サボテンとバントライン
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中也の詩集をあげよう ポケットに偶然入ってたんだ 用意したんじゃないぜ 2014-11-28

いつかある日目覚めて誰もいなくて一人っきり
そんな時があったら呼んでくれたっていい
「大丈夫だよ」と、前を向いて歩きだす君呼び止め 今
中也の詩集をあげよう 本当は用意しておいたんだ
(じゃあな / 特撮)

オーケンといえば中也と乱歩。で、これは中也。
といっても私は有名ないくつかしか知らないんですけれどね。中也の詩。
ごきげんよう、たいこです。
 記念日のことを考えていて、そういえば私達の記念日はいつだったっけ?と、昨日パートナーの人と話しながら記憶をたどりつつ、その頃のSSや記事を眺めておりました。結局はっきりいつだか分からないままだったのですけれども……(笑)実に自分に都合よく、周囲とのめぐり合わせをつなぎあわせて「縁があったんだわ」と思うことは私の得意技ですが(こういうのを運命って言うんだと思う。運命は自分で作るものなのです)、そういえばこの頃もそんな事を思うような出来事があったなあ、、、なんて懐かしく思いながら。そして、パートナーの人のペースに合わせようって最初から決めて付き合い始めたってことを改めて確認したりしたのでした。
 それでもですね、実はひとつだけ、最初の頃からの気がかりがありました。タイミングと自分の気持ちとを図りつつ、いつ聞こうか……と考えていたんだけれども、それをこの間、聞いてみました。
 いい予感っていうのは、そこに希望が込められている分、持ち続けていると苦しいので、いつでも心のなかでは最悪を想定しています。今回のことは、自分の心のおきどころを決めるためにもとても大切な事で、これ以上引き伸ばしても自分にとってはいい事がないなと思っていました。彼の話を聞いていて、本当に、すごくきちんと考えてくれていたことに感動したのでした。
 わたくし、自分で自分にはめていた枷を外した開放感でいっぱいです。すっきり。大切なことほどなかなか口に出して言えない。どうでもいいことは気軽に言えるのに。でも言ってよかった。わーい。


 自分のために何をしてくれるかということはとても大事な事だと思います。しかし私にとって、それ以上に大切なのは、相手が自分に対してどのように向き合ってくれているかって事。私のパートナーの人は、おそらくすごく頑張っているしすごく真摯に私と向き合ってくれています。本当にありがたい。私は、これほどまでに考え方の違う人と付き合ったのは多分初めてなのだけれど、その中でこんなに丁寧に関係を築き続けていけるのは、パートナーの人のその真摯さと一生懸命さのおかげに他ならない。
 本来、気持ちを相手に伝えるということは、本当にすごく大変で難しいことです。けれど私達は、そのことをうっかり忘れがちです。そして手を抜く。そのうえで通じた気、わかってもらえている気になっていると、いずれ関係はこわれてしまう。私は今、パートナーの人とのお付き合いの中で、改めて学ぶことや新たに発見することがとっても多い。38歳にもなって、こんなにもまだ学ぶことがあること、そういう発見があることは本当に幸せだなあと思うのです。


 幕末SIMが1月で閉鎖になります。7年。長い。歴史が長い。私の本格的なSL生活は幕末から始まったようなもので、それからずーっと幕末のお世話になっています。主な生息地が別のところに移っても、やっぱり幕末は自分のホームタウンな気分でいました。2007年当時からずっとSLを続けている人は本当に少なくなりましたし、7年間続けてコンスタントにログインしている人なんて本当に微々たるものなのかなという気はします。なので幕末というSIMも、外見も中身も7年の間に本当に色々変わっていったきがする。幕末SIM閉鎖をうけて、Flickrに幕末のグループが出来ました。新旧の幕末にちなんだSSを集めているのだけれど、その過程で自分の撮った古いSSを眺めていて切なくなったり。なんだり。終わってしまうのは本当に悲しいし、あのSIMでは色々な出来事を経験したし、なんとも言えないけれど、こんなに長い間、SIMをいい塩梅に運営してきた竜馬さんは本当にすごいなーと思うし、本当に色々お世話になって足を向けて眠れません。大変なことは山ほどあったと思うけれど、本当に今までお疲れ様でした。と。


