サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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言い訳をこのくちびるはしないの ないものを数えてもどこにも辿りつけない 2013-07-29

左か右かの毎日を選んだら、
例えば涙の日も運命を楽しむの Yes,Like a Game
Oh baby この次はいいことが手招きする
誰よりも運がいい それはわたしのことだわ
(NO EXCUSE / MULTI MAX)


あるもんですねえ。びっくりした。Youtube。
間違いなく私にかなりの影響を与えてる曲。
いつだったかこの曲を聴いていて「はぁぁぁぁぁ。そのとおりだなあ」って納得してしまった。
こういう生き方がしたいって思っていたんだと思う。
今もそれは変わらない。
ないものを数えても仕方がないし、今の不運が明日の幸運につながることだってある。
けれど今ある不運に嘆いていると、その幸運を見逃すのだよなあ。
ちなみにマルチマックスはチャゲのバンドですが、この曲を歌っているのは浅井ひろみ。
この曲は女性ボーカルが説得力を増す感じですねえ。
ごきげんよう、たいこです。
とっても長いお休み明けの今日、出社したら誰もいませんでした。
うん。そういえば今日は地方会議の日だった。
しかし朝からメールだけはものすごい量が来ていて、いきなり軽くめまいがしそう!みたいな状態に。
いきなり3日休むとこうなるのか。。。って色々噛み締めつつ、ひたすら溜まった仕事を消化する作業に明け暮れた1日でございました。もうやだ。
気分の問題で、1つ仕事をかたづけている間に3個のしごとが増えるという状況はやっぱりつかれるのですねー。
気持ち的に。
とりあえず今日中にやらねばいけない仕事だけ片付けて、病院の薬もなくなったことだし…と病院にいったらなんと水曜日までお休み。薬なくなったんですけどどうしたらいいんですか私。
怖い。自分のお腹がものすごく怖い。
先ほど最後の薬を飲みました。
なんかね、薬飲まないでいるとお腹がすごく鳴るの。
嫌な感じしかしないの。
でも普通のご飯は食べられるの。気持ち悪いのもそんなにないの。
でも怖いの。
そんな感じ。
明日もまだまだ気が抜けません。お腹に優しい食事を模索する日々である。
でも仕事も忙しい。。。やだ。もうやだ。


ないものを数えてもきりがない。
ないものを「ないよう、ないよう、ほしいよう」って言っていても手に入らない。
手に入る物もあるけれど、絶対に手にはいらないものもある。結構ある。
今あるものを尊重することは大切だ。
ほんとに大事なものはなくしてから気づくんだぜーってバンプ・オブ・チキンの人たちは言っていたけれど、
なくしたら大変だってわかってる大切なものなんて実はいくつもあるはずだと思うのです。
或いは1つだけ。
なくしたくないよう、って思っていたってなくすときはなくすのです。
だから、自分の手の内側にある間はできるだけ大切にしないといけない。
ないものに思いを馳せるのではなく、今あるものを大切にしていると次に手に入れたいものは自ずと絞られてくる。
すべてをなくしてやりなおすような望みは今ある自分を否定していることにほかならない。
ないものを数えることとあるものを数えることと。
楽なのはあるものを数える方。
だっていくらないものに手を伸ばしたところで手は届かない。
今あるものがなくなるわけじゃない。
そこにあるもののどういう面を見るか。
できるだけ良い面をみることは自分にやさしいこと。
それでもどうしても辛くなったらそれは切り離すこと。
切り離し切れない時もできるだけ自分から遠くへ置いておくこと。
逃げるのは悪いことじゃないけれど、逃げ方を間違えると3倍になって自分に返ってくる。
そしてそれは全然楽じゃない。
それから、自分から逃げることだけはどう頑張っても出来ないこと。
だから、それは諦めてそんな自分のいい面を眺めていたらいいと思う。
よくないと思う面は少しずつよいと思える方へ転がれるようにちょっとだけ頑張ったらいいと思う。
自分以外のものは、わりとなんでも切り離せるものだと私は思っている。
そこにどれだけの労力や精神力がかかるにしろ。
けれど、明日の、1週間後の、1年後の自分の事を考えて、切り離すほうが楽になると思ったら、
ちょっと頑張って切り離すほうが自分にやさしいと思う。
それでも、どんなに手放したいと思ったとしても、
どんなに手放したくないと思ったとしても、
それはいつか、絶対に自分の手から離れていくのです。
どんなものでも。
でもそれを憂いていても仕方がない。
私たちは最終的には自分の死によって、全てのものを手放さざるをえない。
けれどその先に何があるかは、死んでみないと誰にもわからない。
死んだらすべてが終わりなのかどうかも、ほんとうのところはわからない。
どうせいつかは全てなくなるものならば、せいぜい今あるものを大切に愛しんでいたいなと思うのです。

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カテゴリー: 日記

ようやくお休みを言ってやっぱりムクムク 起きちゃったまたする?

