サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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彼女にはもうこうするしかないのだ 2014-01-27

信頼出来る人なんて
もうこの世にはいない
彼女にはもうこうするしかないのだ
13階の屋上から身を投げること
でも彼女はとびおりずにすんだ
みんなのうまい口車
死ぬなんておよしなさい
とにかく今はとにかく
(13階の女 / 特撮)

特撮といっても特撮が作った曲ではないです。
よい曲です。
飛び降りるしかない彼女は、飛び降りることすらできないっていうこの絶望。
みんながみんな自分勝手っていう感覚がひしひしと伝わってくる歌でありますが、
この飛び降りるしかない彼女もきっと自分勝手なのです。
その辺はみんな平等。
ごきげんよう、たいこです。
自分勝手とかエゴイストとか、突き詰めて考えるとみんな自己中だし自分勝手だしエゴイストです。
そんなのは当然で、だって自分の身は自分でしか守れない。
自分のことを守った時に出来る余裕なんて、ほんの些細なものでしかない。
自分の感じをより良くするために、人は誰かのために尽くしたり自分の欲を抑えたりするんだと思うのです。
自分のことを抑えるのは、その先の自分のため。
「その先」を考えて行動しているのか、そういう事が考えられないのか、「その先」に対する見通しが甘いのか、そもそもそういう事を考えることをよしとしないのか、なんかそういうところでそれぞれの行動の基準が分かれてくる気がします。
あの人超自己中!と、巷で噂されていても自分にとっての大切な人たちだけが自分を受け入れてくれるならそれでいいとかんがえる人ならば、それ以外の人たちには結構非情なこともできてしまう気がする。
しかし、人は誰かにひどいことをされたら案外覚えているもので。
そういうふうにしてできた恨みみたいなものを受け止める覚悟だとか、受け流す自信だとか、なんかそういう所も考慮しないと、非情なことってなかなかできないものです。
話が盛大にそれているけれど、私達が考えて決めて取る行動は、すべて自分自身のためっていう事が言いたかった。
私は私の勝手で、優しくしたい人に優しくするし優しくしたくない人には優しくしない。
世の中の全員に好かれることなんて不可能ならば、自分の手の届く範囲の人たちには好かれていたい。
クセが強ければ好かれる度合いも増すし、嫌われる度合いも増す。
それはもう仕方のないことで、だから常にある程度嫌われることを覚悟してもいる。
覚悟はしていても嫌なものは嫌で、できれば自分の嫌われているさまなんて見たくはないわけで。
だけど目に入っちゃった時はしょうがないよなあ。って自分で自分を慰めたりするわけです。
幸いにも私のことをとりあえず肯定してくれる人たちが私の周りにはいます。
本当にありがたいことだと思って、たまにそういう人たちに甘えたりもします。
甘える度合いを間違えて、相手に負担をかけ過ぎたりすることもままあるのですけれどもね。。。
反省しつつ、やっぱり寂しくなったり、不安やら恐怖やらとぐるぐる追っかけっこして疲れちゃったり。
うーん。冬はやっぱりだめですね。どうも心のバランスがうまくとれない。
ここのところ私を不安にさせている原因。自分でもわかりすぎるほどわかっているのですが、
さすがにめちゃくちゃ不安になるようなモノなだけに解決方法も難解です。
ああもう霞だけ食べて生きていけたらいいのに!
自分の手では抱えきれないよ!と思ってしまうときにものすごい甘えが自分のなかから沸き上がる。
同情するなら金をくれみたいな甘えです。
そういう事を吐き出しても結局現状は変わらないのだけれどね。
自分の今ある現状と他の誰かの現状、見比べるってことを私はあまりしません。
自分にとって一番苦しいこと、一番嬉しいこと、一番幸せなことは、
他の誰かにとっても一番なのかというとそれは違うからです。
みんなそれぞれ悩みもあれば苦しいこともある。悲しいこともある。
だから安易に隣の芝を見て「青くていいなあ」なんて思っても意味がないのです。
ないんだけれどね……。
年齢的にも先のことを考えねばならぬよなあ、という感じになってまいりました。
うーむ。
もうちょっとちゃんとしよう。というのが今年の目標で、なんかこれ毎年思っている気がする。
毎年思っている気がするのだけれど、なんだか今年は後がないぞ、とも思っている。
なんだか去年の秋ごろからずーっとずーっと心の底のほうにもやもやっとある感じのものが
ちょっと無視できない勢いになっている感じ。
さておき。
お金とかそういうものに私はとても疎いです。
好きですけれど、お金。
なんで好きなのかって欲しい物を手に入れる手段だからです。
お金はどんなものにも化ける無限の何か、、、すごいもの。
で、私はお金を使う前提としてしか見ることができません。
お金が沢山あったら色々と楽だろうなと思う反面、あんまりまじめにお金を稼ぐ気になれないわけです。
私にとって一番大切なのは、心のやりとりみたいなものだったりして。
自分の存在意義を、人から求められることで確認したいみたいなので、
たぶん世の中に私以外の人間がいなくなったら、私は寂しすぎて死ぬ。
自分が透明人間になって誰にも干渉したりされたりしなくなったら、やっぱり絶望して死んじゃう。
気持ちや心のなかのことを、幻想でもいい、誰かと共有したり通じたと感じたりすることが、
おそらくいちばん重要なのです。
そういう事柄の些細なひとつひとつでわりと簡単に元気になったりしてしまいます。
私にとって、必要とされること、求められることは何にもまして大切なこと。
そういう事をたびたび感じられる暮らしをしている自分は、おそらくそんなに不幸ではない。
今、私に関わってくれている私のことを認めていてくれる人たちは、私にとってかけがえのない宝物。
それゆえ、相手が私のことをきちんと見ようとしてくれるのかどうかって事は、
私にとってはすごくすごく大切で、無意識に一番にチェックする項目のような気がします。
なんでだかわからないけどこの人は……と一歩引いてしまう人たち。
共通するのは、(あくまで私が)ああ、私の事を見ようとしていないなと感じることだったり。
ということに気づいたのも、実はつい最近なんですけれどもね。
とりあえず、もし私がガンになって二度と病院から出られないという状況になった時に、
手を差し伸べる余裕はなくても、すごくすごっく心配してくれる私以外の誰か。
そういう人たちには心から感謝したい。
しかし私には、それだけで頑張って生きていける自信が今のところないのです。
やっぱり差し伸べてくれる手を、欲してしまうのですね。
修行が足りない。困ったもんです。

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