 次男の人の受験な感じも大詰めです。昨日三者面談で志望校について詰めて行ったのだけれど、彼の志望校、現在の彼の学力では圏外の更に外といった感じ。。。今から死ぬ気で勉強しても、奇跡でも起きない限り合格しそうにありません。が、そういう諸々は本人も自覚の上で受験したいというので受験させてみるつもりです。落ちるだろうけど(笑)。だめと分かっていてもやってみないと納得出来ないことはあります。本人が一番納得する形でさきのことを見つめて行きたい。
 今日は娘の個人面談でした。6年生なので彼女も卒業まであと少しなのですが。この子は高学年時代の担任の先生に恵まれたおかげで、3人のうちで一番まともな成績をとっています。3年後、やっぱり選べる学校は多いほうがいいと私も思うので、ぜひこのまま地道に勉強をしていってほしいと思う。彼女はこの夏くらいから明らかにオトナになった感じがしていて、気づけば兄弟げんかも本当に少なくなりました。家のなかが静かです。楽しく賑やかなのは大歓迎だけれど、喧嘩してうるさい状態が、私には本当にとってもストレスだったので嬉しい限り。自分を主張するだけでなく、円滑に進めるために自分がちょっと損をすると思ったことも嫌がらずにする、ということを覚えたようです。その方が自分も周りもずっと気分がよいのだよね。そしてそういう言動は、周囲の人は必ず見ているから、まわりまわって損をするばかりでもないよっていう。こうして少しずつ子育ての作業は終了していくんだろうなあ。。と、なかなか感慨深い。


 12月も目の前になって、RLもSLもクリスマス色が強くなってきました。いい塩梅にクリスマスギフトが作れたらいいのだけれど、どうなることやら。。やりたいことはたくさんあるのですが、気力と技術がなかなか追い付きません。でもがんばる。

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カテゴリー: 日記

もう言葉など南無阿弥陀仏だけでいい 木魚を叩け 2014-11-17

バン バン バンギャ数珠つなぎ
東名阪&水戸ライトハウス
檀 檀 檀家数珠つなぎ
十三回忌も忘れた
そもそも葬式やっちゃない
これもカルマだ 涅槃で待ってろ
涅槃で待ってろ 数珠つなぎで
涅槃で待ってろ
(ニルヴァナ / 筋肉少女帯)

いきなり寒くなりました。。。
 今朝シャワーを浴びてびっくりしました。朝シャワーが辛い季節になってまいりました。我が家の目の前は銀杏並木です。もうだいぶいい感じに銀杏の絨毯ができつつあります。銀杏の散るころになると、掃いても掃いても際限のない放課後の渡り廊下の掃除とかを思い出します。公園でたくさんかき集めた銀杏の葉っぱの山にテンションがあがる、とか。いたるところに銀杏が生えている環境で育っているのですが、どこの地方もそうなのでしょうか。東京だからなの?その辺はよくわかりません。
ごきげんよう、たいこです。
 ここのところ首の調子があまりよくありません。おそらく病院に行ってリハビリ&薬を飲まないとよくならないんだろうなと思いつつもなんとか湿布でごまかしています。今使っているのがおきゅ膏っていう小さいテープみたいな湿布なんですけれども…この粘着剤と私の皮膚の相性が非常に悪い。ロイヒつぼ膏と私の皮膚も相性が悪い。
貼った瞬間から痒い。けれどこれを貼っていないと背中も首も手首も辛い。背中は自分で見ることができないわけですが、どうもテープの形にかぶれてかさぶたができている気がします。なんだか地味に八方ふさがりの気分。
 肩こりがひどいー。とぼやいたら、パートナーの人に運動をしなさいと言われました。運動不足なのは百も承知で、今の私を知る人は私が20歳になるまでは運動しまくってたなんて全く信じてもらえないのですが。体を動かすのは好きなのです。体を動かす気持ちよさは知っている。けれど一人で運動を始めようと思うと、ものすごく腰が重たい……!
 運動嫌いじゃないですが、運動能力が悲しいほどないのです。誰かに手を引かれないと運動できなーい。とか甘えてる場合じゃないのかもしれません。パートナーの人にダンベル運動を勧められました。うむ。やってみよう。肩こりがそれで楽になるなら。ついでに重力に逆らいきれずに可哀想なことになっているおっぱいとかのためにも。
 本当は一人でやるなんてやだ。とか思ってるんですけれどね。そんなことを言っていても始まらないのでね。