愛がぬいぐるみのように抱かれたがってる
僕は心のままに答えてあげる
(綿いっぱいの愛を! / 特撮)

「起きちゃったまたする?」のセリフがとっても可愛くて好きです。
ごきげんよう、たいこです。
体調戻るかと思っていたらかなりしつこく不良のまま、私の胃袋さんは一体どうしちゃったんでしょう?
と思っていた週末ですが、日曜日にはきちんとご飯が食べられるまでに回復しました。よかった。
仕事にいって困るのは、外ではお粥みたいなものが食べられないこと。
普通のご飯が食べられないと外でご飯が食べられないのです。
コンビニのお粥っていう手もあるにはあるけどもね。
おそるおそる夕飯を食べ、全く胃もたれもむかつきもないことに一安心。
あれですね。胃はいたわってあげないといけません。
ゆっくり腹八分目っていう当たり前の感じを徹底しておこうと思います。
あとよく噛んでね!
そんなわけで結果的にものすごく休んでしまったこの週。
2日しか会社行ってないよ。。。
今日は会社の人から電話がかかってきました。
週末ずっと仕事してるってそれ何のための週末なの?
そうまでしないと仕事が終わらない仕事ってなんなんだろう。って本気で考える。
私たちは仕事をするために生きているのではない。
仕事は生きるための糧であって、仕事に人生が押しつぶされてしまうのでは本末転倒だ。


今日は映画を2本見ました。huluで。
1本は「ツレがうつになりまして。」
劇場公開の時から気にはなっていた映画なのですが、機会なくてなかなか見れず。
思っていたよりしっかりとした映画でした。
私はこういう夫婦になりたいっっっっ。と強く強く思いました。
あとものすごく人肌恋しくなる。
パートナーが生きるの死ぬの、些細な事で気分が上下したりくっついてほしがったり突き放してほしがったり。
うつってそういう病気のような気がします。
その気分に振り回されて周囲もへとへとになってしまう、というような。
うつになった本人もしんどいだろうし、パートナーである奥様も相当しんどいだろうなと思うのですが、
そういうしんどい中、不安がイッパイの中、それでものんびりてきとうにーって姿勢を貫けた奥様がすごい。
いいなあああああああああこういう夫婦!!!ってほんとに思った映画でした。
よかった!
2本目は昔見たやつ。「パルプ・フィクション」。
実は19歳の頃に見たきりで、細かいところとかさっくり忘れていた私。
よし見てみよう。って見なおしたら、印象全然違かったっていう。
でもやっぱり面白いんだよなあ。
19歳の私はこの映画でこんなにゲラゲラ笑わなかった気がするけれど。
今日観たパルプ・フィクションは、笑ってしまうところいっぱいのおもしろ映画でした。
あと、ジョン・トラボルタがものすごいチャーミングに見えたな。。
なんだろう、人って歳取ると色んな物の見方が変わるんだなーって実感しましたよ。私は。


SLのお話。
28日はRezDayでした。
昼間ボケっと遊んでいたら、唐突にマケプレから何かが…。
彼氏の人からのプレゼントでした。
普段お買い物しないのに選ぶの大変だったろうと思うのですが、たくさんの本をいただきました。
なかなかINできなくなってから2ヶ月でございますが、なんかまあ許してあげようと思うよ。
箱庭の青い巨人からもワンピースいただきまして。
ほんとにありがとうございました。
なんとこれで6歳。
長いこと遊んでるなあ。SLで。と思ってみたものの、私は1つの遊び場にハマるとあんまり飽きることもなくそこに居続けてしまうので、6年続いた感じは自分では意外でもなんでもないのです。
本当にたくさんの人と知り合って別れて知り合って別れてしてきましたが、
もう会わないひともそうじゃない人も、ありがとうっていう気持ちは持ち続けています。
出来れば皆幸せになれっ。って言うことも思っています。
またこれから1年、きっと新しい出会いもあることでしょう。
これから1年ってまた来年も当たり前に続けてる感じで書いていますが…笑
まあ続けて遊んでいることでしょう。
これからもひとつ、よろしくお願いします。

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カテゴリー: 日記

それはすばらしい、たましいのむすびつき 2013-07-26

きみのゆくみちははてしなくとおく、
かふくはあざなえるなわのごとくきみにふりかかるだろう。
しかしみよ、
きみのそばにはおなじたましいをわかつものがいる。
それはすばらしい、たましいのむすびつき。
なんてかいてきなせいしゅんのほうほう
(極東学園天国 / 日本橋ヨヲコ)

