サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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また会えるよみんなが 絶対 絶対 2012-08-17

僕が僕であることに もう気がつかなくちゃ
君が君であることに もう気がつかなくちゃ
僕も君もだまされてるって もう気づかなくちゃ
僕と君は一つじゃないって気がつかなくちゃね
僕が君であることに もう気がつかなくちゃ
君も僕であることに もう気がつかなくちゃ
僕も君もゆるされてるって もう気づかなくちゃ
僕と君は一つだってこと気がつかなくちゃね
いつか別離があることに もう気がつかなくちゃ
誰も別れていくことを もう認めなくちゃ
ただお別れがあるだけさ もうそれでいいから
もうそれでいいから ただもうそれだけだから
僕がここにいることに もう気がつかなくちゃ
僕がここにいることに もう気がつかなくちゃ
だから平気、へっちゃらってこと 気がつくべきだな
いつかどこかに夢のように もうゆっくりお休み
(それでも、また会えたらいいね/大槻ケンヂ)

I STAND HERE FOR YOUは本当に好きなアルバムだなぁとしみじみ思うのでした。
この曲は筋肉少女帯時代に書いたものを、このアルバムに入れるときに少し変えたもの。
色々と付け足して長くなっています。
その付け足した部分が私はとても好きである。
僕と君はひとつじゃないって気づいたあとで、
それでも僕と君はひとつだって気づく事は大事なんじゃないかなと思う。
未だにこういうものに憧れてしまう自分はちょっとアレである。
が、思ってるだけならいいじゃない。
ごきげんよう、たいこです。
・自分の周囲の風景が急展開しているのだけれど、なんだか面白いのでそのまま乗っかってる感じの昨今。
・昨日で夏休みが終わりました。
・知らない間にいろんな痛手から軽快に立ち直っていました。
・捨てる神もいるし拾う神もいる。
・休み明け1日目から体調不良で会社を休みました。
・だって、しょうがないじゃない。女の子だもん。
そんな感じ。
ええと休み最後あたりの日に映画を観ました。
B級映画面白い面白い。
とんでもないチープさとか、それにくっついてくるありえない感じとかが。
全国総スケバンってなんだwwww
そのスケバンが恋した相手を例える対象が風と共に去りぬってなんでなのwwwww
あの映画はすごく長い。すごくすごく長い上になんだか暗い。
いい映画ですけれども。
風と共に去りぬで覚えているのは、酒臭さを隠すために香水でうがいするシーン。
「うえええ・・・すごくまずそう・・・」
って思いました。未だに事あるごとに思い出します。
まあ、それでも酒臭いのばれちゃうんですけれどね。
上橋菜穂子「獣の奏者3・探索編」を読む。
読む。といってもこのお話、次の完結編で完結なわけで、探索編はまだまだ途中なのです。
この2冊は思いっきり繋がっているので私の中ではまだまだ読んでるなうなのです。
主人公のエリンはすごく、聡明でまっすぐ。
1と2を読んだのはだいぶ前で、忘れていることがたくさんあるのですけれど、
3でいきなり結婚して子供が生まれていまして。
国に関わる大きな出来事と自分の夫と子供っていう、
マクロとミクロな世界を行ったり来たりして苦悩するエリンはなんだかこう、
大人だなあと思って読み進めています。
上橋菜穂子の小説は、こういう要素をきちんと描くからファンタジーなのにすごく地に足のついた感じがする。
エリンの苦悩が非常に説得力を持つのです。
そのエリンを支えようとする夫のイアルの愛情のあり方、
エリンも自分の家族とよりよく生きるために苦渋の決断をするのですけれども。
その2人の行動の意味がわからなくて寂しい思いをし続ける息子のジェシ。
本当によく出来た話だなあ。と。
後少しで4冊目も読み終わるのですが、まだこの先どうなるのかがわからない。
おそらく今日明日中には読み終わるのだけれど、
早く読み進めたいようなお話が終わってしまうのが寂しいようなそんな気分です。
自分の来し方ゆく方を少し考えねばいかん。
色々と試行錯誤しつつ、なかなか飲み込めないお勉強。
その前に自分の身辺を少し綺麗にしなければいけないなあ、と、
どう頑張っても綺麗にならないお家を見ながら溜息を付くのでした(そっちか)。
気持ちの整理は上手なのに何故物理的な物事の整理がここまで下手なのか、
誰か私に教えて!えらいひと!

