サボテンとバントライン
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僕の子ネコはやっぱりはずれたけれど 2021-06-02

ネコの中にはあたりとハズレがあってさ
小さな舌の裏それは書いてある
僕の子猫はやっぱりはずれたけれど
気にしちゃいないぜ
いつか君の背におむすびをくくりつけて
晴れた午後にさ そうだな 梨もぎに行こう

(猫のリンナ / 大槻ケンヂ)

今回の記事はとても長いうえに読んでいて楽しいものではないと思います。
これは主になごやのさいごに会えなかった娘のためと、自分のために記録したものです。

 そもそも最初に猫をお迎えしようと思ったのは、猫がいると黒い昆虫が出てこなくなると聞いたから。
小学校や保育園に通う子どもたちに、「猫飼う?」などと聞いて、里親募集掲示板から応募したのでした。
家庭環境を聞かれ、とりあえず見学に、、、と行った先で、「掲示板に出ていた子はもう里親が決まってしまって。それとお子さんが多いので、小さい猫は向かないと思います。ちょうど今、ぴったりの子がいるのでその子はいかがですか?」と、抱かせてもらったのがなごやでした。
その頃はタローという名前でしたが。
とにかく性格が穏やかであること、すでに生後半年で大きさは成猫サイズであること、このまま貰い手がいなかったら、施設などに訪問する猫になる予定であることなどを聞かされました。

 そんな感じで我が家に初めてやってきた猫がなごやでした。
黒い昆虫は猫がいようがいまいがお家にやってきましたし、むしろ若い頃のなごやは、あいつを喜んでおもちゃにし、瀕死の黒い昆虫が家中を飛び回るという地獄絵図になったこともあります。バスマットの下に死骸を隠すみたいなこともよくしていました。

 彼は穏やかなというか、比較的おおらかな性格でしたが、決して人懐こい猫ではありませんでした。
初対面の人に抱っこされればそのままじっとして動かないけれど、実は逃げたくてしょうがない。そんな感じの猫でした。
そんな感じだったので、幼い子どもたちのいたずらにもよく耐え、子供に危害を加えることはなく、末っ子の娘の抱き枕になったりしていました。これは当時不思議だなと思っていたのですが、娘がある程度大きくなるまで、娘が寝る時は彼女が寝入るまで、ずっと付き添っていたのですよね。眠ってしまうとそっと布団から出てくるし、大人しく抱っこされていました。娘以外の人の布団の中になど、絶対に入ってこない子でした。

 それと家出の常習犯でした。少しのすきに家を出ていき、帰ってこない。3ヶ月帰ってこなかった時は色々覚悟を決めましたが、帰ってこなかった理由は、近所の餌やりの人から餌をもらっていたからでした。さいごの家出は2,3年前。戻ってきた時にはびっくりするほどボロボロで、外の生活の過酷さが伺えました。でもやっぱり外は好きだったのでしょうね。定期的に「家出しそうな気配」を漂わせていました。

 ネズミのおもちゃが大好きで、まだ若いうちは頻繁にねずみのおもちゃを買っていました。
延々と一人遊びするので、すぐにどこかに行ってしまうのですよね。徐々におもちゃに興味が薄くなり、ちょっと遊んではすぐに飽きるようになり、しゅっとしていたお腹が太くなっていったり、ああ、おっさん猫になったななんて思っていたのが生後数年から10年くらいの頃でしょうか。

 我が家に来てから16年とすこし。活発だった時代より、のんびりと過ごしていた時間のほうが長かったなあ。
なのでおもちゃで本気で遊ぶ、12歳のアビを見ていると、すごく懐かしい気持ちになります。なごやは12歳の頃には、もうそんなふうに遊ぶことはほとんどなかったから。

 気づけば超高齢と呼ばれる年齢になり、15歳すぎたあたりからはいつその時が来るかわからない、という気持ちは漠然と抱いていました。
ただまあ、私は彼にとって、嫌なことばかりする人であったので(笑)、抱っこしようとすれば逃げるみたいな間柄でしたが。

