人は裸で 生まれた時は 誰も愛され 同じなはずが
どうしてなのだ 生きていくうち
運命は別れ むごいくらいだ
人の目見たり 見れなかったり 恋を知ったり 知れなかったり
それなら僕は いっそなりたい 死ぬまでベイビー 赤ちゃん人間
(踊る赤ちゃん人間/大槻ケンヂと橘高文彦)
赤ちゃん人間になっちまおうぜ!っていうとんでもない歌。
赤ちゃんといえば特撮の「子供じゃないんだ赤ちゃんなんだ」もやっぱり赤ちゃん開き直り。
ダンシングベイビーっていう曲もある。
どんだけ赤ちゃんになりたいんでしょう。大槻さん。
赤ちゃんってのは好き勝手やってるように見えて、実はすごく不自由ないきものである。
だって自分の意思で動けないんだ。寝たきりですよ。首すら満足に動かせない。
お腹が空いても泣いて訴えることしか出来ない。
つきっきりで「はいはい」と世話をして愛してくれる人がいなければ、彼らはすぐに死んでしまうのです。
なんという無防備な命。
それでも人間の赤ちゃんはめったなことでは死なない。
人間の赤ん坊というのは他の動物から比べると、超未熟児な状態なのだそうです。
そりゃそうだ。首すら座ってないのだから。
なぜ人の赤ん坊がそんな未熟な状態で生まれてくるのかというと、
頭が大きくてこれ以上大きくなると生まれてこれないから、なのだそうです。
超未熟児で超無防備ないきもの、赤ん坊。
それでもすくすくと育ってしまうのだから、この地球における人間の強さったらすごい。
すべてのいきものの頂点にいるのは間違いなく人間なのだけれど、
人はその人間の中でも巨大なピラミッドをつくる。
そしてこのピラミッドは都度都度確認されて比べられてしまう。
ずっと意識し続けなければならないのですよね。ピラミッド。
これはそういう曲。
生まれたときは誰も愛され同じなはず、と歌っていますが、厳密に言うと生まれ落ちたその時から
その赤ちゃんの行く末の何割かは決まってしまっている。
残念ながら、産み落とされてすぐに死んでしまう子もいるし、殺されてしまう子もいる。
愛された記憶なんてない子だっている。
しかしどの子もみんな自分のことで精一杯なのであって、それはおとなになっても同じ事。
世の中にはもっと不幸な人がいるのだから今の現状に満足しましょう、というのは、
実は自分も他の不幸な人の幸せ確認の材料に使われるということにほかならないのでして。
こういう相対的な幸福感は別の新たな不幸しか産まない気がするのです。
あれなんか今日の文章堅くない?
ごきげんよう、たいこです。
バーを開けるとぽつぽつと人が来たり来なかったりします。
私がマニアックキラーなのは、このブログでもいつか書いた気がします。書いてないかもしれない。
私と親しい人は、私に変人磁石がついている事はよく知っていることだったりします。
自分ではうまく説明出来ないのだけれど、私はその時にあまり状態のよろしくない人を惹きつける性質がありまして。
自分ではこの性質をあまり快く思っていないので、普段は意図的にその感じを出さないようにしているのだけれど、
たまにタイミングが合ってしまったり、こちらの状態があまりよくなかったりすると強力磁石のように惹きつけてしまうことがあります。
その昔、まだそういうコントロールが上手にできない頃に知り合った人たちがいます。
殆どの人達は今は疎遠になっています。
ただ、その中でわずかに今も交流を持っている人たちがいます。
どの人も一度途切れたあと、偶然だったりそうでなかったりで再び交流を持つようになった人たち。
知り合った時期は大抵相手のどん底のタイミングだったりするのがなんとも言えないところで。
その時はこれ以上関係が続けられないと思って離れても、
こうして時間を置いて、また付き合いを始められる。
それはその離れている時間に、お互いそれぞれいろいろな経験をして考えて、
いい塩梅に成長したからなのだと思います。
あんなことしてしまったからもう合わせる顔がない、みたいな気持ちは、実はいらないんじゃないかと私は考える。
だって人は変わるのだから。
あの時だめだったけれど今は大丈夫という関係を続けられるってすごく素敵な事だと思うのです。
で。今日はそういう感じの人と久しぶりにお話をしました。
本当にお互いダメダメな時に知り合った人なのですけれど、そして非常に恐ろしいことに、
私はその頃の事をまるで覚えていないのですけれど、
話していれば自分が当時どういうふうにその人と接していたのかが非常によくわかる。
おそらく、その当時と私の印象って全然違うのだけれど、話しているとその当時の自分の行動や考え方が思い出されてきて、なんだかとっても恥ずかしいようなカッコ悪いような気持ちになるのです。
けれどそれは不快ではなく、結構居心地がよい。
当時の私はいわば「ぬののふく」をかろうじて着ているよ、という程度の装備だったわけです。
それ以外に自分の身を守るものはなかった。
武器すら持っていなかった。
今の私はみかわしの服を着ています。どくばりという武器も持っている。
どくばりは攻撃力こそ低いのだけれど、たまに急所をつくのです。その気になったら一撃必殺なのです。
みかわしの服の特徴は、ひらりひらりとよく敵の攻撃をかわすことなのです。
この数年で、私はそういう武器と防具を手に入れた。
そう、まるで自分の本質は変わっていないのですよね。
人は誰かに惹かれてしまう時、その人の長所と短所どちらに目が行くのだろう。
私は弱いところに目が行ってしまうのがきっと本物の気持ちだと思う。
そして私の本当の本質、心の中の一番大事なところにある、自分でもうまく説明できないところの人は、
きっとこういう感じが好きなんじゃないかなとも思ったのです。
いやあ、人の心って難しいものです。
自分のことすら自分にはわからないのだから。うむ。
自分の誰かがきになる基準ってのが少し見えてきました。
なんだか切ない気分で満載ですが。
けれどこれが現実で、これはもう変えようがないのだからうまく付き合っていくしかないのですよね。
なんだかとりとめのない日記になってしまったけれど、とりあえずこのあたりで。