サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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お別れしてもまた会えたらチャラね 2013-03-26

夢の中にまで出てくるこたぁないだろ 横でうたた寝の君よ
天使と会ったよ 名画座のロビー 夜明けを待ったよ
天使と会ったよ 本当にさぁ翼が生えてた

(天使 / 大槻ケンヂ)

昨日途中まで書いていた記事がブラウザごと吹っ飛んでしまいました。泣くぞこのやろう。
月曜日で祭日が遥か彼方な3月の末です。
それでも結構あっという間に金曜日がきちゃって週末が来ちゃって週末なんてもっとあっという間に過ぎ去って気づいたら1ヶ月2ヶ月経ってて1年って本当に早いですね。ってなる、この速度は年々上がっている。1年÷年齢の値はどんどん小さくなっていくから当然といえば当然の話ではあります。
ぼやっとしてたらなんにもしないまま終わっちゃうわよ!1年!
ごきげんよう、たいこです。
豆腐と油揚げのお味噌汁、納豆に醤油を垂らして、枝豆の塩ゆでともやしとピーマンの炒めもの。
みたいな献立、ほぼ大豆。
でもこんな献立でご飯を食べている人は結構いそうです。
日本人ってすごいよね。
味噌と醤油と豆腐と納豆と枝豆ともやしは全然別物な感覚ですけれど、
そういう感覚を持っているのは私だけではないと思う。
味噌煮と醤油煮は全然違うものだし、味も違う。でも元をたどると大豆。
大豆をここまでバリエーション豊かに食卓に取り入れた私たちのご先祖様は
どれだけ大豆が好きだったのでしょう。
あまつさえ豆乳なんていう飲み物まで。
私は豆乳が大好きです。
ご飯を作っている時に、できるだけたくさんの食材を取り入れようと考えるたびに頭によぎる大豆ちゃん。
特に豆腐と油揚げの味噌汁は我が家の定番なのでございまして、
「ああコレ全部大豆」とか考えるとなんとも言えない気分になります。
でも美味しいよね!
この冬、葉っぱものがどえらい高騰した際に青いものをどうにか取り入れようと
大葉をよく買ってきていたのです。
大葉のみそ汁ってなんであんなに美味しいんでしょう。
子どもたちも喜んでくれるので、これもまた定番になりつつあります。
大葉と豆腐の味噌汁。うむ。大豆オンリーでなくなって具合が良い。


私は自分の中の自分で醜いと思っている感情と接するのが苦手です。
誰だって自分はイイヒトだと思っていたい。
イイヒトでありたい自分と、その自分から沸き上がってくる醜い感情。
醜いのは嫌だな、と思うから、その感情をぐっとこらえて抑えこんでしまう。
抑えこんでしまった感情は、かといって消えるわけでもないので少しずつ貯まっていく。
相手に見せることもせずに貯め続けて、いつか爆発してしまって収拾がつかなくなる。
これはよくない。結局自分の醜い感情とは向き合えていないことになる。
ぐっと抑えこんでしまうのはクセのようなもの。
そんな感情が湧いて来たのはなんでだろう?ってその後で向き合う。
わりとすんなり答え見つかって、自分の中で一応の納得をすればその感情は収まる。
この感じは絶対に必要だと思うのだけれど、時と場合によってはそのまま出してしまったほうがいいこともある。
人はひとりでは自分がいったいどういう人であるのかってことを把握できない。
自分で思っている、自分ってこういう人という認識と、自分以外の人が思っている、あの人ってこういう人という認識が一致することなんて絶対にない。どっちが本当の自分かっていうと、両方本当の自分。
他人からの評価は、自分で飲み込むことがとっても難しい、のだけれど、
それをしないと自分の感じはつかめない。
私は感情のままに攻撃したりしてしまうと取り返しの付かないことになるので、
本当に本当にできるだけ怒るとかいうことを避けています。
そういうものをストレートに出せる人が少しうらやましい。
こればっかりは少し練習が必要なようで。
それでも、抑えなくても大丈夫な感じになりたいなあと思うのでした。

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カテゴリー: 日記

お陽さま見えたら 庭でふとん干して もう一度あのときの海へいこうよ 2013-03-24

おやすみ ねようよ
ガスの元栓 しめて
明日のことはみんな忘れて
いろいろあるけど
何もこわくはないさ
しょうがないね そんな君のいじけ顔
お陽さま 見えたら
庭で ふとん干して
留守電切ったままで
海へいこうよ
(お陽さま見えたらふとん干して/明和電機)


