サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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ぼくらの眠る時刻いつのまにか過ぎてる きっとぜんまい巻のアルバイト達足りないよ 2015-01-27

ぼくらのすてきなみかん箱 鏡の割れた宝石箱
ぼくらの眠る時刻 いつのまにか過ぎてる
きっとぜんまい巻のアルバイト達足りないよ
時計台の下まで 草の中を歩こう
かたつむりを踏まないように慎重に歩こう
(金魚鉢 / たま)

 たまを聴くとキュっとなります。寂しい曲いっぱい。あとアンニュイな曲いっぱい。知久さんの作る歌は大体底冷えがする。喪失感が
 ぼけぼけっとしているうちに26日になってしまいました。1月もあとすこしでおしまいです。毎年「ああこのペースで1年はあっという間に過ぎていくのだな」と思っているのですが、本当にあっという間にすぎてってしまう。年々早く感じるのは、自分が年食ってる証拠なのでしょう。私も3月には大台一歩手前でございます。まだぎりぎり30代。
 今日は次男のお誕生日でした。あの子は生まれた時からずっと、少し変わった子供でした。歯の生え方も上の前歯の両脇からだったし(普通は下の前2本から生える)、1歳すぎからすでにスプーンもフォークも左で使っていたし、4歳ごろには「ぼくの家」という妄想を膨らませすぎて、「タクシーにのって僕の家に行く!」といって聞かなかったり。今もいい感じに変わった子の風情は残っていますが、3人兄弟の中で一番集団の中で上手に振る舞える子でもあるので、学校ではムードメーカーになっています。悔しいけれどあいつは面白い。そんな次男が今日で15歳。そら自分もいい歳なわけだ、と思うわけです。ちなみに次男を産んだ時、私はぎりぎり23歳でした。
 赤ん坊と中学生はだいぶ違いますが、育てている側からすればいつの間にかに大きくなっているのです。当然ですが。ただただこのでっかくなりようにがくぜんとするばかりですが、それより何より彼はもうすぐ受験なわけで、私はそっちの心配のほうが大きいです。はぁ。うまいこといきますように。
 SLの話。今日はなんだかすごく褒められました。褒められすぎてどうしよう!!!っていうくらい褒められました。それも自分が昔からちょいちょい眺めているお店のクリエイターさんに。もう、全然足元にも及びません!褒めすぎだよ!っていうくらい褒められました。なんかもう、自分の英語の語彙の少なさが本当に悔しいですね。学生時代から単語は苦手でしたが、単語がわからないと言葉なんて操れないのです。雰囲気英会話には限度がある。結局気の利いたことも言えず、さんきゅーさんきゅーで終わってしまってちょっと自分が不甲斐ないです。しかし、2009年ごろの作品から気に入ってくれているとは。。。SLでものを作っていてよかったなあ、と思うのは、こういう時だなあとしみじみとしてしまいました。
 褒められた事も当然嬉しいけれど、自分がいいと思って作ったものに共感してくれる人がいるってすごく嬉しいし楽しい。私の作るものはどれもこれも私らしいとはよく言われます、、、が、自分ではその辺り、まったく自覚がなくて。好きなモノを好きなように、その時の気分で作っている部分が多いので、そこに統一感が生まれるなんて考えたこともなかったのです。何年か前までは。最近、いろいろな人のアイテムをじっくり見ていてその辺が理解できるようになりました。やはり自分の好きなものや事は作ったものに出てくるし、それを消してしまうとそれは作業になってしまう気がします。
 SL隙間産業とか自称しつつ、6年くらいお店をやっていますが、実は隙間なんてことも考えたことがないという。今のSLのトレンドとかも全然考えたことがありません。品物は売れたらすごく嬉しいけれど、売上を上げるためにお店を作っているのでもないです。これだけ長いこと店をやっているのに、お店のことがよくわかっていません。自分の趣味嗜好がニッチな方向を向いていることもうすうす自覚しています。 なので、それでも惹かれて商品を買って、使ってくれている人たちには本当に感謝でいっぱいなのです。
 当然、いつもとなりにいて、色々と助けてくれるパートナーの人にも感謝感謝。今で以上によろしくお願いしたいと思う。

