サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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和むには冗談 ナゴムには相談無い? 2014-10-09

暇に勝るモノ無し 今なお その日暮らし
暇つぶし ひつまぶし いまだ光るモノ無し
We are little children use to be.
ありすぎる思い違いで
We are little children use to be.
alles klar 多分違うね

(少年ヤング / 電気グルーヴ)

 なんかの拍子に電気グルーヴの話になり、なんだか今日は電気グルーヴです。この曲はグミ・チョコレート・パインという映画の主題歌になったやつ。原作は大槻ケンヂ、脚本と監督はケラリーノ・サンドロヴィッチという、ナゴム臭半端ない映画でございました。そして大変面白かった。原作となった小説は、グミ編・チョコレート編・パイン編という上中下の三冊セットですが、チョコレート編からパイン編まで、確か8年くらいのブランクがあって出版されたものです。
チョコレート編まで読んだのが10代の終わり。パイン編はだいぶおとなになってから読みました。さすがに時間が経ちすぎていて、パイン編はそれまでとは別の小説のようになっているという……。なんであんなに話がでかくなったのか。
 ともあれ、この小説は大槻ケンヂの小説の方の代表作のひとつです。もうひとつは「くるぐる使い」だと思う。なんかもうすごく恥ずかしい小説なのだけれど、私はこれと「新興宗教オモイデ教」で大槻ケンヂのファンになったのでした。ちなみにグミチョコは月間カドカワの連載で読んでいた。
ごきげんよう、たいこです。
 10月に入ってもう1/3が過ぎてしまったなんて信じられない!まだまだ気分は若干9月です。未だにうっかり半袖で出勤して帰りに寒くて震える……なんて事をしています。時間の流れに取り残されているよ。困ったよ。10月はそれでなくともあれこれ忙しく、やることが山のようにあるのです。ありすぎてこなせる気がしなくてちょっと現実から目をそらし気味ですが、逸らしていてもやるべきことは消えてくれないのでやるしかないわけで。。。というわけで、ここのところ毎日のようにメタセコ開いてSAI開いてってやっています。いやあ、作っても作っても終りが見えない!
 Twitterでちょこっとやりとりした話。ああこれは140文字では書ききれないなあと思ってブログに書こうとしてから数日経ってしまった。
 生きていて、なんでこんなに次から次へと色々起きるんだ!と思うような時期ってあると思うのです。または、なぜこの人にはこんなに大変なことが押し寄せるのだろう!みたいなこととか。波瀾万丈な人生を送っている人っていますよね。すごく苦労しているとか。生きていれば色々なことがありますし、何もないという人のほうが少ないですけれど、それでも人によってその波の高さは違う気がする。
 私は昔、「たいこさんはある時に人生の獣道を選んだから、この先の人生は見通しが悪い」というような事を言われたことがあります。獣道に進んだきっかけもタイミングも自分ではっきりとわかっています。あの時だなって。生まれる時に、その人の人生がどういう感じになるかは決まっているのだそうで。でもそれは、私のように踏み外すこともできる。踏み外すことで大変になった道のりにはしかし、そこでしか得られない宝物のようなものもあります。
 魂というものがあって、今私達のいるこの世界は魂の修業の場であって本当の魂の居場所はあの世にある……という考え方は、イギリスとかのスピリチュアルなんたらのもののようですが、なんとなくこの考え方は正しいような気がしています。今まで知り合って来た人たちの話を総合すると。こういうものは証拠も何もないので、さらっと読み流してほしい話ではあるのですが、、、という前置きをしつつ。
 魂にはこの生でクリアすべき課題を持って生まれてくる。クリアすべきだということは、その魂にとっては現状それが苦手な事なのですよね。だから、自分の人生のほんとうの望みは叶えるのがとてもむずかしい、ということになる。でも、クリアすべく生まれてきているのだから、やってやれないことはない。なんかそういう事なのじゃないかなあと私は思っています。みんな課題が違うのだから、人生の波がどんな感じなのかはその人によって違うのは当たり前。でも、きっと自分に乗り越えられないような課題は降ってこないだだろうと思っています。
 自分だけが特別につらいとか、自分だけが特別に恵まれているということはきっとないのです。どんなことが度の人にとってすごく大変なのか、すごく幸せなのかは人によって違います。自分の痛みは自分だけのものだし、同じ痛みを他の誰かが味わったところで同じように苦しくなるかは誰にもわからない。
 私には、この経験は必要だったし得難いものを得たけれど、二度と同じ経験をしたくないというような経験が2つくらいあります。その頃の事を思い出すと心に砂嵐が吹き荒れるような、本当にヒドイ経験でした。得難い宝物を得るには、それ相応の何かに耐えないとだめだって事なのだろうなと思っています。私の本当の望みは、未だに叶うか叶わないか分からないのですけれど、それを叶えるためにはまだ足りないものがいくつかあるなあ、ということはわかります。かなわないことを嘆くのではなく、この足りないものをどうにかして埋めていかねばなあと思う。年々難しくはなっていっているのですけれども。本当にこれは試練だなと思うくらい、同じことが繰り返し繰り返し起きている。まだまだ自分が未熟なせいです。
 だから、今の現状がしんどくてしょうがない人たちは、今自分は集中講座中なんだなと思ったらいいと思う。集中講座はずっとは続かないし、その時の課題をクリアしてしまえば抜けることができる。冷静になって今自分に起きていることを1つずつ吟味していくと、自分がどうしなければならないか、どうすればいいのかってことは、きっと自ずと見えてくるものだと思う。そして、どんな苦境にも八方ふさがりはない。必ずどこかに逃げ道があるはずで、本当に四面楚歌だなあと思った時は、そういう時ほど自分の現状を他人ごととして眺めてみることが大事だと思う。きっと逃げてはいけないところで自分が逃げている。大体そういうものだと思っている。
 と、まだ38年しか生きていないような私がいうのもおこがましいのだけれど。でも、こういう考え方で救われることは多いんじゃないかなあと思っています。自分に優しくとはそういうことなんだろうなと。嘘は必ずしも良いことではないけれど、自分で自分につく嘘は大概よくないものだ。あとで自分が3倍位苦労すると思う。


 上橋菜穂子の「鹿の王」を読みました。久しぶりの上橋菜穂子の新作で、私は心躍らせながら読んだのですが期待を裏切らない!この人の小説は本当に贅沢な気分になります。物語の世界がため息が出るほどしっかりと作られていて、色々なところに思いを馳せてしまう。ファンタジーなのですが、生きることとは…とか、人と人との絆だとか、血だとか、そんなことをしみじみと考えてしまいました。
 親とか子とか家族とか。血は水よりも濃いと言いますが、私はあまりそう思っていません。確かに私は両親の遺伝子を受け継いでいるし、だからこそ似ているところもたくさんあるのですけれど。でも、大方は環境が変われば変わってしまっていただろうな、ということも多いのです。大切なのは、どれだけ濃いつながりを誰かと持つことが出来たかに尽きる。
 主人公のヴァンのこの先の物語は、自分で想像するしかないのだけれど(またそういう想像をしたくなるような終わり方だった!)、きっと幸せになっているんだろうな、なってるといいなと思ったりしました。

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