サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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大事なモンは幾つもあった なんか 随分減っちゃったけど 2012-05-17

何回迷ったっていいさ 血の跡を辿り戻ればいいさ
目標なんか無くていいさ 気付けば後から付いてくる
可能性という名の道が 幾つも伸びてるせいで
散々迷いながら どこへでも行けるんだ
(ダイアモンド/BUMP OF CHIKEN)

非常に懐かしいです。何年ぶりに魔が差して聴いた。
必死に前を向くダメニンゲンって感じのバンプの曲は可愛くて好きです。
人は強いほうがいいと思うけれど、最初から強い人は弱い人の気持ちがわからないと思うの。
想像することと経験してきたことはやっぱり重さが違うと思うの。
ダメなところから頑張って少しずつ強くなった人は、ダメな人の弱さを知ってる。
それは過去の自分だったってことがわかるぶん、優しいんだと思う。
自分がいい歳こいてダメだった事の言い訳ではない、と信じたい。
だめだめだった昔の自分は、今振り返れば可愛いなと思える今でよかった。
ごきげんよう、たいこです。
今日も今日とて夜更かし。
なんでこんなに楽しいのか。夜更かし。
何するでもなくぼけっとしているとあっという間に時間が過ぎ去ってしまう。
期末とちょっとした大事件でてんやわんやの職場ですが、そのひっくり返るような騒ぎの谷間にスコーンと落ちた形で、やらかしちゃいました。
今日は検証する間もなく帰ってきちゃったんですが。
明日検証して、私の思っているとおりだったらいいなぁ。。。という希望的観測。
しかし、済んでしまったことを振り返っても仕方がないので。
ごめんなさい。って謝って上司の皆さんに迷惑をかけよう、そうしよう。。とほほ。
この時期はエクセルが大活躍します。
会社っていうのはどうしてこう、いろんな角度から売上を分析したがるのでしょう。
ロジック考えるのは楽しいのだけれど、そのロジックを正確にこなすだけの技量が私にはないのです。
エクセルがんがんいじるくせに、カンマが3個以上ついた数字が読めないのです。
ぱっとみて「1億」とか「1兆」とか言える人を本気で尊敬する。
100万だって危ういというのに。
数字が読めなくてもエクセルはきっちり数字を計算してくれる、はずなのですが。
その計算が正しいかの検算作業が、複雑なものなら複雑なものほど必要で。
私はこの検算が非常に苦手でございます。
今日も、前日出したデータの数値がちょっとおかしいよ、と言われて昨日と同じ作業を繰り返すという事態になりました。
結論から言うと、時間は過ぎ去るし事態は変わり続けるのです。
去年の今頃仲間だった人が、今年にはいなくなってるなんてことは当たり前の出来事。
全体の成績は、今はなき去年の仲間の頑張りも入っているのだけれど、
それを仲間ごとに切り分けると、(必然的に)必要なのは今いるメンバーの成績になるわけです。
このへんに落とし穴があったよね。うん。
去年いた、今年いない人たちの数字を入れずに昨対比なんて出したら、
今年の数字は異常によくなるに決まっている。
っていうことを、1から作業をやり直さないと気づかない私ったらどうなの。
本当に、きちんと正確にってすごく苦手!!!
「早いけど雑」とは子供の頃から言われ続けて来た事です。
早いけど雑なんではなくて、それはゆっくり丁寧に確認したって気づかないでスルーしてしまうんだ。
間違いに気づかないんだ。
そういう自分のクセもよく知っているので、確認もすべてエクセルの数式ちゃんにやってもらっています。
本当にね、パソコンってのは究極の指示待ちクンなんだけれど、
そのぶん指示さえ正確に出せば、惚れ惚れするほどの仕事をきちんとやってくれるスゴイものだ。
そんなこんなで、あと1日2日はこの状況が続きます。
はぁ。のんべんだらりんとした暮らしがしたい。せつに。



学ばねばいけないことがとりあえず目の前にあるのですが、まったく頭に入りません。
おそらく私のアプローチが間違っているのだ。そんなわけで、
今はいろんな書籍を読んで、ぴたっとハマる勉強方法を身につけようと思う。
読む・書く・をやり続けれいればいける気がする。
何を隠そう、お勉強の中で一番嫌いで苦手なのが「とにかく頭に詰め込む系」のお勉強。
泣きそうです。が、覚えてしまったらあとあと楽なのもわかってる。
だからもう少しがんばってみよう。