昔、それはもうひたすら落ち込むばかりの日々を送っていた私に友達が教えてくれた曲。
「眠れないときにコレを聞くと、『あ、寝よう』って思えるよ」と。
その後何度となくこの曲には救われています。
それでもここのところずっと忘れていた曲ではあるのですが、ふと思い出したのは「おやすみ」って何度も何度も言った直後だからでしょう。
挨拶としてのおやすみなさいと、本当にゆっくり休んで欲しいおやすみなさいとは、同じなんだけれどやっぱり違う。
こんな気持になるのは本当に何年ぶりなのでしょう。
大切にして大切にされるやりとりってやっぱりいいなー。こんなに安心感いっぱいで浮かれられるって素晴らしい。
と、脳内完全にお花畑モード全開でございます。
ごきげんよう、たいこです。
今日は桜を観て来ました。
2月からずっとずっと待ち焦がれて来た桜。待ちきれなくて3月早々に身代わりマリーを花見会場にするくらい待ってた桜。東京は金曜日に満開宣言がでまして。
明日はどうやら雨だっていうので行くなら今日だろ!って娘連れて近所の桜並木をお散歩してきました。
花見のお客さんいっぱいだったー。
しかし、去年はたくさん出ていた露店が今年は1つも出ていなくてですね、少し残念な思いをしました。
娘と2人で散歩をすると、普段ゆっくり聞けない彼女の話をじっくり聞けるので私にとっても娘にとっても楽しい時間となります。
1時間半くらいぷらぷらと散策して、満足して帰ってきました。
通り道には娘の通う小学校があり、かつて通っていた保育園があります。
行きも帰りも保育園の前を通るたびに、保育園の思い出話を語る娘を見てちょっと感慨深かったり。
そうかー。もう思い出語るようになったんだなあ。みたいな。
彼女は彼女でしっかりと彼女の人生を生きている。
私と重なる部分は、どんどん少なくなっていく。
それは少しさみしいことではあるけれど、大体喜ばしいことだ。
彼女の話を聞いて、自分がかつて彼女の歳だった頃の気持ちや感覚を思い出して辿ったり。
長男や次男は、私と出かけるよりも友達と出かけるほうが楽しい年頃になってしまいました。
友達と遊んで帰ってきて、楽しそうに友達のことを語る彼らを見ていてもやっぱり自分の中学時代の感覚が戻ってくる。
だいたいいい感じに育っているなあ。と、最近そんな目線で子どもたちを眺めることが多いです。


去年の秋ごろに、自分がどんな人と仲良くなりたいか、一緒に歩いて行きたいか、ってことを考えたりしていて
私は自分のことを大切にしてくれる人がいい、ってその時に初めてはっきりと思いました。
私は誰かとお付き合いするときは、その人のことをたいせつにするのが大前提なのだけれど
相手よりも自分、もっと言えば相手なんてだれでもよくてとにかく自分自分っていう人が案外多いSL。
大切にされたいなあ。とは結構切実に思っていたことではあります。
で、今。なんだかとっても大切にされている気がします。
なんでそんなに。っていう疑問も引っ込む程に大切にされています。
なんだか本当に幸せってやつを噛み締めているわけですが、
これに浮かれすぎてしまうのも怖い!って思っている自分も確かにいる。
ただこれもまたものすごい勢いで消えてっている。
走り出したら止まらないこのイノシシっぷりはなんとか治したい。。。
けれどなかなかそうも行かないだろうなあ。
私が口に出さずにいる、私の望んでいることがポンポンと目の前に提示されていく。
気遣いというより、同じとこを見て同じ事を望んでいるっていう感じが本当に居心地良い。
そんなことを考えています。


ゾディアックを観ました。
殺人事件とその事件に関わる人たちの、サスペンス人間ドラマ。
ロバート・ダウニーJr.がまた、ぴったりの役どころで出ていて良い味を出していました。
犯人探しとその事件に魅入られてしまう主人公の描写が非常にすばらしい。
事件は実在のものをベースにしたそうだけれど、その分物語が人間ドラマのほうに比重かかっている。
登場人物の心理描写も素晴らしく、とてもよいシナリオになっておりました。
ノンフィクションベースの映画にありがちな、
このあとの登場人物のことを紹介するアレ。
主人公が「よき父である。」と紹介されたときは、ほっと胸をなでおろしてしまったよ。
劇中に出てくる主人公家族の気持ちも痛いほどわかる。
心配するのは愛するがゆえ。
奥さんには守らねばならない子どもたちもいて自分たちの生活がある。
そこですれ違う夫婦の感じは身につまされるなあと思ったり。
良い映画でございました。
まだの人は是非。


