サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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誰かの哀しみでこの世界 案外保たれている 2012-09-30

寂しくないと死んでしまううさぎが
今夜も獲物を探す
青い夜にポツリ 泣きじゃくる娘を
うさぎのような 赤い眼
(うさぎ/特撮)

楽しい人達の裏側に寂しい人達がいて、
今、誰かが幸せの絶頂にいて笑っているその瞬間、
死にたくて死にたくて泣いてる人もいる。
本当に欲しい物が、望むように手に入らないこの感じに心が折れそうです。
心が折れることすら許されない。
いい加減息切れしてきました。困った困った。
ごきげんよう、たいこです。
考え過ぎちゃいけないのはわかってるけれど、考えすぎてしまうこの状況。
時間があることがいけないのか。なんなのか。
都合のいい時に都合のいいように仲良くするっていう感じに本当に疲れてしまっている。
自分がどうしたらいいのかなんてわからないよ。
相手に判断を委ね続けてここまで生きてきましたが、私の望みを言うことは大切な事なんだろうか。
それを言ったらみんな私の前から消えていなくなってしまうんではないの?
そういう気持ちが常に心のなかにありまして。
なかなかそれを突破できません。怖いんです。
けれど求められている側に立ってみて、求める側のことを考えた時に、
その相手だって同じような怖さを抱えてる事は忘れちゃいけない。


今週はいろいろなことがありました。
まず、水道が止まった。
払い忘れてた水道代のせい。
火曜日の朝から自転車をえっちらおっちら漕いで20分。水道局へ。
水道局でお金を払い、水の栓を開けてもらう。しかし私は当然仕事。
「水の蛇口とかは全部しめてますか?」
と聞かれてうろたえる。
どうだったかなんて覚えてない。っていうか子供たちのやることはいちいち信用出来ない。
流しや風呂なら流しっぱなしでいいんだろうけれど、トイレの水タンクの蓋がずれてたらどうしよう!
そんなことを考えて、さらに昼休みに1度家にもどったり、なんだり。
非常に疲れた一日でした。
しかしいい運動になったかもしれない。
結局水は、流しの蛇口だけが開いていてあとは無事であった。
よかったよかった。

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カテゴリー: 日記

僕のことなんか明日は忘れるくせに 2012-09-27

伝えたいことは山ほどあるけど
なかなか言葉になっちゃくれないよ
喋れたとしても
伝えられるのは
いつでも本音のすこし手前
(ベル / BUMP OF CHIKEN)

本音ってのはなかなか自分でも把握しづらいものでして。。。
言っててなんか違う、と思っても、それ以外に表現する術がない。
だから、伝えたくてもうまく伝わりそうにない何かが詰まって泣きたくなる事はある。
っていうことを最近初体験。
自分が言葉に詰まるなんて信じられない。
ごきげんよう、たいこです。
昨日は私の上司が今まで見たことがないくらいのポンコツっぷりを発揮していました。
財布の中が空になっていただの警察呼ばれただの、なんだかすごい事をさらっと言っていましたが、
1日じゅうどうでもいいことを話し続けてお出かけになりました。
「人はなかなか死にませんね」
っていう名言を残して。死なないよ!風邪と二日酔いごときじゃ!
今年、記事に「なんだかよくわからないうちに」って言葉を沢山書いている気がするわけですが
やっぱり今もなんだかすごく知らないうちにいろいろ変わってきている気がする。
変えてるのは自分なのかもしれない。
意図してない方向にコロコロと転がっている気がしないでもない。
あんまり深く考えてない。
ただ驚くほど心のどこかの部分が弱くなってる事を発見して、すこしうろたえているくらい。
なんかのタイミングで何かが外れた気がする。だけど、それはそれでいいやーって楽観している自分もいる。
開き直るのが早いって言われたりするけれど、
何かを口に出す時はすでにその時点で開き直っている。
開き直るときにはそれぞれ理由があって、その理由はいつだって違うのだけれど、
これを口に出したらこうなる、ああなるっていう事を一応考えてみて、
どうなっても私は大丈夫。っていう自分確認してる気がするから。


