サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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君の憎しみさえも愛してた 2012-12-03

君の悲しみさえも愛してた
どんな離れていてもそうです
風や空や時のロープは 僕らを結び
去りし者と生きる者とを
あー強く 糾える
(アザナエル/特撮)

自分で「おおこれはよく出来た」というものが出来た時に、素直に「これはよいものが出来た」って言えるのは素敵なことだと思います。謙遜っていうのも素敵な文化なのだろうけれど「つまらないものですが」って言われるより「これはとても素敵なものだよ」ってプレゼントされるほうが嬉しい事もあるよね。っていう。
TPOで使い分けるべきものなのでしょう。なんだか難易度の高いお話ですが。かしこまった席で、とか、フォーマルで、とか、常識が、とか、非常に私の苦手な分野であります。いい大人なのにね!
なんでこんな話かというと、大槻さんは「これはよく出来た曲だ」って思うとそれをてらいもなく言い続けるから。
観ていて微笑ましいのです。「Guru」という曲を作った時に「俺は天才なんじゃないかと思った」ってエッセイに書いていたのは前にも書きました。うん。微笑ましい。
ちなみに今日の1曲のアザナエル、作った本人が歌いたかったのだけれど、ナッキーに「ダメ」って言われて、それでもやっぱり歌いたくて「オーケンバージョン」として後のアルバムに収録されたという。可愛いなあオーケン。
ごきげんよう、たいこです。
いやもう、どうしてもブログまで手が回らない11月も終わって12月になりました。まだまだ手が回りません。
とか言いつつ、土曜日日曜日とニコニコ動画のオカルト系作品群にやられて見続けたりしてるんですが。現実逃避現実逃避。
やることが山のようで、どうやら締め切りまでに新作の着物が間に合う気がしません。ぎゃふん。
間に合わないが故に落ち着かず、ちょっと泣きそうになっているわけです。
他にもできることはあるので、そっち手つけていこうと思いつつもなかなか筆が進まず。あと半分なんだけどなあ。
やらねばならぬことリストの1番目くらいにいた、本店のお引越しはつつがなく終了しました。よかった。
建物を作ってくれた太宰さんには感謝感謝でございます。
あんな立派な建物に私がどんなテクスチャを貼れば。。。と、実はそれが一番のプレッシャーだったのですが、やってみたらノリノリであっという間に完成してしまいました。いやもう、かっこいい素敵なお店になりました。
ちょー波野家っぽい。
で。移転の告知と新作の告知をブログに書かなきゃ。。。と思って管理画面に入ってみたら、ソラマメのライト契約切れてるし。実は2ヶ月くらい前に勢いで取った波野家名義のドメインがありまして。そっちにブログ作ろうかなーと思いつつも放置しっぱなしだったんですね。これはもう、今やれってことだね。ってな感じで勢いに任せてブログのお引越し。
いや、ほんと大変なんです。ブログのお引越し。
テンプレ作るところから始めねばならないわけで、ソラマメのテンプレはJUGEMベースのロリポには使えない。
もう少し余裕があれば、ブログのデザインも1から作るところなんですが……さすがに今はごめんなさい。
なので見た目はソラマメのブログとほとんど変わらないです。URLは違うけれど。
まだ若干気になる部分があるので、その辺はおいおい、徐々に直していけたらいいな。
そんなこんなでSLURLやらブログのURLやらを書き換えまくる週末。
色々リニューアルですが今後ともよろしくお願いいたします。


どこかにいるのよ、王が。それが誰かは知らないけど、そいつが黄海は遠いとか怖いとか言って怖じ気づいてる間に、どんどん人は死んでるのよ!
どうして誰も王になろうとしないんだ、って怒っておいて、自分は王になんてなれるはずがない、そもそも蓬山なんて行けるはずがない。これってぜんぜん同じじゃない。だから、まず自分で行こうと思ったの。
あたしは恭の国民だわ。もしもあたしが冢宰だったら、麒麟旗が揚がり次第、国の民が全員昇山するよう法を作るわ!
違うわ。誰かに王になってほしかったのよ。いくらなんでも、十二の子供が王さまになんてなれるわけないでしょ。そんなことがあったら、笑っちゃうわよ、あたし。

