サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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もしもあたしの頭がいかれちゃったら 生きるためにあなたに恋をするのよ 2012-07-04

毎晩 あたしに電話をちょうだい
毎晩 あたしに手紙をちょうだい
夜中 朝中 一日中
寂しくて OH たまらないから
電話のベルが鳴り続ける
手紙はどっさり 束の山
夜中 朝中 一日中
もううんざり  OH たまらないけど
もしもあたしの頭が いかれちゃったら
荷物を 一晩で まとめあげ
あなたに面倒みてもらうのよ
あなたに面倒みてもらいたいの
(FOOLISH GO ER / ZELDA)

私はこの曲を大槻ケンヂのソロアルバムで知りまして。
ものすごい曲だなと思いつつも好きです。
昨日からなんだか体がだるくて仕方なくて、どうにもこうにも微熱の人。
今日は会社を休んで一日寝ていたのですが、微熱ちゃんが引かないー。
微熱以外に症状はないので、、、いや、左目が朝から痛いです。
ものもらいっぽい。なんでしょうねこれ。トホホ。
このまま微熱ちゃんが続くようなら、明日は病院に行ってこようかと思っております。
ごきげんよう、たいこです。
そんなこんなでイマイチ調子が出ない今週。
まあ仕方がないですね。。。
一日中、寝たり起きたりしながら小野不由美の小説を読む。
もう随分前に読んで、それから何度も読み返しているのだけれど、ここ数年読んでいなかったので色々新鮮でありました。
自分の簡単に忘れる脳みそバンザイ。
どうやら十二国記祭りみたいで、NHKでもアニメ版をすべて再放送するようです。
アニメ版も面白いのだけれど、アニメオリジナルキャラがどうしても馴染めないのだ私は。。。
読んだのは十二国記のはじまりの一冊である、「魔性の子」と「月の影 影の海」。
やっぱりすごく面白い。
魔性の子は、もともとシリーズになる前に書かれたものだっていう認識がある。
私は最初に読んだ時、この作品を飛ばして読んでしまったのでアレですが、
十二国記の世界を知らずに読んだら、なんというか立派なホラー作品。
すごく怖い話だと思います。そして記憶にあるよりずっとえぐかったw
「故国喪失者」という単語がそこはかとなく出てくるのですが、帰る場所のない心細さや寂しさ、
どこにも居場所がない感じというのは誰でも一度二度は経験することなのではないでしょうか。
その、誰にでも訪れるような居場所のない感じと、決定的に居場所のないひと
(厳密に言うと人ではないのだけれど)の間にある決定的な溝というか。なんというか。
その辺りが読んでいてただのホラーで終わらないところ。
お前ばっかりっていう嫉妬心やすがる気持ちは誰の心にもあるもの。
人は醜い、というのもまた同じ。
人の醜さに嫌気がさして・・・・・・というのは、おとなになってしまった私のようなものからすれば、
なんというか微笑ましく青く映るものではあります。
人は醜いし完全ではない。だめなところいっぱいだけれど、そのだめな部分が愛おしいと思うのです。
月の影 影の海。
私が最初にこの小説を読んだのは26歳の時でした。
3人めの子供を産んですぐの頃なのでよく覚えています。
26歳の私はとってもあまっちょろくて弱くて、しかも思考停止の状態で暮らしていました。
当時の悩みといえば、
夕飯のおかずどうしようとか、
買い物に行くたびに迷子になる長男や次男のことだとか、
日々大きくなるお腹と日々ちょろちょろ活発に動くようになる子どもたちのことだとか、
毎月のお給料と生活費だとか、
女の子が生まれてくるーきゃーきゃー、
だとか。
健全である。非常に健全である。
そして一番バカだった時期である。
結婚する前もこういう事は考えたことがなく、
私の頭の中ったら衣食住にはまるで関係のない事でいっぱいだったのだけれど、