 どれだけ寝ても寝足りなかったり、またびっくりするほど眠れなかったり。なんだろうこれ更年期?とびくびくしながら暮らしている38歳。PMSもありそうです。女の人の厄年は30代にがっつり固まっていますが、自分が30代になってすごく納得している。本当に30代って色々あるよ。。。月の半分はどっかしら体調が悪いとか、どう考えても女性ホルモンのしわざなのですが、なぜ30代でこんなに症状が出てきてしまうのでしょう。そんな30代もあともう少しで終わってしまう。自分が40代になるなんてまったく信じられませんよ私は。
 なんか大人ってもっとしっかりしているものだと漠然と思っていて、それは自分が20歳になる時にも、30歳になる時にも、描いていた20歳、30歳像と実際の自分のギャップに愕然としたものですが。不惑の40なんて全く信じられないアラフォーな私。惑いまくる気がするよ。いまだに3年先の自分が想像できない。40歳なんて中年で、自分がその中年と言われる年代になっているその事がまったく実感できない。ははあ、世の大人たちも皆こんな風に感じながら歳をとっていっていたのだな!と、見るとやるでは大違いを実感中。しかしね、いい加減落ち着きたいと思う気持ちも強いのです。私の夢は手をつないで近所のスーパーに買い物に行く老夫婦になることなのです。
 自分でもどうかと思うくらい、乙女な部分を残しまくっている情けなさはあるのです。なんかもうファンシーとかメルヘンとか、そういう域でしょう、40歳で乙女とか。「かっこいい女」とか絶対に無理。なれない。相変わらず追い続けているのはかわいい自分。
 可愛げをどこかに置いて成人してしまったあたりで可愛げの大事さに気付き、それからずっと可愛さを意識して生きています。自分がそうなってしまった原因も、冷静に自分の人生を振り返れば原因が見える。しかし、そのせいで今の自分がこうだからと言って、今の自分は自分で落とし前をつけるしかないのです。今自分に足りないものは、自分で補わなければならない。私は全然しっかりした人間ではないのですが、それでも必要に迫られて最低限しっかりしています。この最低限のしっかりっぷりも、ある一面では息切れしてしまっていてしんどいなあ、と思ったり。甘えるのは下手ですが、甘ったれではありますし、甘えたい欲求もすごく強いです。自分のその甘えたい気持ちに潰されるようなことはなくなりましたが、若い頃はそのまま押しつぶされて真っ暗な部屋の中で体育座りみたいなことにもよくなっていました。特に今の季節は。
 今も11月は私にとっては魔の季節です。本当に、些細な事で心が折れそうになる。うまくなったのは、そういう自分の心持ちをある程度コントロールする術です。どうしようもないくらい落ち込んでしまうようなことは、そういえばここ何年かは経験していないと思う。


 気持ち、悲しいとか傷ついたとか、辛いとか気まずいとか。そういうものに慣れるとよく言いますけれど、私はそれは嘘だと思っています。傷つく人は何度同じことで傷ついたとしたって、やっぱり同じだけ痛いと思うし、辛いのもしんどいのも慣れるなんてことはない。ただ、うまく自分に暗示をかけられているか麻痺しているかのどちらかです。そうすると、自分の意識にその気持はあがってこなくても、自分の意識していないところでどんどんどんどん溜まっていってしまう。気づかないだけに限界以上にたまってしまうことだってある。もう無理だーって決壊したところで気づくんだと思うのです。それはもうちょっとした噴火ですから、自分も周囲も無傷で済まないことも多い。ヘタしたら自分が壊れてしまうことだってある。がまん強かったり責任感の強い人ほど、限界を超えて貯めこんでしまうような気がしていて、実は今、私は本当に心配したりしています。それでも今、私のこの現状で出来ることは本当に少ない。ほとんどない。どうしたものかと思うけれど、どうしようもないのでせめて、きちんと見ていようと思っているのです。辛さは想像できる。想像してしまう。本当に大変だろうなあと思うのです。心配。

