サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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私なら大丈夫 月の言い訳を信じてる 2012-10-11

愛しているけど ねぇ 愛してもいいの
伝えたい言葉は きっと言えない
(月が言い訳をしてる / MULTI MAX)

ごくごくたまにしかここに登場しないし、私もごくごくたまにしか聴かなくなってしまったMULTI MAX。
実は最初の子供を産む前何年かはMLUTI MAXに狂っておりました。
今を逃したら当分いけなくなる!と、妊娠9ヶ月の頃にChageのコンサートに行ったのも懐かしい思い出。
そんな腹でコンサートとか馬鹿か!と思ったらしき当時の配偶者が、
Chageの曲など1曲も知らないのについてきたのを覚えています。
立って暴れないように横で監視していたのでしょう。おかげでまったく立つことが出来ず、
お行儀よく座ったまま3時間チャゲちゃんを堪能した記憶があります。
それもこれももう14年前のお話。
ごきげんよう、たいこです。
この曲の「月」は、男の人を指していますが、星占いで言うと月は女の人です。月の神様も女です。
男の人を指し示すのは、太陽です。あと火星。
しかし、形のコロコロ変わる月を自分(男の人)に見立てて、相手に言い訳してるってこの感じ。
言い訳を信じてるっていい言葉だなー。
太陽とか月の話。
太陽が一番長い時間自分たちと接していたり、気にかけている星なのだと思うのです。
私たちは大抵昼間に活動するし、太陽の位置や距離、隠れているかいないかで環境が変わってしまう、
地球にとってとても影響力のある星だから当然なのですが。
意識はしても明るすぎてなかなか太陽を見る機会ってないような気がします。
そのまま見たら目がおかしくなるしね。
そう考えると、人が一番「星だ」と思って眺める機会が多いのがお月様なのではないでしょうか。
奴は夜になるとものすごい存在感を示すんだ。
本当は小さな小さな星なのにね。月を見て「きれいだなあ」とか「でっかくてこええ」とか、
きっとそういうことを考えたことのある人はたくさんいると思うのです。
月を眺めている時の、心の底のほうがざわざわする感じが私は好きです。
太陽は人の心の表に出てる強いところ。
月は人の心の柔らかいところ。
そんな感じがいたします。


朝起きたら痛くて左腕が動かせなくなっていました。
びっくりである。
少しでも肩を動かすと、ピキピキっと痛みが走る。
寝違えかとも思ったけれど、どういうふうにしたら寝違えるというのだ……。
などと考えつつ出勤してお仕事していたのですが、
仕事をしているうちに左の腕の痛みがヤバい感じになってきまして。
早退して整形外科に行ってきたのです。
お医者さんの言うところによると「頚椎ヘルニア」らしいです。
なんだかよくわからないんだけどね……毎日病院に通って様子を見つつゆっくり治していくしかないようで。
ここのところ感じていた左手のこわばりやら関節の痛み・しびれの原因も全てこれのせいらしいです。
関節のこわばりや痛みって、まっさきに連想されるのはリウマチだったのですが
リウマチじゃなくてよかったよ。。。
毎日病院にいって、首を引っ張って、ウォーターベッドマッサージというのをやる。
首を引っ張るのが具体的に必要な治療っぽいのだが、
ウォーターベッドマッサージがとても気持ちが良いです。
痛み止めが効いてるんだか効いてないんだかさっぱりなんだけど、
しびれは消えてきた感じです。
はー。年をとると色々あるよねえ。。。


色々と思いやってもらえるって嬉しいのです。
してあげる・してもらうのやりとりがきちんと出来ている感じは嬉しいのです。
そういう当たり前のようなことを普通に成立させることが本当に難しいと感じる今日この頃。
広く浅くその場に応じてつくる人間関係と、深く狭くじっくりつくり上げる人間関係。
私はどうしても後者に偏りがちで、だからしょっちゅう「友だちがいないー」とか言ってるわけですが。
ちょこっとだけごめんなさいと思いつつ、でもちょっと喜びつつ。
振り回したり勝手なのは、私も同じ事なのだけれど、
それでも「はー。結局みんな勝手だなあ。」っていう自分の中の弱くて勝手な気持ちが、
ちょこっと慰められたりするとそれはそれで嬉しかったり。
恋人作るより友達作るほうが難しい。
きちんと友達を作るって本当に難しい。
そういことができるかな、できるといいなと思っていたりするのです。