これは、図南の翼という小説に出てくる主人公、珠晶の語る台詞です。
物語のベースがファンタジーなので若干わかりづらい部分もありますが、これは国の王が何十年も決まらない国に生まれた12歳の少女が、昇山するお話。
この物語の世界では、王様は麒麟が選ぶ事になっています。自国の王が死ぬとその国の麒麟は国民の中から王を選ぶのです。我こそは王に!という国民は、麒麟の住む逢山という山まで麒麟に会いにゆくのですね。この逢山への道のりが険しく、命を落としかねないくらい危険な旅なのです。
12歳の子供が昇山しようとする、その事自体がとんでもない出来事なのです。物語の間、珠晶はずっと「私が昇山するのは私が王の器だと思ったからだ」とえらく生意気なことを言うのですが、、、クライマックスで本心を語る、それが先に引用した台詞の羅列です。
王がいなければ国が荒れる。妖魔と呼ばれる化物が街中を跋扈する。異常気象で作物がとれなくなる。
誰かが王にならなければこの荒廃は止められない。そういう世界。
かならずどこかに王となるべき人物がいるはずなのに、それが決まらないのは、王となるべき人間が昇山しないから。
どこにいるかわからないその人は、国のことを憂うくせに自分が王になる気がさらさらない。
批判だけは一人前、というやつです。
無責任な批判。なんだかその空気は今の日本にぴったり来る気がします。私だってその中の一人なので偉そうなことは言えません。しかし日本は昇山する国ではなく、人々の投票で国のエライ人が決まる仕組みです。私達のやるべきことは、確実にある。けれどみんなそれを放棄している。
そうなった背景に今までの政治が悪いというのは簡単なのですよね。確かに、どうなってもどうにもならない感が満載で自分のもつ一票にどれだけの力があるんだっていう気持ちにもなります。えぇ。なります。
けれども得てしてこういうものは、みんなが無関心になればなるほどひどくなっていくものなのじゃないかなとも思ったり。なんだり。
十二国記には華胥の夢という短編もありまして。
こちらは、王のダメな政治に我慢がならなかった民衆の代表が王を殺してしまうお話。
ダメな王のしていたことと反対のことばかりを、この革命の人達は行うのです。そしてやっぱり国はだめになる。
それをずっと見守っていた、リーダーの母は、自分も王の政治を観ていてこれではだめだと思っていた。けれども具体的にどこがダメで何を変えたらいいのかと問われた時に、その答えを出すことができなかった。王に反発して王の行うことと反対のことをやっている息子たちを観ていても、それは間違っている気がしたけれど、やっぱり具体的に何をどうするべきなのかはわからなかった。要するに息子も私もその器ではないのだ。というようなことを言うのです。
これもまた、ここ何年かの自分の感じに当てはまる話で。
今度の選挙、都民である私は都知事と衆議院議員の2つの選挙になるわけですが。
きちんと考えて投票しなければなあ。。と思ったりするのでした。
自分の所属している集団のことを他人ごとのように無関心でいるのもいけない。
かといって深く考えることをやめて短絡的に脊髄反射するのもいけない。
なかなか難しい話ですが、突き詰めて考えればすべて自分の生活に関わってくる話でもあります。
そこに僅かでも自分の意思を投入することは、きっと大事なんじゃないかなあと自分に対する反省も含めて思ったりする最近の日々です。


してほしいことや望むことは素直にまっすぐと伝えた方がいい。
まっすぐに伝えてまっすぐに断れると痛いけれど、それでもそうしなければ伝わらない誠意はあると思う。
こう言ってる自分の真意を汲んでくれ、というのは甘えにすぎない。
甘えられる相手かそうでないかっていうのは、信頼関係に依ると思う。
与えたらそれだけ別の何かを与えてもらう、そういうバランスは健全な人間関係には不可欠である。


三者面談があったり、ちょっと普段読まないような本を読んだりっていう話も書きたいのだけれど、若干時間切れなのでこのへんで。明日はアドベントカレンダーの記事を書くよ!

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