 去年、娘がずっと家にいるようになって、なごやはそれまで以上に娘大好きになりました。寝て起きた時に娘がいないと、鳴きながら家中探し回っていました。3泊4日で家を開けた時は、毎日毎日娘を探して文句言っていたことを思い出します。
この頃から痴呆が始まっていて、ご飯を食べたあと、トイレしたあとに大声で吠えるようになりました。ご飯を食べる量もなんだかおかしなことになっていて、今まではちびちび時間をかけて食べていたご飯を、犬のように与えてすぐ完食することが当たり前になっていきました。

 そして今年の3月。
ある日突然声が出なくなりました。そもそもが本当によく鳴く子で、意味もなく鳴いているようなこともよくあったのですが、鳴いているのに声がでないという状態に。あごのリンパ節が腫れてしまって、それで声がでなくなっていることがわかりました。
この時に余命2~3ヶ月と宣告されていました。
 ステロイドはよく効き、彼はすぐに声を取り戻しました。それからゆっくりゆっくり衰えていきました。

 5月の半ば頃から、急に食欲が半減、さらに半減という感じでご飯を食べなくなっていきました。
娘が教習所の合宿へ行く2日前くらいから絶食になっていたので、10日ほどでしょうか。娘は教習所に行く前の日、なごやを撫でながらしばらく泣いていました。そしてこれが本当に今生の別れになってしまいました。
この頃から、トイレを眺めながらおしっこをするという、大ボケをかまし始めたのでオムツを使っていました。
最初はトイレのなかでしない、というだけで、トイレまでは行っていたのがトイレに行くことをしなくなり、お水を飲むときも、風呂場にいって洗面器の前でじっと洗面器を見つめる(お湯がほしい)。お湯を張ってあげれば、そのお湯をしばらくじっと見つめて、思い出したように飲む、
ご飯は積極的には食べないが、ちゅーるを下唇あたりにつけてあげるとちょっとスイッチが入って食べてみる、みたいに、全てに対しての反応が鈍くなっていきました。
 ここ数日、私は数時間おきにぬるま湯を与え、がびがびになった鼻水をふきとり、ちょっとちゅーるを与えてみて、オムツを替えるといういわゆる介護をしていました。

 昨日から、明確な意思を持ってちゅーるを拒絶しはじめました。
夜中に頻繁に起きてきては鳴いていた回数がぐっと減りました。
今日は昼間に2回くらい、起きてきて玄関のほうへ向かい、にゃーにゃーと鳴いていました。
大抵こういう時はおしっこをした&お水が飲みたい時なのですが、今日の2回はどれも違っていました。
ああ、娘を呼んでいるのかなと思った時に、もしかしたらこの子は明日は迎えられないのかもしれないと思いました。
夕方、呼吸が早くお腹が大きく膨らんだりしぼんだりしているのを見て、その思いがつよくなりました。
日付が変わる頃、静かに明るい部屋にやってきました。
ここしばらくは、目をしっかり開くことがなかったなごやの目がしっかり見開いていて、目は涙でキラキラしている。必死で呼吸をしている。
その後何度か移動をしつつ、さいごは今までずっと寝ていた娘のベッドで亡くなりました。
ながい息を3回したあと、両方の後ろ足でのどをかいて、それがさいごでした。
2時ちょうどでした。

 17歳は猫にとっては大変長生きだと思います。
さいごの1年は明らかに痴呆になっていましたし、さらにさいごの1~2ヶ月は、人の区別もあまりつかなくなっていました。
名前を呼んでも反応せず、色々なことがあやふやな世界に生きているようでした。
ただ、そんな感じのなごやは本当にとても可愛かった。さいごまでかわいくて、苦しそうなのは本当に可哀想で見ていていたたまれなかったけれど、実はまだちゃんと実感がないのだけれど。

おつかれさま。うちに来てくれてありがとう。
次に会うのはまだまだ先になるんだろうけれど、それまでのほほんと待っててくれたらいいな。
娘のところに顔出してあげてほしいな。49日の間に。

 

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