サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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かわりないこと はじまりをもてないこと 途中が続いていくこと 2013-06-10

さよならおひさま
ぼくはもういいや これでおわりにする
(さよならおひさま / たま)

曲と内容はまったく関係がありません。
と、断り書きを書きたくなるくらいどん底な今日の1曲。
さらさらと聞き流していて、歌詞を聴きこんだ瞬間「ヒョー」ってなるこの感じ。
夏はたまがとっても似合います。だから暑くなってくると頻繁にたまを聴いています。
日記が週記になってる昨今、6月ももう9日だというのにまだ記事が1個しかない事実に驚愕が隠せない。
何していたわけではないんですけれども。
SLでは主にものを作ったりくっちゃべったりイベントの準備をしたり。
今日本当はいろいろ進めないといけない。のだが、頭痛が頭痛が。
こういうだらっとした文章はうわぁぁぁぁってならずに書けるのだけれど、スクリプトはこういう時には全部投げ出したくなるので要注意です。使う集中力の種類が違うんだと思う。
間違ってたらテコでも動かないのがスクリプト。文字の1つが違うだけで「ナニソレ知らない」とかなるわけでまったく融通が効かない奴なのです。
文章は多少の誤字脱字があったところでなんとなく意味を汲み取ってもらえる、そんな柔軟に対応出来る人間の脳みそってすごいなーと思ったりします。
しかし曖昧に理解されるということは、自分の意図しているのと違ったふうに受け取られたりもするもので。
表現っていうのはそれも含めて楽しくて刺激的な事なのだけれど、私は使う言葉が曖昧すぎてきちんと伝えねば鳴らないところまでふんわりと誤解を生むことも多いみたいな気がします。こういうところに文章を書いているときは気をつけてはいるのですが、それでもやっぱりわかりづらい内容になってることも多いようで。反省。
ごきげんよう、たいこです。
前回の日記で運動会の事を書きましたが、また運動会の事を書くよ。
昨日は小学校の運動会でした。
中学校は3学年。小学校は6学年。というわけで、小学校のほうが若干長くて我が子の出番は圧倒的に少ない。
しかも娘ちゃんは運動とはとっても相性の悪い子でして。
運動会で活躍することってほとんどないのです。が、今年はどういうわけだか応援団に入ってしまった娘ちゃん。
応援団って出番がすごく多いのでとっても疲れる役どころで、あまりやりたがる人がいないのですね。
応援団決めのホームルームの際に、「決まるまで帰れません」などと先生に言われて手を挙げてしまったんだとか。
運動会前日まで「やだなーやだなー」とボヤいていましたが、本番ではかなり一生懸命やっていたようで、そんな姿に簡単に感動してしまう私は親ばかなんだと思う。
組体操でもサボテンの時に顔から地面に墜落したにもかかわらず「大丈夫!」と真剣な顔で立ち上がって次の演技に挑んでいる姿を見てちょっと泣きそうになる母。末っ子の長女っていうどうしても甘ったれになってしまう立場にいる彼女が、ああやってしっかりしようとするさまを観るのはとっても感慨深いのです。
ちょっと納得出来ないところもあったけれど、総じて娘の成長してる姿を見れた私は大満足でございました。
おひさまにあたって疲れ果てて、12時前に寝ちゃったんですけれども。昨日。。。


明けて今日、石井ゆかりさんの星の話という西洋占星術ビギナーのための講座を聞きに行って来ました。
12星座というのはいろいろな方法で分類分けがされていて、そのうちの一つにエレメントというものがあります。
火、地、風、水という4つのグループにそれぞれ3つずつの星座が割り振られています。
火は牡羊座、獅子座、射手座。
地は牡牛座、乙女座、山羊座。
風は双子座、天秤座、水瓶座。
水は蟹座、さそり座、魚座。
それぞれそのエレメントに準じた特徴を持っています。
火は直感。
地は感覚。
風は思考。
水は感情。
はい。段々星占い自分メモみたいになってきましたよ。しかもこれ基礎中の基礎だ。
今日私が聞きに行ったのは風の星座について。
本当は自分の星座である水の星座の話を聞くつもりだったんだけど、うっかり開始時間間違えて予約したっていう。ね。。。まあいいんです。風の要素がまるでない私には、一番とらえどころのないエレメントでもあったわけで。
ちなみに私は水過剰なので、火の要素も地の要素もまるでないですが。。。
地もなにげに把握しづらいエレメントであります。乙女座が容易にイメージ出来るのは、魚座の反対側だからなんでしょうか。ね。
教科書通りの解説に加え、石井ゆかりさんの経験則なども交えて話していただいて、大変興味深い講座でございました。やっぱり経験がモノを言うと思う。占術はなんでも。
どれだけ説得力のある言葉が吐けるかっていうのは、その人の持ってるバックグラウンドと、それを表現する力にあるなあ。と思ったのでした。
あとは、個人的にする占いと公に出す占いって性質が全然違うよなあ。とも。
占星術はそれがすごくわかりやすくて、そもそもの十二星座占いとは西洋占星術と似て非なるものになってる気がする。
超簡素化っていうか。
でもパーソナルな占いは雑誌やテレビなどのメディアにはどうしたって乗らないし、なんとなくの運勢を知るならばこの最大公約数的な占いも結構侮れないとは思うのです。
で、当然対象の規模が違うから、向ける言葉も違うし響かせる言葉も違う。
なんだか今日はそういうことが発見だったなあ。