いまや、誰もこの世界を憎んではいません。
世界は明在系と暗在系にわかれ、
つまり、見える世界と見えない世界に、
人は、生と死によって振り分けられ、
しかし、お互いがお互いを相互に援助しあうセキュリティシステムとなっているのです。
だから、いい日があるから生きていこう。
生きていこう。生きていこう。生きていこう。生きていこう。

(青春の蹉跌のテーマ/大槻ケンヂ)

どうしようもない詩ですが、ダメダメの時にこれを聞くとちょっと頑張れる気がするのも確か。
すごく弱ってる人が同じように弱っている人に手を差し伸べているものだと思うのだけれど、
案外人ってそうやって助けあって、弱くて柔らかいところを合わせながら生きていくのかもしれないね。

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カテゴリー: 日記

まわり、めぐり、再び、出会う 2012-08-15

いく千年の年月を 私は生まれ変わってきた。
ある時は北の王様、ある時は西のペテン師。
虫ケラに生まれた時は、夕陽と一緒に消えたっけ。
哀しいことばかりだけど、死ぬまで生きればいいだけさ。
黒いネコで生きた日々は、不吉と呼ばれて追われてた。
青い鳥で飛んだ日々は、祝福されて矢で射られ
たった一つの夢のため、何度も生きたり死んだり
苦しいことばかりだけど、あなたに会うまでくり返す。
ティーカップ、テーブルクロス、ケーキナイフ、モンブラン。
(モンブランケーキ/大槻ケンヂ)

お別れしてもまた逢えたらチャラですが、
幾千年もの年月をあなたに逢うために生まれ変わり続ける感じはなんだか壮絶である。
楽しかった過去の記憶があるから今を生きていけるっていうのはよく聞くフレーズなのだけれど、
私は楽しかった過去の記憶があるからこそ、今それがない現実が痛いことのほうが多い気がする。
それって考える軸を自分で調整するってことなんだろうけど。
あれこれまた乙女モードになってますか。大丈夫ですか。
ごきげんよう、たいこです。
ブログがほんとになかなか書けないっっっ。
前回のブログから今日までの間に本を2冊くらい読みました。
お久しぶりの梨木香歩、「f植物園の巣穴」。
梨木香歩感満載の贅沢な小説でございました。
どっからが現実で夢なのか、それともこういう世界なのか。
奇妙な世界で現実との齟齬に悩みつつ、それでもしっかりその異質な世界に馴染んでしまう主人公のふわふわ感と、
その異質な世界で自分のルーツを探っていく過程で気がつく大切なことのあれこれ。
自分にとって都合の悪い出来事を、人の脳みそは都合よく変換して記憶しがちです。
けれど都合よく記憶したままではいけないことってある。
その時にはそうするしかなかったようなそういう痛い出来事を、少し成長した頃に再度開けてみるって
結構大事なことのような気がします。
なんだかそういう、「今ここで成長するタイミング」みたいな事を考えさせられるお話でした。
迷い込んだ奇妙な世界の世界観は非常に好きです。
上橋菜穂子の「獣の奏者」の後半2冊がやっと文庫化しまして。
それが欲しくて発売日前日に本屋に行ったのです。売ってなかった。
でも有川浩の小説が文庫化していた。当然買った。読んだ。
というわけで、有川浩「フリーター、家を買う」を読了。
いつもの感じよりとても地味で現実感があって暗め。
どちらかというと阪急電車に近いのかなー。という感じ。
自衛官や図書館のように、自分には身近ではない世界の事を描いている小説もとってもスキです。
けれどこういうふうに、もろに現実現実した小説も好きだ。
フリーターのすねかじりな主人公が、母の病気を機にしっかりとしたオトナになっていく様が見事に描かれている。
相変わらず取材すごいです。私は就職活動というものをしたことがないのだけれど、
就職するって大変なんだなぁ。としみじみしてしまった。
有川浩の小説は、読み終わったあとで「あーがんばろう」って気分になるのでとても好きです。
出てくる登場人物が例外なく魅力的なのも。
なかなかいい物を読みました。あー楽しかった。
映画も見に行きました。夏休みだし子供孝行でもしようと思って行ったんですけれども、
同行した母の好みで「桐島、部活やめるってよ」を。
正直子供には面白い映画じゃなかったと思う。
私はまるでノーマークの映画だったんですが、なにこれ面白い。
非常に面白い映画でした。面白いっていうと語弊があるか。
映画を見ながら自分の高校時代に感じた色々な感情がフラッシュバックするというか。
そういう意味でリアルな映画でございました。
何がっていうんじゃないけれど、じわじわと感動すると思います。
高校生ってもいろんな生徒がいて、それぞれに学校と自分の関わり方も違っていて、
楽しいことやしんどいことって色々あって。
でもそれもみんな違う。
例えば運動部。
例えば文化部。
例えば帰宅部。
高校生にもなれば、したいこととできることが違うっていう不条理さも嫌って言うほど身にしみるわけで。
わかりやすくその壁にぶち当たるのは運動部なんじゃなかろうかと。
頑張ったら報われるなんて嘘だ、なんてことみんな実は知ってる。
それでも頑張る事の意味ってどこにあるんだろう、自分は一体何をしているんだろう。
自分は喉から手が出るほど欲しいその才能、持っている人は残念すぎる無駄遣いしかしない。
女の子に、男の子にモテることが一番大事、恋愛至上主義な帰宅部の女子。
かわいい女子高生なんて世の中からもてはやされる最たるものなわけでして。
そんな花の時期に汗水流して努力をして報われない人たちや、
いるんだかいないんだかわからないようなところで、仲間内の他の誰からも相手にされず、
ひっそりと活動している文化部の人たちを見て、
「なにあれ理解できなーい。うざーい」
と言ってしまう彼女らに対して、オトナである私は「お前に言われたくないだろう」なんて思ってしまったり。
10代の終わり、大人になる一歩手前のなかのモラトリアムのお話は、
心の隅っこの普段は隠れてる柔らかいところをつんつんつんつんと心地よく刺激してくれたのでした。