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カテゴリー: 日記

誠の名に集いし遠い日を あの旗に託した夢を 2015-01-14

いとしき友はいずこに
この身は露と消えても
忘れはせぬ 熱き思い
誠の名に集いし遠い日を
あの旗に託した夢を
(新選組!OP / 三谷幸喜)

 3週間くらいかけてまとめてドラマを観て、なんかもう感動しちゃってしみじみと幕末の壬生寺、八木邸をウロウロしたのは何年前の出来事だったか……。とてもよいドラマでした。
 江戸時代ってのは260年くらい続いていたわけで、それだけ長く続いた平和な時代が終わって変わったのだから、そりゃー皆大騒ぎだっただろうし、だからこそいろんなドラマが生まれたんだろうなと、今の自分達の暮らしに照らし合わせて考えると納得します。SLで八木邸を見るとドラマの新選組!を思い出す。。
 ごきげんよう、たいこです。今日の記事はとても長いうえに、本当にちらしの裏です。面白くないよ。
 
 というわけで、1月10日のお昼ごろ、京都幕末SIMがクローズしました。2007年の6月くらいにオープンしたSIMだったはずなので(私は2007年7月からSLを始めている)、私がSLで生まれた頃にはもうあったSIMです。ネットコミュニティで流れる体感時間はリアルの3倍とか言われますが、7年を3倍すると21年。長いですね。当然、7年前にあった人間関係と今の人間関係は、だいぶ違ったものになっています。私は生まれて間もない頃から幕末SIMに居着いて友達を作り、今に至るもろもろを築きあげてきました。自分が7年も同じサイトで続いていることに関しては、自分の性格上あまり驚くべきことではありません、が、7年も続けている人のほうが少数派なのがネットのコミュニティだったりします。SLも例外ではなく、7年前のあの頃に仲良くしていた人とは、ほぼつながりが切れてしまっています。
 2007年当初、日本ではセカンドライフが必要以上に話題になり、今までインターネットで遊んだことのない人たちが大量に押し寄せました。企業がこぞってセカンドライフにSIMを持ち、自社のプロモーション活動を繰り広げました。企業SIMを巡って遊ぶという遊びは、今のセカンドライフでは考えられませんが、当時は当たり前にそんな遊びがあったのですよね。プロモーション以外でも、SIMを買って小分けにしてレンタルをする、という不動産的な商売をする会社もありましたし、大抵のユーザーはそういう会社の運営するSIMで土地を借りたりしていたのではないでしょうか。これも今では考えられないことですが、土地を借りるとお祝いのお花が届く(個人用のお家でさえ)というくらい、土地を持つと言うことがオオゴトだった時代でもあります。
 その頃に誕生したのが幕末SIMです。「KYOTO」と名前のつくSIMなので、生まれたばかりでとりあえずどこか日本ぽいところへ……と思ったユーザーが検索でたどり着くという事も多かったのではないでしょうか。ちなみに幕末は3SIMまで増えましたが、個人運営のSIMでした。
 幕末SIMができた頃、日本の大きなSIM郡は確か3つくらいありました。何年か後に、2つのSIM郡は相次いでなくなりました。今、法人としてたくさんのSIMを持っていてレンタルを行い、商売をしているのはメタバーズひとつじゃないかなあ、、、と思います(よく調べてないので正しいかはわかりません)。
 その中でも幕末SIMは3つのSIMを維持し続けていました。SIMが誕生した頃の家賃の相場のままに、いわゆる「家賃の高いSIM」として、他の不動産屋がどんどんレンタル単価を下げる中でも(7年の間に円高になったりしましたしね)当時の家賃のまま。最初の3年くらいで、SLにいる人達のSLの遊び方はどんどん変わっていきました。遊び方が変わるということは、その中にいる人が変わっていくということです。ほぼ毎日INして精力的に活動していた人たちの顔ぶれが変わるということです。その中にあって、きちんと運営し続けていました。
 私は幕末SIMのコアメンバーになったことはありません。なんかこう、SIMオーナーっていうだけで「すごいひと!」っていう風潮が2007年にはあって、SIMを運営する人たちやSIMオーナーなんて雲上人!みたいな気分だったのです。個人的に。小さな土地を持ってる!お店やってる!っていうだけで「おおすげえ!」となる時代でしたしね。そんなこんなでちょっと離れたところから、それでも幕末ではかなり好き勝手やらせていただきました。お化け屋敷を作ったのがきっかけで、今の波野家のイメージはあると思うし、ノリで始めた怪談ラジオもかなりの長寿企画になりました。お化け屋敷といえば波野家、みたいなイメージも、毎年恒例とまで言われるようになったホラーナイトも、当然去年のカガミも、最初のきっかけは、500プリムの土地でちまちまと作った幕末お化け屋敷なのです。