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カテゴリー: 日記

ケッ!なんや 田舎の侍や思て バカにして 2012-10-09

俺を車に例えたら ポルシェ
俺を獣に例えたら ジャガー
俺をマンションに例えたら ヒルズ
俺とお前を例えたら 永遠になる
アップダウン激しい男やから でも自分に厳しい男やから
焦ったらおかしいこと言う男やから 黙ったら雰囲気出てくる男やから
んで 武家の出 武家の出
ホンマに武家の出やて 武家の出やて
(田舎の侍/SHIKA564)

曲あったーーー!
もともとあったこの曲をベースに作ったお芝居、なのかな。
鹿殺し初の時代劇!オレノ氏初主演!という舞台を観に行って参りました。
鹿殺し、非常にネットを良い感じに活用した劇団でございます。
本公演の前に前回公演の動画を配信したりしていて、私も知り合いにオススメしやすい。よいことである。
で、鹿殺し。今回で3回目ですがよかったです。
駅前劇場っていう小さい小さい劇場だったのです。実は駅前劇場初体験でありました。
スズナリも1回しか行ったことない。
小さい小屋の芝居ってそれなりに観ていた気がするんだけどなあ。。。と思ってたけれど、
小さいってもシアタートップスレベルのそれなりに大きい小屋が多かったのかもしれない。
こんなこと書いてもなんのことやらですよね。ハイ。
鹿殺しは、マイク持って歌って踊る劇団なのですが。
小さい小屋ではやはり窮屈な感が否めませんでした。
ツイッターで山岸門人さんが、駅前はこれで卒業になるんじゃないかなあ。なんて言っていたけれど
卒業していいと思う。
今回のお芝居も、もう少し大きいステージで観たいなあ。。って思ってしまったから。
しかし小さい小屋はそれはそれでいいところもあってですね、
やっぱり俳優さんの顔がよく見えるのです。
汗の飛び散る様もよく見えるのです。それはとても贅沢なことだなあと思ったのでした。
ごきげんよう、たいこです。
孤独という事について考える。
私たちは基本孤独である、と思う。
私たちはたったひとりで生きていて、自分以外の人とは交じらない。
いくらくっついていても、寄り添っていても、自分という容れ物を破って誰かとくっつく事は出来ない。
ゆえに、自分の心や思いや気持ちは、他の誰にもわからない。
わかったと思っているのは、ちょっとした勘違いである。
それは、想像以上のなにものでもないしその想像が当たっているかどうかを確かめるすべもない。
同じ言葉を聞いて、同じ音楽を聞いて、同じ映画を見て、同じように涙を流したり感動したりしても
そのことについて「同じように感じたね」と確認しあったとしたって、本当に同じなのかは誰にも確認出来ない。
田舎の侍の主人公虎蔵は、孤独である。
ものっすごい孤独である。
金髪で目付きが悪くて、孤児。
生まれた時から恐れられ、いじめられ、結局村八分になって村を追い出されてしまう。
唯一の友達であった兎丸とは、惚れた女をとり合うライバルとなってしまう。
生まれた時からものすごく過酷な人生を生きる男、虎蔵。
けれど彼は「俺は侍になる!侍になって好きな女を自分のものにする!」という、
とってもわかりやすい目的のために一生懸命生きる。
でも、彼は強くない。
お金がないから刀も買えない。
木刀侍である。
「侍になりたい」と、月を見上げて思いを馳せるその姿は切ない。
でも、彼はきちんと毎日を生きている。色々な思いを抱えながら、カリスマ侍信長を目指して生きている。
全然かっこよくないんだけれど、不器用なんだけれど、
不器用な人が必死になっている姿ってなんであんなに感動するのでしょう。
虎蔵の抱えるしんどいこと、やりきれないこと、そしてそれらを抱えつつ、
ぎりぎりのところで心を折らずに進んでいく感じはとってもかっこよい。
どれだけ不幸な星の下に生まれようと、どれだけ過酷な経験をしようと、
そのことを言い訳にしてはいけない。と、鹿殺しのお芝居はいつでも叫んでいる。
そうなってしまっているのはもうしかたのないことなのだから、
そこからどうハネるかを考えなければだめでしょうっていうことなのだよね。
自分の不幸な境遇を嘆いていても、現実が変わるわけではないのだから。
自分の人生のオトシマエは自分でつけなさい。ってことなんだよね。
不器用ながらも必死に自分の人生のオトシマエをつけるべくあがいている人たちの姿を描き続けている鹿殺し。
名前は怖いけれど、作るお芝居はとってもアツくて爽やかである。
というわけで、今回も思う存分堪能してきたのであります。
そして毎度のことながら、素晴らしい姿勢と表情で踊る山岸門人氏に私の目は釘付けなのでありました。