結婚していた時期(=子供が小さくて子育てだけで一日が終わっていたような時期)は、
お金のことや子供のことで頭がいっぱいだったのです。
非常にこう、現実味のない人間が現実の中にどっぷり浸かっていた数年間だったと思う。
今の自分に非常に足りない要素でもある。
すこし昔の結婚していた頃の自分の勘も取り戻すべきである。
話がちょー逸れた。
で。この小説。
テーマは信じること。
物語の中で主人公は、誰も頼るところのないところで裏切られ続けます。
そりゃもう、手ひどく裏切られ続ける。自分の身の置きどころもなく、さらに命を狙われ続け、
しかもなぜそうなったのかまるでわからない。
誰だってそんな状況になったら、自分の身の上を嘆きます。
助けてくれる人を信じ、裏切られ、けれども人の助けなくしては生きて行けず。
そうして彼女は信じることをしなくなる。
裏切られるのは怖いから。痛いことだから。
人を信じずに利用することを考える。
こうして旅をしている間、彼女は身も心もぎりぎりのところまですり減らしながら、
自分の今までの甘さ、醜さを痛感する。
信じることは怖いこと。それは、信じた時に裏切られたら痛いから。
人の心が通じるっていうのは奇跡のようなことだと私は思う。
人を好きになったり、信じたりすることは相手がいることで、
相手が同じように自分のことを尊重してくれるかどうかはまた別の話である。
信じて欲しければ、まず自分が信じねばならないし、
好きになって欲しければ、まず自分が相手に好意を示さねばならない。
大変耳の痛い話ではあります。
裏切られた時、責めるべきは相手なのか、自分なのか。
この物語は、信じることと裏切られることは関係がないと答えます。
裏切られようが利用されようが、それは自分には関係がない。と。
裏切られたっていいじゃないか。裏切られる事で自分自身は何も穢れない。と。
非常に、非常に耳の痛い話でございます。
まずは自分が信じなければ誰にも信じてもらえない。
しかし、年を経て色々な傷を負えば、そういうことはどんどん難しくなる。
ぶつかることを恐れる事は本当に卑怯なことです。
自分自身を振り返って本当にそう思う。
とはいえ、だれでも彼でも信じてしまう事は、やっぱり愚かだと思うのです。
信じて裏切られて傷ついて、求めて拒絶されてやっぱり傷ついて、
そういうことを繰り返すうちに、人を見る目というものを養わねばならないのだと思う。
うーん。やっぱり難しいなぁ。
全てはバランスだと思う。
やっぱり信じることは難しい。けれど、これだ!と思ったときはきちんと信じないといけない。
そういうことなのかもしれません。
たとえ裏切られても、何をしたとしても自分が信じるっていうスタンスはすごく大切。
そこまで思えなければ簡単に信じたりしちゃいけないってことなのかもしれません。
逆に言えば、信じた相手に裏切られたからといって、相手を恨んだりしてはいけない。
それはお門違いだよっていう事も言えるかもしれない。
うん。やっぱり難しいですね。
自分以外の人間なんて、言ってしまえばそれこそ異界なのだと思う。
相手の心のなかは誰も読めないし、見えない。
だからこそ疑心暗鬼になったり不安になったりするのだけれど。
そうか、不安に思ったりすることは大いにしたほうがいいってことなのか。
裏切られたり捨てられたりした時に傷がなるべくつかないように信じないっていうのが、
きっとダメなことなんだろうなぁ。
わかったような、わからないような。
そういうふうにまっすぐに人を信じたりすることは容易じゃない。
容易じゃないからこそ、信じあえる間柄になれた時には喜びでいっぱいになるんだろうなー。


本の感想文のつもりが、とんでもない感じになってしまったけれどまあこれはこれでよしとしよう。
体調のおかしなときはココロもぐっずぐずになるので、余計なことを考えすぎる前に眠ってしまうべきだ。
というわけで、おやすみなさい。

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