 今の波野家になるきっかけのひとつが幕末、もうひとつはアルベロという巨大モール、この2つの成分で波野家はできています。アルベロがなくなったのはだいぶ昔ですが、あの時もなんだかとてつもない寂しさを感じたものです。。。
 お店をやって、コンテンツを提供していく側の人たちもどんどん入れ替わります。ちまちま続けていた私は、ただ続けていただけで老舗と呼ばれることもありますが、実は商売を意識しはじめたのはお店を作ってからだいぶ後のことだったりで、かなりマイペースに自分のやりたいことをやってきています。が、作り続けることの大変さやしんどさは、私にもわかります。いいものを作ってしまえばそれ以上を作っていかねばならないし、何よりセカンドライフで出来ることがどんどこどんどこ増えていって、物を作り続けていくには、商売をつづけていくには、どうしても新しいものを学ぶことが必要で。おかげで今の、なんということでしょう!な綺麗でリアルなセカンドライフがあるのですけれども。
 幕末SIMは個人運営でしたが、何人かのスタッフがいて初めて成立するようなSIMでした。そのスタッフも入れ替わる。けれどオーナーはずっとそこにいなければならない。会社じゃないから仕事じゃない人たちの集まりですし、おそらくこの7年の間に何度もしんどいことやら寂しいことやらもあったと思うのです。7年間、ほぼ7年前と同じスタイルで運営し続けてこれたことは、本当にすごいことだと思うのです。だってネット時間に直したら21年なんだもの。
 なんだか無駄に長くなっている。思っている事はうまく言葉にできない事で、それゆえに長くなる長くなる。
 10日のお昼ごろ、私は幕末SIMにいました。ちょっとどうにもこうにも最後だけはいたかったってのがあって。午前中、プラプラとSIM内を散策していて、もう見慣れた風景があって、そこにあるのが当たり前の建物があって、これがあとすこしで跡形もなく消えてしまうのだなあ、という実感がどうしても持てず。私にとっては本当に特別な場所だったんだなあ、なんてことも実感しつつ。
Flickrにはちらっと書いたのですが、幕末の波野家の裏っかわに龍馬さんと十五屋さんがいて。壬生寺の着物市会場には終わる時間になってもたくさんの人がいて。正午予定だった閉鎖もだらだらとどうでもいい話をしつつ20分も押して。だらだらとしてしまう気持ちも痛いほどわかるし、何しろ自分もだらだらしたい気分だし、最後のグダグダこそがうまく言葉にできないあれこれのすべてだった気がします。
 セカンドライフはリアルで生きていく余分を使って楽しむ場所です。すべてをひっくるめて考えて、楽しさがプラスにならなければいる意味のないところです。娯楽だもの。私自身は全てをひっくるめて楽しい方向に傾いているので続けているし、これからも続けるだろうなと思っています。けれどその感覚は人それぞれだし、当然ネットの中にいるのも人間同士だから、しがらみやら何やらも色々あるんですけれども、それでも自分自身を優先させていいところだと思っています。だって娯楽だから。楽しむためにしていることが義務になるなんて本末転倒だから。
 感傷的になったこの年末年始のあれこれも、そろそろ気持ちを切り替えて次のことを考え始めなければなりません。終わったことは終わったこと。幕末が終わったことは、今後私の中でやはり何かしら影響を与えて行くと思います。そして人も物事も、そうやって変わり続けて行くものだと思っています。
 タイミング的にも色々と物事が切り替わるタイミングだったよそういえばね、と、こういう時に少し自分の感情と距離を置いて考えるのに、占星術は便利。目前にはイベントの締め切りが迫っていますし、イベントは次から次へとやってくるので、ひたすら作り続けることがメインのセカンドライフはまだしばらく続きます。
 ひたすら作り続けている横で、一緒に楽しんだり応援してくれているパートナーの人との時間も今はメインだったりしますが(笑)
 長い事つらつらと書きましたが、今日の日記は本当にチラシの裏!個人的な思い入れをここにぶちまけて、気持ちを新たにするのです。こういうけじめは、多分大事だと思う。