SLの話。
3連休の間にやらなきゃいけなかったあんなことやこんなこと、消化率7割。
やばーいやばーい。
そんな中、波野家初のがっつりメッシュなアイテムが完成しました。
まだバリエーションに頭を悩ませてるんだけどね……。
しかしメッシュはテクスチャの作り方がスカルプとは全然違うのです。
メッシュ出始めの頃、メッシュの服が妙にのっぺりして見えて「なんでメッシュはこんなにノッペリなんだろう?」って思っていたものだけれど、(最近はそうでもない。結構しっかり影とか入ってる)自分でテクスを描いてみてよくわかった。これは大変であるwwwwww
サイコロの展開図をフクザツにした感じのテクスを作らねばならないのですよ。
このあとに控えているヌイグルマーのリグのフルメッシュアバターのテクステンプレを見て、若干悲鳴をあげそうになりました。
バラバラ殺人事件みたいになっておった。。。
私はメッシュ作る技術がないものですから、快く協力してくれる友人たちに支えられて色々なものを作っているわけです。が、テクスチャは俺が頑張らないといけないんだ。。。!
ちょっぴり手直しが入りそうなので保留になっているぬいぐるまーですが、
試作品を見て「これちょっとこういうふうに使えるんじゃないの…?みたいな欲が出てきていまして。
本番ぬいぐるまーの前に、ちょこっと思いついたことをやってみようと思います。
今出来上がっている時計に関しても、もう一手間二手間加えたいのだけれどなかなかピンと来る案が出ない。


いつ何時も恋愛したい脳のように思われても仕方がないと思う私の今年の軌跡。
でも別に恋愛したいわけじゃないんだ。落ち着きたいだけなんだ。。。!
という気持ちも、最近薄れつつありまして。
なんかもう、気の合う人とだらっとお話できてればいいやーっていう状況。
この感じになると、SL恋愛だけでいいっていう人の気持ちが5mmくらい分かるようになるのです。
SL恋愛を否定するわけではないのです。それは人それぞれの嗜好なのです。
私は、SLの中だけの恋人っていうのがピンと来ないので、あと、
人を好きになってしまったらどうしたって触りたくなってしまうので、
画面の中だけの恋愛は向かないのです。が、
画面の中だけで恋愛風味を味わうためだけのものなら、SL恋愛だよなあ。とも思うわけです。
こういうことを考え出している時ってすでに恋愛に向かう元気があまりない時なので、
当然SL恋愛みたいなものにも積極的には動かないのですが。
なんだか文章が最後に来て支離滅裂だ。大丈夫か。がんばれがんばれ。
こんなこと言ってるけれども、何かが起きたらドーンと色恋スイッチ入っちゃうんだ。
36年も自分と付き合ってたらそのくらいのことはわかるわかる。
年々、自分のヒットポイントは減らさないようなコントロールは上手になっている気がするけれど、
コントロールするのにはマジックパワー使うのよ、みたいなところで。
出来れば温存したいのです。HPもMPも。
だってRLはさ、ゲームみたいに都合よく宿屋が出てきたり、ポーションや薬草があったりしないんだもの。
困ったなあ、困ったなあと心のなかでぼやきつつ、でもこの状況はさほど大変じゃないしちょっと楽しいかも、
と思っていたりもするのでした。

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カテゴリー: 日記

君もなれよ 楽でいいぜ ベイビーヒューマン 2012-10-05

人は裸で 生まれた時は 誰も愛され 同じなはずが
どうしてなのだ 生きていくうち
運命は別れ むごいくらいだ
人の目見たり 見れなかったり 恋を知ったり 知れなかったり
それなら僕は いっそなりたい 死ぬまでベイビー 赤ちゃん人間
(踊る赤ちゃん人間/大槻ケンヂと橘高文彦)

