サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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木の実や草の実たくさん食べて 元気でいてね流れ蛸 2012-06-14

長いお山の通学路 下の川には流れ蛸
私の好きなかわいい流れ蛸
イワナやヤマメをたくさん食べて大きくなってね流れ蛸
夕焼け空の帰り道 橋の下には流れ蛸
私の好きなかわいい流れ蛸
トンボトビケラたくさん食べて赤ちゃん産んでね流れ蛸
春のお山の日曜日 友達誘って川遊び
私の好きなかわいい流れ蛸
ヤマバトカワセミたくさん食べて墨を吐いてね流れ蛸
遠いところへお引っ越し 川にきらりと流れ蛸
かわいいかわいい流れ蛸 流れ蛸
木の実や草の実たくさん食べて 元気でいてね流れ蛸
(かわいい流れ蛸/たま)

蛸はかわいい。
でもあの吸盤の吸引力は殺人的だと思う。
タコヴィス
これもタコ。かわいい。
こないだテレビで生きたままの蛸を鉄板焼くという、恐ろしい料理を観ました。
活造りだとか生きたまま焼くだとか、新鮮さを強調したいのかもしらんけれども
物言わないだけでいきものが感じる苦しみってのは一緒だと思うのですよね。
「わぁ新鮮」
「わぁすごい」
というほどの感動のためだけに、生きながらにして包丁を入れられる
魚であるとか蛸であるとかの気持ちを考えると、いたたまれなくなるのは私だけなのでしょうか。
人ひとり生きるために、数えきれないほどの命を犠牲にしているわけだが、
そして私たちはその命を奪う「食」というものをすでに生き長らえるための手段ではなく、
ひとつの娯楽として捉えてしまっているわけだけれど、
焼かれて苦しんでのたうち回っている蛸を見て喜べるセンスは私にはないなぁ。
と思ったのでした。
それって大やけどじゃん。
大惨事じゃん。
きっとこれが哺乳類だったら、お茶の間はドン引きするはずなんだ。
偉そうな事言ってますが、私は「虫は絶滅してしまえ!」とか言います。よく言います。
勝手なものです。
自分と姿形が遠いものほど、残虐な行為には抵抗がないんだろうなぁ。
地球の支配者は人間である。
いきものは平等だ、命は平等だなんてきれいごとに過ぎないよね。
ごきげんよう、たいこです。
中二風味満載の書き出しでお送りしております。
まあ、蛸がのた打ち回る姿を見て、「うわ、えぐい」って思ったのは本当のこと。
とてもじゃないが美味しそうには見えなかったんだ。
そもそも蛸ってしめてから叩くでしょう?バシバシ叩くでしょう?
そうしないとダメなのでしょう?
身が固くなっちゃうんだっけ?
どうせいただくなら美味しい感じで頂きたいものです。
蛸は好きなのだけれど、お料理の幅がすごく狭い気がする。
結局ぶつぶつ切って酢の物にするかわさび醤油かになってしまう。
美味しいけどさ、それでも。
ぎりぎり江戸っ子の私には、自宅でたこ焼きっていう選択肢もない。
アレか、パスタとかに入れるのか。
なんかこー、タコだけで立派なおかず!みたいなレシピはないものでしょうか。
クックパッドに聞いてみよう。。。


ここ2ヶ月くらい、めっきりひとりランチの習慣が板についてしまいました。
もともとひとりでご飯を食べに行くのが嫌いではないんです。
なんとなく今の職場の流れに任せて誰かと食べたりするのがデフォになっていたのです、が
ここのところ、ひとりでご飯をたべることがデフォになりつつありまして、
ランチの時間って格好のお勉強タイムだったりで重宝していたんです。
今週はひとりランチ、1回もしてない。。。
今までそんなの普通だったのに、ひとりでご飯に行きたくて仕方ありません。
しかし同じ部署の女の子(子?)って2人しかいないわけで。
当然一緒に行きたいよね?とばかりに気を使ってくれる今月から配属された社員の男の子(子?)
に見送られ、女2名でランチっていう今週でございます。
対女子だと強烈に人見知りする自分の性格と、タイマンでランチっていう逃げ場のない状況と、
これからこの人にたくさんのしごとを教えねばならないというプレッシャーと、
色々なものがあいまって非常に疲労してしまうわけです。
この状況で「私ひとりでご飯食べるから」って言えない言えない。
なんでこんなに不器用なん。私。とほほ。。。
暇だ暇だと思っていた仕事なのに、振り返るといつになく残業していることに気づく。
色々と相談されることが増えたのですよね。そのぶんの時間。
せっかくスキルがあるのだから、もっと高度な仕事を!という気持ちは大変に嬉しい。
のだけれど、それに付随する責任みたいなものは、私にとってはありがたくないのかもしれない。
仕事に対するモチベーションは、やっぱりとっても低い気がします。
うむ。お勉強をがんばろう。昼休みを使いたい。(最初に戻る)