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カテゴリー: 日記

いでよ初日の出 照らせよ我が大地を 2015-01-05

Happy New Year
ごちそう食べてお金が儲かるぜ たまらない
(お正月/電気Groove)

 去年もこれ。しょうがないよお正月だもの。
 お金が儲かるぜとか言ってたお正月がきていた時代が懐かしい。今や年末はできるだけ千円札を使わないでお年玉に回す日である。お年玉なんて誰が考えた風習なんでしょうね。子どもが多ければ多いほどお財布が軽くなるよ。というわけで、年末駆け込みで引き出してきた5万円はあっという間に消え去って、今財布の中には三千円。ぎりぎりで正月後半を乗り切った感があります。稼ぐのは大変なのに使うのはあっという間!切ない。
 ごきげんよう、たいこです。
 毎年年が明けた瞬間から、休みの残り日数を数えるという、ここ数年まったく成長のない正月休みを過ごしております。今年も1日から、休み終わりのカウントダウンをしていました。ほんとね、12月はうっきうきなんですよ。「あと10日も休みがあるー」とか思ってるわけですよ。その10日間、私は一体何をしていたというのか。気づけば明日から仕事が始まる。仕事のことなんてすっかり忘れちゃってるわけですけれど、おぼろげな記憶をたどるとやり残したままの仕事がいくつもある。年明けからめちゃくちゃ忙しい予感なわけです。わあ、、、考えたくない★
 今年は年をまたいで母が入院していたこともあり、いつもとは違うお正月だったわけですが(初詣もかなりあっさりと終わらせてしまいました)、その分SLでどっぷりお正月を満喫しました。いつも長い休みの時はあれこれと出かけ気味なパートナーの人ですが、今回のお休みはずっとSLに。寝正月じゃなくてSL正月。ともあれ、カウントダウンやら年越しやらを一緒に出来たのはとてもよかった。いいんだSL充で。一緒にいても特に何をするわけでないんですけれども、ここのところSLに行けばパートナーの人がいるっていうのが当たり前の日々です。まあ、、それも今日でおしまいなんですけれども。仕事始まるし。(最初に戻る)
 前回の記事で「洗濯物が終わらない」と書きましたが、まだ終わっていません。本当は大物まで洗濯したかったんだ。全然たどり着かない。今日の午後、やっとたまっている分を消化しきった感じです。しかし洗濯物というのは日常的に増えるものなので……。常に綺麗すっきり!何もない!という状態は不可能でしょうね。。。明日から仕事ですが、明日、子どもたちの着る毛布を洗濯してしまいたいところ。本当は自分のも洗いたいんですけれども。
 大きな休みがあると実感すること。仕事をしていないと家事が捗るということ。私はご飯を作る以外の家事が苦手です。整理整頓とか私にやらせるなと思うくらい苦手。けれど、仕事をしていないと普段手の回らない苦手分野にまで手を伸ばせたりする不思議。時間がないわけではないのです。仕事していても、きっちり定時で帰ってくることがほとんどなので、やろうと思えば時間はある。ないのは心の余分。「よし、ちゃんとしよう」という気持ちのシフトが効かない。きちんと片付けていられている休みの期間は、精神衛生上とてもよい。気持ちもよい。けれどこれが仕事に行き始めるとできなくなるわけで。。。どうにかならないもんかなあ。