RLのお話。
なんと明日(っていうか今日)で夏休みもおしまいです。
早いよ。。。早いよ。。。
あっという間の5連休でございました。
明日(っていうか今日)は長男の14歳のお誕生日です。
連休最後まであっためていた「区役所へ行く」という用事を済ませつつ、ケーキを買ってこようと思います。
この連休、たいして出かけもしていないのにすごくお金を使った気がしてなにげにブルーでございます。
はぁ。。お金どっかから降ってこないかなあ。
しかし子供たちはそこそこ楽しく過ごせたようなのでよし。


SLのお話。
ホラーナイト、オープンしてからは順調にあれこれできているらしく、まずはほっとしています。
大体落ち着いてきていて、お客さんが少ないなー。という日があるかと思えば、
いきなりSIMが満員になったり。
お盆ですからね。みんなお休みなんだよね。
私は次のイベントやら何やらに向けて、なぜか毎日スクリプトと格闘しているという有様。
なんでこうなった。。。!
楽しいことは大好きだし、必要とされることも大好きなのでいやじゃない。
いやじゃないんだけれど、自分でも気づかないうちにがっつりとお手伝い要員になっている
この現状が面白くて仕方ない。
やりますけれどもね。やりますやります。


そんなわけで、明日は私が子供というものを持ってから14年がたった記念日でもあります。
14年前は14年後の今のことなんて想像もしていなかったし、こういう日が来るってことも信じられなかった。
そのくらい生まれたては小さいしはかないのです。
14年たった今、あの頃生まれたてだった長男は、なんだか立派に大人の男の人になりつつある。
イオンで男性用シェーバーを買う日が来るだなんてね。
考えれば当たり前の事なのだけれど、これからうっすら寂しくなるようなことも増えるんだろうなあ。
そんな感じで、まるっとブログが書けないけれど私はそれなりに元気です。
追記:
なんか朝見たら後半の文章がしっちゃかめっちゃかになっていて久しぶりに赤面&まるっと削除。
寝ながら文章書くもんじゃないです。。。はい。。。

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森の暗がりで僕と 不思議な遊びをしよう 2012-08-06

ガラスでてきたカナリアは 君のために歌わない
背のびした金の靴は 君の足を傷つける
それでも君は街へ行く 金の靴で彼と
僕の作る風の靴は もっとステキなのに
(森へおいで/谷川 浩子)