赤ちゃん人間になっちまおうぜ!っていうとんでもない歌。
赤ちゃんといえば特撮の「子供じゃないんだ赤ちゃんなんだ」もやっぱり赤ちゃん開き直り。
ダンシングベイビーっていう曲もある。
どんだけ赤ちゃんになりたいんでしょう。大槻さん。
赤ちゃんってのは好き勝手やってるように見えて、実はすごく不自由ないきものである。
だって自分の意思で動けないんだ。寝たきりですよ。首すら満足に動かせない。
お腹が空いても泣いて訴えることしか出来ない。
つきっきりで「はいはい」と世話をして愛してくれる人がいなければ、彼らはすぐに死んでしまうのです。
なんという無防備な命。
それでも人間の赤ちゃんはめったなことでは死なない。
人間の赤ん坊というのは他の動物から比べると、超未熟児な状態なのだそうです。
そりゃそうだ。首すら座ってないのだから。
なぜ人の赤ん坊がそんな未熟な状態で生まれてくるのかというと、
頭が大きくてこれ以上大きくなると生まれてこれないから、なのだそうです。
超未熟児で超無防備ないきもの、赤ん坊。
それでもすくすくと育ってしまうのだから、この地球における人間の強さったらすごい。
すべてのいきものの頂点にいるのは間違いなく人間なのだけれど、
人はその人間の中でも巨大なピラミッドをつくる。
そしてこのピラミッドは都度都度確認されて比べられてしまう。
ずっと意識し続けなければならないのですよね。ピラミッド。
これはそういう曲。
生まれたときは誰も愛され同じなはず、と歌っていますが、厳密に言うと生まれ落ちたその時から
その赤ちゃんの行く末の何割かは決まってしまっている。
残念ながら、産み落とされてすぐに死んでしまう子もいるし、殺されてしまう子もいる。
愛された記憶なんてない子だっている。
しかしどの子もみんな自分のことで精一杯なのであって、それはおとなになっても同じ事。
世の中にはもっと不幸な人がいるのだから今の現状に満足しましょう、というのは、
実は自分も他の不幸な人の幸せ確認の材料に使われるということにほかならないのでして。
こういう相対的な幸福感は別の新たな不幸しか産まない気がするのです。
あれなんか今日の文章堅くない?
ごきげんよう、たいこです。
バーを開けるとぽつぽつと人が来たり来なかったりします。
私がマニアックキラーなのは、このブログでもいつか書いた気がします。書いてないかもしれない。
私と親しい人は、私に変人磁石がついている事はよく知っていることだったりします。
自分ではうまく説明出来ないのだけれど、私はその時にあまり状態のよろしくない人を惹きつける性質がありまして。
自分ではこの性質をあまり快く思っていないので、普段は意図的にその感じを出さないようにしているのだけれど、
たまにタイミングが合ってしまったり、こちらの状態があまりよくなかったりすると強力磁石のように惹きつけてしまうことがあります。
その昔、まだそういうコントロールが上手にできない頃に知り合った人たちがいます。
殆どの人達は今は疎遠になっています。
ただ、その中でわずかに今も交流を持っている人たちがいます。
どの人も一度途切れたあと、偶然だったりそうでなかったりで再び交流を持つようになった人たち。
知り合った時期は大抵相手のどん底のタイミングだったりするのがなんとも言えないところで。
その時はこれ以上関係が続けられないと思って離れても、
こうして時間を置いて、また付き合いを始められる。
それはその離れている時間に、お互いそれぞれいろいろな経験をして考えて、
いい塩梅に成長したからなのだと思います。
あんなことしてしまったからもう合わせる顔がない、みたいな気持ちは、実はいらないんじゃないかと私は考える。
だって人は変わるのだから。
あの時だめだったけれど今は大丈夫という関係を続けられるってすごく素敵な事だと思うのです。
で。今日はそういう感じの人と久しぶりにお話をしました。
本当にお互いダメダメな時に知り合った人なのですけれど、そして非常に恐ろしいことに、
私はその頃の事をまるで覚えていないのですけれど、
話していれば自分が当時どういうふうにその人と接していたのかが非常によくわかる。
おそらく、その当時と私の印象って全然違うのだけれど、話しているとその当時の自分の行動や考え方が思い出されてきて、なんだかとっても恥ずかしいようなカッコ悪いような気持ちになるのです。
けれどそれは不快ではなく、結構居心地がよい。
当時の私はいわば「ぬののふく」をかろうじて着ているよ、という程度の装備だったわけです。
それ以外に自分の身を守るものはなかった。
武器すら持っていなかった。
今の私はみかわしの服を着ています。どくばりという武器も持っている。
どくばりは攻撃力こそ低いのだけれど、たまに急所をつくのです。その気になったら一撃必殺なのです。
みかわしの服の特徴は、ひらりひらりとよく敵の攻撃をかわすことなのです。
この数年で、私はそういう武器と防具を手に入れた。
そう、まるで自分の本質は変わっていないのですよね。
人は誰かに惹かれてしまう時、その人の長所と短所どちらに目が行くのだろう。
私は弱いところに目が行ってしまうのがきっと本物の気持ちだと思う。
そして私の本当の本質、心の中の一番大事なところにある、自分でもうまく説明できないところの人は、
きっとこういう感じが好きなんじゃないかなとも思ったのです。
いやあ、人の心って難しいものです。
自分のことすら自分にはわからないのだから。うむ。
自分の誰かがきになる基準ってのが少し見えてきました。
なんだか切ない気分で満載ですが。
けれどこれが現実で、これはもう変えようがないのだからうまく付き合っていくしかないのですよね。
なんだかとりとめのない日記になってしまったけれど、とりあえずこのあたりで。                                              

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