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カテゴリー: 日記

へっちゃらだよだってね、誰の人生も所詮、絵空事 CG処理さ 2014-11-11

シネマタイズ 僕らが生きてた地獄を
笑い合えるように変えられるものなら
シネマタイズ 僕らが生きてたあの空まで
さあ女優は飛んでいけ

(シネマタイズ(映画化) / 特撮)

今年の2月くらいに行ったライブは楽しかったなあ、と、この曲を聞きながら思い出す。
ライブまで間がない感じで買ったアルバムだったので、あの頃はとにかくひたすら聴いていた気がします。
ごきげんよう、たいこです。
 いつだったかの記事に「チクワの天ぷらはすごい」って話を書こうと思ったのに書けなかったって書きました。なんだか「書く」の多い文章だな……。それはさておき。あれから何度か記事を書いているのにチクワの天ぷらのこと書いてないんです。
 いつも「今日はこれとこれを書く」って決めることをせずにブログを書いています。いつだって行き当たりばったり。なのでたまにこうして書きたいものがあっても、その場の勢いに流されてしまって書き忘れる。書き忘れたってどってことない話なんですけれども。チクワのことなど。むしろこの日記自体、なくなったら困るような情報はほとんどない。生活のお役に全く立たないブログ、サボテンとバントライン。
 で、ちくわの話です。
イオンに行くとトップバリュのちくわを買います。4本入っていて78円くらいなのです。安い。庶民の味方なちくわ。素晴らしい。
 私は普段、ちくわを唐揚げにして食べます。
片栗粉・小麦粉・醤油・カレー粉を混ぜて揚げるだけ。すごく簡単で子供にも喜ばれます。カレーは最強なのです。カレーじゃなくてちくわの話だよ。
 たまにちくわの穴にキュウリをさして、お弁当に入れたりします。うちには河童みたいな子どもがいるので大変喜びます。夏はキュウリに味噌をつけてポリポリかじっている。味噌はお皿にとってからつけてほしい。
 ちくわってよく考えたら、ものすごく手間のかかった食べ物なのです。魚をすり身にしてつなぎを入れて味付けをして、棒に巻きつけて焼くのです。すり身にする時点で嫌になりそう。なのにあのお値段。機械でやっているからこそのあのお値段なのでしょうけれど、それでもやっぱり手間はすごくかかった食べ物だと思う。あのまま食べられるし。
 ちくわの天ぷらや唐揚げは、その上さらに手間暇かけた料理なわけです。調理してあるものをさらに調理する。原料の白身の魚だった頃に思いを馳せると、気が遠くなる。白身の魚は白身の魚で、それだけで食べられるものなのに、私達はそれに気が遠くなるほどの手間暇をかけて、ちくわの天ぷらをつくる。はあ、すごい。
 豆腐にしても油揚げにしても同じことで、そもそも大豆をあのように加工することを思いついた人ってすごい。さらにそれを油で揚げようと思った人もいるわけです。ものすごく手間がかかっている。でも私達は油揚げをそのまま食べることはしないし、スーパーで気軽に買ってきてお味噌汁に入れたりする。
 朝ごはんは冷奴に納豆に油揚げの味噌汁、なんてよくあるメニューですが、これほとんど大豆でできている。味噌もやっこにかける醤油も納豆も油揚げも。原材料のことを考えたら、やっぱり気が遠くなる。
 しかし豆腐と油揚げはもはや別の食品だし、納豆だってそうだし、味噌も醤油も全然違うものだけれどあいつらもやっぱり大豆。大豆をそんなに多種多様な食べ物にしてしまうなんて本当にすごいことだと思う。
 我が家の猫はキャットフードしか食べません。食べさせていません。キャットフードが一番猫の健康に都合のいい食べ物だからです。猫はもう何年も同じ味のご飯を食べていますが、不満はないようです。私無理。絶対無理。毎日同じものなんてきっとそのうち体が受け付けなくなると思う。多分その辺がちくわやら油揚げの理由なんだろうなあ。
さて、完全にちくわブログになりました。
全く収集がつかないので、一旦これで〆ようと思う

へっちゃらだよだってね、誰の人生も所詮、絵空事 CG処理さ はコメントを受け付けていません
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