気持ちはどうであれ結果こそがすべて。という側面と、結果はどうであれ気持ちやデティールが大事。という側面。
どっちが正解で不正解という話ではない。どっちも正しい。
その辺が相容れない現実ってのは多々あると思うのです。相容れないことを責め立てても仕方のない事なのです。
多方面から物事をみることは大切で、その視点と想像力があれば、大抵の人はいわゆる「優しい」考え方ができる。
優しいことは一歩間違えればずるいことにもなりかねないのですけれどね。
何事においても正解や不正解、善や悪を定義しないということは、考えようによってはすごくずるくて不平等になる気がします。
ただまあ、この世は不公平にできているものでカオスが当たり前で、弱肉強食で成り立っているので「人間的な」みたいな道徳は、人のつくりだした大いなる建前にすぎないよね、と思っているのですが。
話がそれっぱなしで戻ってこれなさそう。戻そう。
で、こと恋愛とか友達同士とかっていう、損得を抜きにした関係の上では後者が優勢になりがちです。
なんでこういうことを考えるのかっていうとですね、私の今の心のなかは更にもう一段階複雑な感じになっているから。
自分でもどういう風に自分で折り合いをつけているのか微妙にわからないままなのですけれども、なんとなく折り合いがついちゃってる。すげー複雑なのに。
これは優しいというのかずるいというのか。。。自分でも定義しかねている部分ではあります。
ただ、これだけは変わらないというスタンスは「ないものを思って悲しんだり怒ったりするよりも、今あるものを尊いと感じて喜んだり楽しんだりしたらいい」ということで。
ないものを数えたってどこにもたどり着けないのです。
今あるものを大切にしよう、という考え方はなんだか平和だし結果的に楽に生きられる気がするので好きです。
たとえそれで損をするようなことになったとしても。
あるはずだった権利を主張したって、なくなってしまったものは戻ってこないのです。
そしてどうにもならない現実の前で打ちひしがれるしかなくなるのです。
今あるこの現状を愛するスキルって結構大事だと思う。
結果的に色々なものを呼び込める考え方だと思う。
だから、今の現状で一生懸命になっているところが見えたらそれはとっても嬉しいことだし、
そういう努力こそが尊かったりすると、今の私は思っています。
そんなこんなで週末もおしまい。気づけば6月も1/3過ぎてる。
どうにもならない現状ってのが少しどうにかなるのが夏ならば、それを楽しみに今の現状を精一杯楽しく過ごすことが大事なのです。というわけで、なんだかんだで毎日楽しく過ごせているのですよ。あなたの気持ちとそれに伴った行動のお陰で。と、ここで超私信みたいなことを書いておこう。


SLのイベント準備も佳境を迎えておりまして。
なかなかにヘビーな1週間になりそうな今週ですけれど、そのしょっぱなから私飲み会だよ。
それはそれ、これはこれ。ってことでどっちも楽しければそれに越したことはないね。
今週も楽しく笑いながら過ごせますように。

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カテゴリー: 日記

君 黙ろうとしていたの 話そうとしていたの 2013-06-05

渇いた駐車場で揺れている
花火の焦げ跡のように
僕が見上げていると
こんどは
カノンで「夏休みですから」って
まだ小さな向日葵が
それぞれ 一回ずつ言った

(「夏です」と1回言った/たま)