誠実であるという事について色々と考えました。
私はできるだけ、人に対しては誠実でいたいと思っております。
基本的に人は信じたいと思っております。
「誠実じゃないなあ」という場面に、この夏に何度か遭遇しまして。
けれどそれに対しても、きちんと信じようとした自分をバカだったなとは思わない。
どのような形にしろその信用を踏みにじられた時に、それはやっぱり多少なり傷つくのだけれど。
目の前の人の言葉や態度をそのまま安心して受け止められる感じってすごく貴重だなと
ここのところよく思うのです。
いろいろな実績が積み重なってそういう今があって、
それはやっぱり、自分が信じないと作り上げられなかったものだと思う。
自分の見たもの感じたものを信じるという事をしなかったならば、こういう状況はない。
だから、つらい思いしたって傷ついたって、基本信じるスタンスを貫いていてよかったと思うのでした。

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カテゴリー: 日記

大好きだよ君が 照れ臭くも無いよ 2012-09-25

ああ子供たちは 息たえる時に童謡を歌うと聞くぜ
君のスカートにポケットはあるか?
あるならホラ手だしてごらん
君のソックスは折り返せるだろう?
だったらホラ挟んでごらん
人を救うはずなのに 自分さえ
救えやしない人のさ 心さ
大好きだよ君が 初めてさぁ言うが
僕の歌を総て 君にやるよ
どうも俺は 長く生きてけないような
気がするから だから総てやるよ
(僕の歌を総て君にやる/筋肉少女帯)

こんなことを言われて喜ぶ女はいない。
いらねーよ自分で歌えばか!死ぬなばか。みたいな。
非常に腹立たしく、心配になる曲である。うむ。
メンズはどうしてこういう思考に行きがちなのでしょう。へこんだ時。
まったくもう。まったくもう!!!!と心配になってしまうのであって、
私はまさにそんな状態の大槻ケンヂの曲を聞いて彼のとりこになったのであった。
昔の話だが、今もそんなに変わってない気がするところが情けない。とほほ。
ごきげんよう、たいこです。
感情発火装置ではなく自爆装置。
もう好きに人の心を弄んだらいいじゃないの!とか叫びたくなる丑三つ時。
限りなくHPが0の人に向かってする仕打ちじゃないと思うんだ。
もっと優しく大事に扱うべきだよ。
という心の叫び。
知らず知らずのうちに削られてるHPが気づけば赤く点滅してる感じの秋の入り口でございます。
このタイミングで秋来ちゃってるし。
なんだか毎朝毎晩の風がすっかり秋で、晴れてれば空はとっても青くて高くて綺麗で、
ついつい自転車を漕ぐ速度もあがって会社につく頃には汗だくっていうどうしようもない毎日を送っています。
神様だって仏様だっていないけれど、宇宙人だってかがやくあかるいみらいだってないけれど、
私なんて本当に、広大な砂漠の中に埋もれる一粒の砂なのだけれど、
しかしそんなまめっちい一粒の砂にも心はある。
ああ、心が痛い心が痛い。
本当に言葉にならないようなことを言葉にしろと強制されたところで、言葉になんてならないのです。
考えたって悩んだって言葉にならないのです。
どうしたらいいかなんてわからないのです。
どうにもならないから、どうにもしようがないのです。
そんなものを言葉にしたところでなんの意味があるのか。
そういう感じ。
はぁ。優しくされたい。
たぶんこれ。この一言に尽きる。
こういう言葉が出てくるのをみて、自分のだめっぷりを知るわけです。
半分は季節のせい。もう半分はここ最近の地味に疲れる出来事たちのせい。
何がどうしたわけじゃない。どれもこれもひとつひとつは些細な事だし、場合によっては自分のことでもない。
ただなんか、この先どのくらい頑張り続ければいいんだろうって考えた時に、
げんなりしてしまう時があったっていいじゃない。
こういう事はブログに出来るだけ書かないようにしてきたんだけれど、もう、仕方がない。
だって秋だから。
本当に、過ごしやすければ過ごしやすいだけこの季節は厄介で、嫌いだ。

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