これは日本橋ヨヲコの「極東学園天国」の冒頭に載っている詩です。
私はそんなに漫画に詳しくないので、おとなになるまで日本橋ヨヲコの漫画を知らずにいました。
私に日本橋ヨヲコを教えてくれたのは、今となっては大変懐かしい記憶となっている大好きだった人。
青春をこじらせると青い時代は長引いてしまう。
私の青い時代は、二十歳を過ぎた頃から数年中休みして、三十歳になるまで続いたのでした。
今までに色々なものをこじらせて来ている私ですが、三十歳になった時にとりあえず大人の仲間として足並みを揃えられたのは私に日本橋ヨヲコと、ひとりで遊ぶこと・孤独であることを楽しむことを教えてくれたあの人のお陰であるところがとても大きい。相手はどう思ってるんだか知りませんけれども。
そんな訳で、今はもう二度と会うこともないその人には大きな感謝をしているのでございます。
ごきげんよう、たいこです。
今日は特別な日でございました。
仕事を休んでいなければこんなふうに時間を過ごすことはなかったと思うのだけれど、結果的にそういうふうに時間を過ごしたのだからそういう日だったのである。
日本橋ヨヲコは今、IKKIという月刊誌で連載をしています。
著者にしては異例とも言えるほど息の長い連載をしています。
私は単行本化した彼女の作品はすべて持っていますが、一番長くて4巻なのです。
どうも連載中に打ち切られることが多かったようなのです。切ない。
きっと彼女の作品に元気をもらったり希望をもらったりした人は多い。
私だって、出来れば彼女の作品には10代の頃に会いたかったって痛切に思ってる。
アツくてクサくてダサい事の中には、大事なものがたくさん詰まっていると私は思うのです。
彼女の作品には傷をたくさん持っている人たちがそれこそわんさか出てくる。
大体皆が傷を抱えてる。
泥水の中で傷だらけになりながらもがいてもがいて、それでも上を見続けられる人の美しさ。


子供を妊娠すると母子手帳がもらえます。
この母子手帳は、小学校入学するまでフル活用する子供の成長記録でもあります。
すごくよくできている手帳なのです。
それさえあれば、どういう経過を経て出産に至ったのかも、
自分の生まれた場所も生まれた日も時間も生まれた時の状態も、
生まれてからどのくらいでどんな予防接種をしたのかも、
どのくらいのペースで大きくなったのかも、
いつ喋り始めたのかも、立ったのかも歩きはじめたのかもわかるようになっている。
もちろんきちんと記録していればの話ですが。
そこに成長曲線というグラフが載っています。
折れ線グラフで子供の身体的な成長を書き込んでいくそのグラフには、60%の帯と80%の帯が書き込まれています。
それは、その月齢の子供の6割/8割がこの帯の中にはまるよ、というガイドライン。
私の長男と次男は揃って2歳児検診というものを受けています。
普通は受けないんですね。2歳では。
1歳半で受けたあとは3歳まで公費でまかなえる健診はない、、のです。
2歳で健診を受ける子は、この80%の帯から外れた子なのです。
長男は言葉が出てくるのが遅くて、2歳になってもしゃべることのない子でした。
そのせいで2歳の時に保健所から呼ばれました。
次男はとても体が小さくて、身長と体重が80%の帯から下回ってしまって呼ばれたのでした。
幸いどちらも「この子なりに成長していますね」というお墨付きをもらって事なきを得たのですが、
この80%の帯って、幼児期を抜けたってきっとずっと、
おとなになった今だって私達の中に歴然としてあるものだと思う。
そして、この見えない80%の帯は小学校、中学校、高校と行くにつれてその中で暮らす子どもたちに絶大な影響力を与えるのだと思う。


日本橋ヨヲコの作品は、この80%から漏れてしまった生きづらい思いをしている子どもたちに元気を与えてくれる。
それでいいんだよって教えてくれる。
あきらめないで、人とぶつかることの大切さを、生きることの素晴らしさを教えてくれるのです。
我が家の子どもたちは、結構小さい頃から当たり前に彼女の作品を読んでいます。
私以上に繰り返し繰り返し読んでいます。
中学生の子どもたちはそろそろこの作品の中に込められている意味を理解し始めるだろうと思う。
こういう素敵な作品とともに成長出来ることは、彼らにとって間違いなく幸せなことだと思う。


これは読書記録に載せるべき記事のような気がしてきた・・・ので、最後に日記のようなことを。
崩した体調は徐々に快方に向かっておりまして、おそらく明日は会社に行けるのです。
3日休んじゃうとさすがにオオゴトになってしまうので、なんとかしたい。。。
1日行ったらおやすみなんだけどね(苦笑)
今日から修学旅行に行った娘。彼女がいないとこれほど家が静かなのか。。。というくらい家の中が静かです。
そりゃ考えたら、彼女を除いたらうちにいる子供は中学2年と3年なのです。
毎日のように喧嘩する年齢でもなくなったのよなあ。
まあ、娘が戻ってきたらまた毎日のように喧嘩する日々になるのですけれどもね。

それはすばらしい、たましいのむすびつき はコメントを受け付けていません
カテゴリー: 日記