういうものに慣れるとよく言いますけれど、私はそれは嘘だと思っています。傷つく人は何度同じことで傷ついたとしたって、やっぱり同じだけ痛いと思うし、辛いのもしんどいのも慣れるなんてことはない。ただ、うまく自分に暗示をかけられているか麻痺しているかのどちらかです。そうすると、自分の意識にその気持はあがってこなくても、自分の意識していないところでどんどんどんどん溜まっていってしまう。気づかないだけに限界以上にたまってしまうことだってある。もう無理だーって決壊したところで気づくんだと思うのです。それはもうちょっとした噴火ですから、自分も周囲も無傷で済まないことも多い。ヘタしたら自分が壊れてしまうことだってある。がまん強かったり責任感の強い人ほど、限界を超えて貯めこんでしまうような気がしていて、実は今、私は本当に心配したりしています。それでも今、私のこの現状で出来ることは本当に少ない。ほとんどない。どうしたものかと思うけれど、どうしようもないのでせめて、きちんと見ていようと思っているのです。辛さは想像できる。想像してしまう。本当に大変だろうなあと思うのです。心配。

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