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ここから木曜日


ひとつ前の日記の話。
まあ、色々と面倒な事件があったんです。
私は我が子を守るのが最優先で、とりあえず事件の報告をしに学校へ行きました。
そこで話が沢山脇道にそれながらも、事件のあらましや背景、関わっている子供への話へ言及していくうちに、
ちょっとした居心地の悪さを覚えてもぞもぞ。
そこで言うべきではないので黙っていたけれど、やっぱり気持ちがざらっとする。
親はみんな子どもを愛することが当たり前だっていうのは嘘だと思う。
愛することを履き違えてる人もいるし、本当に愛されてない子どもだってたくさんいると思う。
愛していたって、その愛が当人に伝わっていなければなんの意味もないとも思う。
親だから愛しているのは当たり前、とか、そんなこと言わなくてもわかるだろう で
ボタンを掛け違ってる親子だって星の数ほどいると思う。
それはおとなになって気づいたりすることもあるけれど、
気づいていない時代の子どもにとってそれは、愛されていないのと同じ事なのだと思う。
親を憎むだとか尊敬できないだとかいうという感情をあらわにすると、
「まだまだ子どもなのね」という反応が返ってくることがある。
でもそれって違うと思うんだ。
子を殺す親がいるのに、愛さない親がいないわけがない。
人は愛したら愛されたいし、生まれて初めて愛す人は両親だ。
両親に愛されなかった子どもは、生まれながらにいきなり失恋しているのだ。
しかもずっと一緒にくらさなきゃならない。
話が脇にそれた。
で、その愛されなかった子どもたちは、そのなくした愛をどこで取り戻すのか。
一番は自分で自分を愛することだと思うのだけれど、そういうことをどこで学ぶのか。
結構難しい問題。
けれど、他人が他人に愛されて守られる姿を見て学ぶって事はまず絶対ないだろうということ。
ましてやその他人に「あなたは敵だ」と宣言されてしまったらなおさら。
それは、もしかしたら「世の中にそんなものはない」と抑え続けてきた感情を、
悪い方向に発散させるきっかけにだってなるかもしれない。
どこにもないなら諦めもつくが、確かにあるのに自分の手には届かないと知った時の絶望はいかばかりかと。
正しい人、その正しさを貫く人はかっこよかったりキラキラして見えるものだけれど
影の中に入ってしまった人にとって、そのピッカピカの正しさは、救いにならない事は大いにあるよね。
光を当てられてしまったことで、居場所を奪うことになることだってある。
悪気なく、影にいる人を追い詰めるみたいなことが頭の中をぐるぐるしたのでした。
影に入ってしまったまだまだ未熟な人たちを救い出すのは、なかなか大変なことだと思うのです。
そしてそれは私の手に余る。
私は自分の子供たちを守ることで精一杯だから。
だから、運良く素敵な出会いがあるといいなってちらっと祈る程度にとどめたのでした。
概要がわからないとなんだかさっぱりわからない話な気がしてきた。


今日は会社をお休みする予定だったんだけど、ちょっと無理そうだから午前中だけ仕事する!
こうやって頼られている事自体は嬉しいんだ。
でもそれに付随する責任を負うだけの自信は、(こと仕事に関しては)私にはない。
そのくせ、あてにならないだの使えないだの言われたら切ないなあって思いながら、
せいぜい与えられた仕事は頑張ってこなそうとするのである。
というわけで、午前中仕事を終えたら三谷幸喜!
がっつり睡眠不足なわけだが、寝ないで観られることを祈ろう。

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