 休みの間にブレンダーを覚えよう!という試み。なんとかモデリングは出来る気がしてきました。それでもメタセコ使うのの10倍くらい時間がかかってしまうので、目の前にある課題(イベントとも言う)に向かうときはどうしてもメタセコに戻ってしまいます。そりゃ1年かけて覚えたソフトなので、こっちのほうが馴染んでいて当たり前。しかし、ブレンダーを少し学んだ時に触れたUVの分割方法は魅力的でございました。メタセコで慣れていると「なぜそれでそんなに綺麗にテクスが貼れるのか」と不思議でならない。。。しかし、もともとがベタテクス+レンダリングという作り方をしないため、それに慣れるのも少し時間がかかるのかなあ、、、という風味。なんとか夏にはリグメッシュマスターしたいのですが。
 お休み最後の今日、びっくりするようなお願いをされました。前記のリグメッシュにも関わってきて、こりゃ本気でブレンダやらないと……と思っています。しかし私の物づくり、一般的な作り方とはかけ離れているんだよなあ。デッサンだとか「これを作るぞ」だとか、そういうもの一切なくふんわりと作り始めてしまう。なので作ってる本人も出来上がるまでは何が出来るかわからない。作りたいものを作りたいように形作る、という能力は、多分すごく低いです。いじっていたら何かが出来たという物づくりを、SLに来てから7年、貫き続けています。もっと遡ると小学校の図工の時間からなのですが。0から生み出せないくせにきちんと設計図通りに作ることも出来ない。でもなんか形になってる。教科書があるわけでもないし、作り方なんて人それぞれだからこれが不正解とは思っていませんが、何かを覚えようとするときにはこれはとても遠回りなのでは。。。という気がしなくもない。とりあえず春に向けて、諸々頑張っていきたいなと思う所存。
 年明けくらいから、次男が「いなり、こんこん、こいいなり」が面白いよというので観てみました。なるほど中学生くらいの子には楽しいのかもしれないなという内容。いい歳のおばちゃんには、ちょっとついていけない部分は多々ありました。しかしたまに挟まるパロディの小ネタは面白かったし、全体的にはさらりと観れるアニメでございました。なんでしょう、ほんとにここ何年、妖怪とか神様とかそういうのが流行っている気がします。SLで着物屋をやっているくらいなので、私はもともとそんなテイストのものが大好きです。流行っていると求める情報にたどり着きやすいという利点がありまして、その点では大変喜ばしいのですが、「妖怪」で検索すると妖怪ウォッチまみれになるこの感じはなかなか厳しくもあります(笑)。私が知りたいのはそっちじゃないんだ……!
 ここのところ映画を観に行っていません。休みも終わりましたが、今週末あたりに観に行けたら行きたいなあ。ベイマックス。
 普通になんとなく暮らしている日常で、未来の話を出来る嬉しさ。何気ない事ではありますし、未来のことなんて明日のことだって不確定であやふやなものですが、そのあやふやな中でこそ、「予定」というものはひとつの安心材料なんだよなあ。その予定が当たり前のように日常のやりとりの端々に出てくる感じはとてもうれしくて楽しいことなのです。普通じゃない、退屈じゃない日常を20代の終わりの頃に経験したおかげかどうなのか、退屈で変わり映えのしない毎日こそが幸せだと信じて疑わない私です。ジェットコースターみたいな日常にはもう、心の底から疲れてお腹がいっぱいなのです。1年後、5年後、10年後が当たり前のように想像出来る暮らしは、幸せな暮らしなのです。実際の5年後10年後が想像通りにならなかったとしても。

いでよ初日の出 照らせよ我が大地を はコメントを受け付けていません
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