サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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ああ決定的自虐の愛さ 2012-07-17

秘密のアジトにさえも
二人の思い出ない
ああワンサイド自爆の愛さ
改めるぜ
もいちど生まれるくらいがちょうど
君の
ヒーローになる
君が全てを
変えてみたいならば
勝手に改造してもいいぜ
この手も
この目も
何より
心を
(かってに改造してもいいぜ/特撮)

アニソンになったオーケンの曲は普通の曲に比べて数段知名度が高いです。
これはおそらく一番最近のアニソンなのかしら。
最近のつもりでいたけれど、すでに1年以上経ってる気がしなくもないです。はやい。
決定的自虐の愛 みたいな単語が作れる事がすごい。
なかなか自分の辞書にはない言葉でございます。
アニメ版は水木一郎アニキが歌っていますが、私はオーケンファンなのでオーケンバージョンが好きです。
この曲は約一年とちょっと前、震災でめちゃくちゃな職場環境の中、毎日せっせと自転車を漕いでいる時に聞いていたもの。
今でも聴いているとあの暑い日差しとかエアコンのまるで効かないオフィスとか、コーヒーの自販機とか美味しくない社員食堂なんかを思い出します。
あの食堂は目がさめるほどまずかった。
ごきげんよう、たいこです。
1年前の私って何していたっけ。と考えて、色々と愕然とする。
思っていたより1年前の距離が遠い。
過ぎ去ってるなうの時点ではすごく早いのにこれはなんとしたことか。
遠い、と思うだけその1年にはいろいろと詰まっているんだろうなと思います。
色々と変わったのだろうなと。
確かにこの1年、本当にいろいろなことが変わったと思います。
震災の影響で。原発の影響で。
節電とか停電とかそういう言葉が日常語になっている現状と、
廉価な野菜の産地を見れば福島、という現状は未だ変わっていない気がします。
世界が変わったという言い方をしてもおかしくないくらい、あの日を堺に私の世界を見る目は変わった。
フィルターが変わったって感じ。
そして、そんな世界にすでに馴染んでしまっている自分もいる。
人ってのは本当に順応するいきものなのですね。


私の好きという気持ちは相手には関係がない。
この気持を相手が受け入れないからと言って、それは相手のせいではない。
ちょっと前に書いた十二国記の感想文と同じ話なのですが。
相手を思いやってとった行動が相手のためになるとは限らない、
もしくは、
相手を思いやってとった行動がその時の相手の希望に沿うとは限らない。
そしてそれが本当に相手のためになるかどうかも分からない。
そんなようなことを考えました。
オー・ヘンリーの櫛と時計の鎖のような話。
ためになるとは限らなくても、思いやられた方は嬉しいんだと思います。
でもそれは、思いやったんだって事が相手に伝わった場合に限るかもしれない。
人の心は見えません。自分のこころだって相手の心だって、見えない分からない。
だから、きちんとお話をするべきなんだなぁってことを思いました。
わかっていたってなかなか手を抜きたくなる部分なのですよね。こういう事。
好意をもらうのは嬉しいことです。
じゃあ好意ってなんだろう?
自分の事を認めてくれているということ。
なんの理由もなく相手に好意を寄せられるって事はないと思うので、
やっぱり何かしらその人にとっての価値を見出してるってことなのだと思う。
好意をもらって重たくなる事もあります。
これはなんだろう。これって多分、期待が強いからなんじゃないかな。
たまに好意のふりをした期待だけってこともある。
これは非常に重たい。そして消耗する。
そういえば3年から1年前の私の状況ってそれだったんじゃないかと思い当たる。
その好意を差し出して、相手がそれを受け取ってくれる。
それはとても幸福な事だと思う。
これがこと恋愛が絡んでくるとそうならなくなるのはなんでなんだ。
欲しいって思う欲が邪魔するわけですよね。
私は友達に対しても、この欲がないわけじゃないって思っているけれど、
恋って名前がついた途端にこの欲が制御しきれなくなるのかなと思ったりする。
友達間でも制御するのが危うい場面はありますが。
差し出すだけの好意ってのもあると思う。
差し出すだけの好意っていう事を考えた時に、気持ちがふと軽くなったのでした。
差し出すだけの好意が不幸なのかと問われれば、そんなことはまるでない。
ここのところ、色々と考える方向を間違えていたなぁ。なんてことを思う。
私の中に浮かんでいるこの気持ちをきちんと説明しきれているかというと甚だ怪しい。
怪しいのだけれど、これ以上きちんと説明出来る自信もない!
でも、考え進んでいる方向が間違ってる事はすごくよくわかった。
それだけで充分な気もする。


さて。今週は4日会社に行くとお休みです。
週末はお芝居。そして夜回り。
夏休みが近づくと、あれやこれやと自治会にまつわる行事が増える。
今年の私は役員なので、仕事も増える。
来週は盆踊りのお手伝いです。
楽しくない行事で大忙しになるのは切ない。切ないが仕方ない。
しかし2週連続で週末潰されるってのはいかがなもんなんだ。チクショウ。

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カテゴリー: 日記

時計台の下まで 草の中を歩こう  カタツムリを踏まないように慎重に歩こう 2012-07-14

夜の大きな金魚鉢 真っ赤に鱗を光らせて
遠くまで声を響かせて 砂漠の端まで届かせて
膨らんでいく海と 沈んでいく町並み
ほら僕の家の花壇の花びら達待ってる
(金魚鉢/たま)