ごきげんよう、たいこです。
前回記事では何の説明もなくよくわからない文章を載せました。
説明くらいしたほうがいいと思いますよ(他人事)
で。昨日のはなんだったのかというと、ホラーナイトに置いた仕掛けのひとつにまつわるお話です。
今年のホラーナイトもストーリー仕立てです。
奇妙な祭りに迷い込んだあなたは、なんと記憶も失っている。
失った記憶を取り戻し、この奇妙な祭りから脱出するために主人公は祭り会場をさ迷い歩くのです。
前回載せたものは、同じ会場にて進行しているもうひとつ別の小さなお話です。
今回会場の都合上、去年のような大きめな仕掛けをなかなか置くことができませんでして。。。
ならば少し変わったものを置こう、というところからこのサブシナリオが誕生しました。
「こういうことをしてみないか」という提案が出たあたりから、
スタッフであるASLANの頭の中には、ある程度の形がはっきり浮かんでいたようで。
見せ所はすぐに出来上がりました。
出来上がったものは自画自賛にはなりますが、とってもすばらしいです。ぜひ見ていただきたい。
BGMとして採用された曲を教えてくれたにょきにょきさん。
「こんな感じのものに曲つけるとしたらどんなの?」と、SS1枚ぺらっと送っただけで、
まさかこんなにはまる曲出して来てくれるとは思わなかった。
即決できたおかげで作業がすごく短縮されました。
この場を借りてありがとうと言いたい。
曲を載せてみて頭に浮かんだイメージがありまして。
そのイメージがこのサブストーリーになりました。
会場でお話するきんぎょのセリフや何かは、その頭の中のイメージに沿ったもの。
で、せっかくなのできちんとそのイメージを形にしてみようと思い立ったのでした。
正直、他の作業で追われていたり、ホラーナイト以外の事にも脳みそを使わねばならなかったり、
心悩ませる事態があったりなかったりでなかなか形にする気力とタイミングがつかめずにいたのですが、
オープンが延びた事で、えいやっとひとまず形にすることができました。
オープン前にまだ余裕があったので、さらに加筆修正を加えて、
イベント内で配布することにしました。あるポイントにたどり着くと一連のものを見ることができます。


ホラーナイトは、毎年始まりと終わりになんらかのトラブルに見舞われるのが常になりつつあります。
今年は平和だなぁ。なんて思っていたところに様々なトラブルが降りかかってきていて、
まさにファイナルといった感じですがまあ、これも一興と生あったかい目で見ていただけるとうれしいです。
お仕事の非常に忙しいさなか、睡眠時間を削って日々バグと戦っていたはるか先生には頭が下がります。
私の暇をわけてあげたかった!本当にお疲れ様!
スクリプトを書く作業は非常に孤独なのです。
作り上げたスクリプトは複雑になればなるだけ自分以外の人には手が出しづらくなります。
読解作業に加えて動作の説明をせねばならぬからです。
なので、手伝いたいが手伝えない(そもそもそこまでのスクリプトの腕がない)という、
これは冬のブラッディバレンタインのときにも感じたやるせなさを感じつつも、
出来るところは精一杯協力しよう、とスタッフ一同がんばりました。
本来こういうものは、頑張ったことを評価されるべきではないのです。
だから、がんばったとかがんばってるとか言うべきではないのです。
が、ちょっとここは甘えさせてもらって、頑張ったって言おうと思う。
頑張った!!!!!!!!
そんな感じで、のべにするとスタッフロールに乗ってる人以外にもたくさんの人の手を経て作られているイベント。
採算性のないものだけに、助けてくれる・手伝ってくれる人たちの気持ちに本当に感謝しております。
少々オープンが遅れ、楽しみにしている方々にはやきもきさせてしまいましたが無事オープンしました。
みなさん楽しんでいただけているようで嬉しいかぎりです。
こういうイベントは、手間と暇と採算のバランスが大変悪いのでなかなか続かないものだと思いますが、
ホラーナイトが5回も続いたのは、中の人たちが一番楽しみたいと思って作っているからなんだろうなと思います。
驚かされるのは嫌いだが、驚かすのは大好き!
わーっと皆で集まって、ダッと創りあげて、終わったら一瞬で撤去っていうお祭り感覚が、
どうしても楽しくて寂しくて好きだ、というのは毎年書いている気がします。
このぼんのうまみれで色々なものが捨てられない(特に眼に見えないもの)私が、
捨ててなくなるのが大前提のこういうものを愛してやまないのは自分でも不思議な気がします。
けれど祭は本当に、あっというまになくなってしまうからこそ愛しいのです。
保存しておけないから。二度と再現は出来ないから。


各方面に少々の迷惑をかけまして、何人かには頭が上がらない感じで。
いい歳こいて乙女乙女しいのは、決していいことではないと思っているのですけれど。
数々の愛情こもった(と勝手に信じている)ダメ出しは、ありがたく頂戴いたしました。
わかっててもなかなか実践できないことも多いけれど、
それでもそうしてダメ出しをしてくれる人たちがいるっていうことは幸せだしありがたいことだ。
そして少し、自分のことを考えねばいけない。
そんな感じで8月も最初の週末が終わってしまいました。
こうしてあっという間に夏が終わるんだなぁ。。
色々と困ったもんだ。

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