サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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アタシ、あんたのママじゃないのよ? 2012-09-24

「オレだって息子じゃねえ。だがな、赤ちゃんなんだ!」
子供じゃねーんだ赤ちゃんなんだ
開き直るぜ このままゆくぜ
嫌なもんやるわけねーだろ一生Baby
女は俺らを子供と呼ぶぜ その場凌ぎの嘘をつくからさ
そんなもん愛だと思えよ可愛いもんだろ
(子供じゃないんだ赤ちゃんなんだ/特撮)

思えねーよ。
なんだかここ数日このフレーズが頭の中でぐるぐるです。ぐるぐるぐるぐる。
赤ちゃんじゃあしょうがないよね。とでも言うと思ったか!このやろ!
という気分になる1曲。
……言っちゃう自分がすごく嫌だ。ああいやだ。
母性が強い強いと言われるけれど、別に母親になりたいわけじゃないんだ。
私のその部分を掬いあげてくれる王子はどこにいるんだっ!ガァーーーー!
ごきげんよう、たいこです。
立ち位置というものを考える。
この場、この空間に於ける自分の立ち位置。
誰かに望まれている自分の役割と、自分が誰かに望むその役割と。
これが綺麗に合致することは、奇跡でも起きない限りないわけで。
どんなに愛し合ってる2人だって、相手に望むことってやっぱりずれる。
お互いに勝手に期待して、その期待にたまたま答えた相手に勝手に感謝するわけです。
だからね、自分が何かの期待をもって誰かに何かしてあげたりする時、
自分のその期待は一度しまっておかなければならない。
その期待に相手が答える確証はない。保証もない。
相手がその期待に答えなかったからといって、相手が悪いというのはきっと筋が違う。
面白くはないですけれどもね。
でもそれは自分の見込み違いで、自分の見る目が甘かったということにほかならない。
他人は、時に自分自身だって、自分の思惑通りには動かないものなのです。
そういうことに腹をたてることも、だから無意味。
しかし、大切な人には誰しも何かしらの期待を持っているものだと私は思う。
期待値がなくなれば、腹のたつことも悲しい思いをすることもない。
そのかわり、深く関わることも信じようとすることもなくなる。
それはそれで痛い事だから、期待をするってことはなかなか難しいことではある。
なんとかしてあげようと思えるうちは、できる限りの事をしたい。
その程度のものです。


映画を観ました。韓国映画。「息もできない」
いい映画であった。。
お国柄というのか、なんというのか。
とにかくよく殴る映画だなあという印象。
男の人は総じて家の中で殴る。よく殴る。とにかく家族に甘える。
その中で子供たちはどうしようもなく傷ついていく。
主人公は、言葉も悪ければすぐに手を出すどうしようもない暴れん坊なのだけれど、
自分の甥っ子や異母姉のことをすごく気にかけている。
大事に思っているのだけれど、大切にする方法を知らない。
絶望的に見える自分を取り巻く環境の中で、似たような境遇の高校生と出会って惹かれていく。
いろいろ書くとネタバレになってしまうので割愛するけれども、
よくもまあここまで……というくらい、やるせない状況に追いやられてしまう彼ら。
いわゆる韓流とはだいぶ趣が違いますが。重たいけれどものすごく心を打つ映画でありました。
ヒロイン役の女の子が非常に可愛かったです。


友人関係はビジネスと違う。
積み上げる実績は何をしたかという実績より、その行動の裏側にある気持ちの積み重ねのほうが重要である。
そんなことを思ったりしました。週末。


さて、週末はあっという間に終わって今日からまた一週間、お仕事お仕事なわけです。
SLもハロウィンハロウィンで大忙しだけれど、RLはRLで学芸会やら文化祭やらが目白押し。
都民の日だったり創立記念日だったり振替休日だったりで、
子供たちも散財する気満々のようで。。。恐ろしい。
もうすっかり遊びに行く=お友達とになりつつあるお年頃ですが、
それはそれでお金がかかるのよねえ。まあ、致し方なし。

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