今日の1曲。
あいちゅーんのプレイリストに「金魚」って入れたら出てきた曲。
それ以上でもそれ以下でもない。
いや、すごく好きな曲です。
聴いていると本当に心細くなってしまう。心がしおしおします。

金魚ブームです。
毎日毎日金魚を検索しては眺めています。
金魚アーティストなるものの存在も知りました。すげえんだぜ。
金魚養画場
仕事中にこんなものを眺めてため息をつく日々。
しかしこの人の金魚すごい。
金魚に魅せられた経緯とかはどうでもいいけれど、描いている金魚がすごい。
この人の金魚手ぬぐいが欲しいです。はぁ。欲しい。
なんでこんなに金魚金魚言っているのかというと、
こないだ読んだ「宵山万華鏡」っていう小説がすごく良かったからなのです。
私の脳みそなんて単純なのです。
でもきっと読んだ人は皆きんぎょきんぎょってなると思う。
金魚玉が欲しい。
それより天狗水の風船に入った金魚風船がいい。
超金魚が見たい。
宵山に行ってみたい!!!!!
京都の祇園祭、その宵山にだけ焦点をあてた連作短編集。
宵山の一日に焦点をあてた群像劇。
全部で6話収録されていますが、3つのお話の表と裏という構成でできています。
夜祭の心踊る感じはなんなのでしょうね。
日常の中にぽっと出来上がる非日常。
どこかに迷い込んで帰ってこれなくなるかもしれない、そういう危うさがよいのかもしれません。
物語を通じて、あちら側の象徴的に出てくる赤い浴衣を着た女の子の集団。
今回も素敵な京都ファンタジーになっておりました。
森見登美彦は本当に素敵だ。
どの作品を読んでいても、なんだかふわふわしているのです。
そのふわふわがとんでもなく好きです。
使う言葉が非常に可愛らしいのも好きです。
全体を通じてやっぱり優しい感じがするのが好きです。
そんなわけで、金魚欲と夜祭欲が半端ないのでございます。
この季節にぴったりな小説ですので、興味のある方はぜひ。
ごきげんよう、たいこです。
本格的にホラナイ準備期間に突入しました。
いろいろあってなかなか作業が進みません。
今日いろいろやろうと思ったのにな。。。出来なかった。。。
なかなかやるせないものがあります。
はぁ。まあでも休みはまだあと2日あるのだ。
だから大丈夫(何が?)
すでに今、眠たくて仕方がないんだが、これは寝るべきか。
やすみなのにーーーーーーー。
仕方がない。仕方がない。
おとなしく寝ようと思います。
おやすみなさい。

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きみなしの きみなしの 途方もない時を ぼくはもう ぼくはもう 持て余しすぎてる 2012-07-11

きみがいなくなってから 少し無口になった
きみなしの きみなしの 広すぎる世界で
ぼくはただ ぼくはただ 座る場所探してる
あれから全てが変わったのに
二人の匂いはもうないのに ああ なのに
きみには云えなかった 言葉があるんだ
できるなら できるなら 時が戻るなら
一度だけ 一度だけ きみに云いたかった
きみなしで きみなしで 生きてゆくなんて
どうしても どうしても ぼくにはできない
(きみなき世界/松任谷由実)

自分の置かれている状況や心情とはまるで関係がない今日の1曲。
この曲を聴くとどんなに幸せなときでも、失恋の時の砂漠の心が蘇ります。
胃がキリキリしてしまう。
こういうふうに表現ができることはすごいことだと思う。
私も失恋のキリキリな作品は書いたことがあるけれど、私はその頃本当に失恋でキリキリのグズグズでありました。
ユーミンはこれを書いた頃、絶対そんな状態じゃなかったはずで、それがスゴイと思うのでした。
ごきげんよう、たいこです。
丸八真綿から電話が来ました。
お布団のクリーニングしませんか?ってやつです。
うちには丸八のお布団がいくつかあるのだ。
何十万もする布団を母子家庭に売りつける感じが丸八のすごいところ。
私は当時、精神的にささくれ立ちまくっていたので買ってしまったのでした。
二度と買わない!!!!!!
昨日、Wiiのほうから妙な音が聞こえてきて、それが怖くてまったく眠れないという情けなさすぎる事態に陥りまして。
5時半くらいまでは覚えてる。だから今すごく眠い。眠いなら寝ればいいのに。ブログを書いている。
本当にだめなひとである。
私は昔、キャッチセールスに捕まる遊びをしていました。
キャッチセールスの人の口車に逢えて乗って、セールスを受けてみるみたいな遊び。
どんだけ暇だったんでしょう。19歳の私は。
化粧品や英会話教室、ビジネス専門学校、アクセサリーに絵。あとはリーゾトクラブ会員権。
いろんな物を勧められ、「1ヶ月の支払い分を日割りにしたらこんなにやすい!」
とか言われてその気になったりするやつです。
アクセサリの時は私についた営業さんと大げんかになり、店長に平謝りされたのもいい思い出です。
そんな話をしていたら、隣の席の人に「たいこさんかわってますねー」って苦笑いされたよ。
変わってるのか。ただ好奇心と時間がたくさん有り余っていただけだというのに。
うん。やっぱり今日は寝よう。それがいい。
気づいたらものすごく時間たってる!
あれです。眠気が来て眠れるってのは本当に幸せなことです。
昨日の今日だからそのへんはしみじみと感じるのです。

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カテゴリー: 日記