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カテゴリー: 日記

Nothing else to tell you, dear. Except each day feels like a year 2013-03-21

Nothing else for me to say
And so I’ll close,
oh by the way
Everybody’s thinking of you
P.S. I love you
(P.S. I LOVE YOU)

私の英語の歌の仕入先はほぼベット・ミドラー。
彼女はいろんな人の歌をうたうので、オリジナルがどれだとかがよくわからないのです。
調べろって話ですね。そうです。
これは映画「フォー・ザ・ボーイズ」で歌っていたもの。
戦争映画は苦手だけれどこの映画はちょっと別枠。
戦争って言っても戦地へ慰問に行く歌手の話なのですが。
もうだいぶ昔に観たのだけれど、とってもいい映画です。ベット・ミドラーの母親役が好きです。
「ステラ」も何度観てもボロッボロに泣いてしまうよい映画。
この曲、映画の印象がとっても強くて、聞くたびに切なくなってしまう。
こんなふうに人を愛せたらなあ。と思うのです。しかし離れ離れは嫌なのだ。
当然この歌の中の手紙の書き手だって離れ離れは嫌なはずで、
それでも日常を過ごしながら常に頭の片隅に大切な人がいる。
当たり前のものとしてそこにある。そういう感じがきっとイイナアってなるのです。
ごきげんよう、たいこです。
そんなわけで37歳になりました。
自分の年齢の響きにおののいております。
大人としての色々な自覚の足りないまま、中年ゾーンに突入してしまってどうしよう……。
しかしそれとは別に、お誕生日は嬉しくてたまらない。
この歳でこんだけ無邪気に誕生日を喜べる自分が可愛くて仕方がないです。
老化は何も誕生日に一気に起きるわけではないのだ。
老いていくことと誕生日を一緒に考えることがいけないのだ。
今年もついったーでお祝い要求いたしまして。
たくさんの人からのお祝いをいただきました。
皆様ありがとうございますありがとうございます。
おめでとうって言われるのはやっぱり嬉しいのでして。
3月19日って年度替わりでヘタしたら卒業式の後みたいなタイミング、
さらに母は18日、妹と祖母は29日という、3月生まれまみれな家庭で育ったせいで、
なかなかこう、「祝ってもらう」っていう感覚を感じづらかった子供時代を過ごしたのです。
おめでとうって言ってもらうことがすごく大事だと感じるのはこのあたりが原因か。
ここのところしみじみと過去を振り返ったり来し方ゆく方に思いを馳せていたりという
お誕生日準備をしてまいりまして。
ここ数年、大きく自分を揺さぶるような出来事が少ない、いわゆるぬるま湯な暮らしをしています。
それまでの数年が激動だったこともあって、少し前までは落ち着いた生活をしていることが怖かったりもしたのですが、最近はその落ち着いた感じにも慣れて来ました。
それでも「私ちょっと色々サボってんじゃないか」っていう不安はつきまとうのですけれどもね。。。
自分のことは自分ではわからない、だから怖い。
この怖さは必要なのかなとも思うので、うまくバランスを取りつつ大事に抱えていくとして。

次男がハンカチをくれました。
それを見た娘が「だって私は300円しかお金がないからプレゼント買えなかったんだもん」という言い訳をしておりました。
なんだその言い訳はwwwww
ともあれ愛されていることは伝わったので充分です。
私のが愛してるけど!
職場では上司がランチをごちそうしてくれました。
職場で誕生日宣伝していた効果ですw が、こういう気遣いしてくれる上司のもとで働けてよかったと思います。
やっぱり頂いて嬉しいのはモノより気持ちだなあ。と、毎年痛感するのです。
そういう意味では、今年はとっても贅沢なお誕生日を過ごしたのでした。
本当にありがとうございます。37歳の1年間もまたよろしくお願いします。
と、深く、浅く関わっている人たちへ。

誕生日が過ぎたところで大きく何かが変わるわけではないのですが、今日おうちの下の桜が綺麗に咲いていました。
本格的に春来るぞー春来るぞー!と、テンションは静かに静かに確実に上がっちゃってるわけですが。
ハメだけは外さないように、地に足つけて行こうと思っております。

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カテゴリー: 日記