なんだかたまんない気持ちになる曲です。
サビがすごく気持ちいい。で、なんだかすごく切ない気分になる。
土曜日は中学校の運動会。
前日夜更かししすぎてがっつり寝坊して慌ててお弁当作ったり、なんだり。
まあ間に合ってよかった。そして相変わらずこぢんまりとした全校生徒100人強の中学校の運動会。
確かに迫力とかそういうものはないし、クラス対抗でもない(1学年1クラスしかないから)運動会は、
少々面白みに欠けるのかもしれない。けれど1年生も3年生も男子も女子も一緒になってなんでもやる、
あの感じもなかなか味わえない体験だと思ったのでした。
全校生徒で組体操をやって、全校生徒でダンスを踊る。
ホントなら組体操は男子だけの演技だしダンスは女子だけのものだ。
けれどそれを、組体操は男子を立てながら、ダンスは女子を立てながらみんなでやるっていうあの感じが
私は毎年観ていて好きだなあと思う。
次男は放送係で、そこはかとなく会場の笑いを取ったりしていました。
なんのてらいもなく「俺目立つの好き」って言えるその感じが母はとても好きです。
ごきげんよう、たいこです。
運動会の直前の一週間二週間あまり、仕事がとっても忙しくて金曜日にはいろいろぶちきれて
「もうかえりたーい!」って心のなかで叫びながら仕事をしていたという。
っていっても残業って2時間程度なんですけれどもね。
集中出来る時間が極端に減っていて、こりゃまずいな、、、と思っていたわけです。
ちょこっと複雑な計算をするときに、考えるべきことが頭のなかで上滑りしてちっとも仕事が進まない。
本当に仕事好きじゃないんだなあ、私は。
好きなことならさくっと集中して出来てしまうのに。
昼休みを利用して少しずつタロットカードの意匠や意味を覚えていっています。
まずは基本に忠実に。
カードの意味をしっかり頭に叩き込むことが大事だろうということで。
覚えたことを復習するみたいにして、SLにあるタロット1枚引きぐるぐるで遊ぶ。
出てきたカードの意味はこんな感じー。っていうのを繰り返していくといいお勉強になることを発見。
うむ。覚えることが大事だ。


なんだか恋の話をすることが多い昨今。
恋とか愛とか、恋人だとか結婚だとか配偶者だとか、
実はこの数年でこのあたりの定義が自分の中でぐっちゃぐちゃ。
結局本人同士がいいならいいじゃないってところで落ち着いているわけです。
人としてどうかと思う みたいなことは恋愛にはあんまり当てはまらない。
良い人だからモテるかというとそうでもないわけで。
人は人のダメなところを見て惚れる、と石井ゆかり先生が何かの本に書いていました。
私はそれを読んで「ははぁ。なるほど」と合点が行ったのです。
ひとりでは欠けている部分を補って補い合えて、かっちりとはまる間柄が、恋とか愛とかの相手としての私の理想です。
そうなると、欠けているところが気になるのは当然な気がする。
その欠けているところにぐいっとアプローチしていって、結果相手の形が変わるってのが恋愛みたいなものの醍醐味かもしれない。当然自分も同じように変わっていく。
そうやって変わった形が前の形よりも気に入る形だと、それはしあわせな恋愛なんだろうなあ。
そういう関り合いをしながらまったく変わらない人ってのもいるわけでして。
そういう人と関わっているとすごくすごく寂しくて悲しくなります。
ここ何日か、自分の性癖やら何やらをゆっくりと話す機会があったりなかったりで改めて自分の性癖を振り返ってみたりしました。なんとなく何かに納得してしまった。
いいじゃない、変態だって。
どんな理由でその人のことを好きになったのか、説明できない場合がほとんどだと思います。恋愛の場合は特に。
けれど恋愛をはじめてしまうとなみなみならぬ愛着を感じたり、その愛着ゆえに嫉妬心に負けたり負けそうになったり踏ん張るけれどやっぱり負けちゃったりして、なんて嫌なやつなんだ自分は!っていう自己嫌悪をしたりそれでもやっぱり目の前で嫉妬すべき状況が繰り広げられるとものすごく面白くなくてプンプンしてしまったりいじけたり。
そういうことをずっと繰り返していくのが生きることなのかもしれない(適当)
執着するのは悪いことじゃない。
執着を捨てると涅槃へ行けるらしいですが、別に誰もが行かねばならない境地でもない。
傷つかない事もスバラシイことだけれど、傷だらけになってそれで味わい深くなる事もあると思う。
簡単に涅槃へ行けたら誰も苦労しないし苦悩しないのです。
さて、何か書きたいことがあったのだけれどここ数日のあれこれでスコーンと抜けてしまいました。


ただいま若干アクティブにお話したくない月間です。
こういう時は神経がささくれていて、無意識にとんでもないことを言ってさらに追い詰めるなんてことをしかねないので、おとなしくしていようと思います。
もう少し色々落ち着くまで。
やるべきことを静かにやって過ごしていこう。

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カテゴリー: 日記