必要の需要と供給みたいなこと。
私の必要としているものと、私に共有されるものが大きく違うと悲劇が起きる。
なかなかにこの需要と供給をいったりきたりできるような間柄は出逢えません。
自分には必要だと思うことと、必要とされたいと言うことと。
必要とされているのに切り離したくなるのはなんでなんだろう。
なかなかに強欲でございます。だってにんげんだもの。

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カテゴリー: 日記

微笑む人と夢で出会い ふり向いて まだ笑ってくれてたら 手を振れよ あがなうな 2012-05-16

ロコ!思うままに生きてごらんよ
腕はからませてもいいさ
涙こぼれても 傷つく時にも
いいことしかないさ
(ロコ!思うままに/特撮)

同名の小説も出ているくらい、オーケン自身もお気に入りのこの曲。
私には非常に思い入れの強い曲でもあります。
悩んで悩んで凹んで落ち込んでいた長いしんどかった時代の終わりに、
「あ、生きてて四面楚歌ってないな」とか「八方塞がりってないな」とかって思った事がありまして。
そうやって思ったタイミングでこの曲が発表されたのです。
ああ、私が思ったことと同じ事だ!!ってなった。
そんなこんなで大好き。
ちなみに小説は短編集ですが、この小説も私は好きです。
オーケンのマイノリティへの視線は、とても優しくて、
人とちがってしまうことや集団からはずれてしまうことの切なさやらかなしさを、
「わかってるよ。大丈夫だよ」って認めて掬いあげてる感じがするのです。
ごきげんよう、たいこです。
お仕事がちらほらと忙しいです。
そういう時期だから仕方ない。
仕事することは嫌いですが、仕事そのものが嫌いかと問われると、それはそうでもない。
私は通勤が嫌いなのだ。
昨日は久しぶりにがっつり残業しましたが、定時で帰る日よりも残業してる日のほうが仕事に集中できたりするのはなぜなのでしょう。
暇で定時待ちしている時のやる気のなさっぷりがひどいと我ながら思います。
「あなたの仕事に対するモチベーションってどこにあるの?」
と聞かれました。
うん。そんなものはない。
その時その仕事が自分にとって楽しいか否かでしかそんなもの発揮しない。
「じゃあ、あなたにとって仕事ってどんなもん?」
と聞かれました。
お金を稼ぐため以外のなにものでもない。
お金を稼ぐ必要性がなければ、私は今だってエクセルは使えないだろうし、
Windowsの便利ショートカットも1個も知らないままだったに違いない。
そういう事を覚えられたのは仕事のおかげだけれど、でも私にとって今のところ、
仕事っていうのはお金を稼ぐ手段でしかないのです。
その人はすごくよく仕事をする人で、会社でもみんなから頼りにされている。
休みだろうがなんだろうが関係なく連絡はくるし、必要があれば定時の2時間も前から出勤していたりする。
自分にとって仕事のモチベーションってなんなんだろう、と、考えてしまったらしい。
私は仕事に対してそこまで思いいれたり頑張った記憶がまるでないので、
ある意味尊敬してしまうのですが。
完璧主義で、人に仕事を任せきる事ができず、能力もあるのでどの仕事も全部自分で抱えてしまって
気づくとものすごい量の仕事を前にマッハのスピードでクルクル動いている彼女は、
私とはその辺が正反対である。
私は自分でもどうかと思うくらいいい加減だし、人に任せて「そうじゃねえ」と思っても
形になっていればそれでいいやーって流してしまうし、何か思うところがあっても、
それが直接自分の身に振りかかることでなければ、口をだすことはしない。
基本自分のパートの仕事がやりやすければそれでいい。
職場に求めることは働きやすい環境でしかないし、
それは、職場が暑いとか寒いとか狭いとか広いとかそういうことではなく
仕事を通じて関わる人間関係の事だったりする。
きっとそういうんじゃない仕事の仕方ってあるよなぁ。と思い始めたのが年末です。
お金を稼ぐ手段だけではない仕事の位置づけ。
自分にとっての仕事をそういうふうにしたい。って思ったんだったなと、
そんな話を聞いて思い出しました。
今の仕事はとにかくエクセルを使う仕事で、
とにかく数字にまみれた仕事で、
そういう仕事をしている私のことを、「理系だ」と思っている人が少なからずいるようです。職場に。
私ほど文系な人間はいないのにーーーー。
文系だけど生活のために数字をごちゃごちゃいじってるんだ!
と、言っても信じてもらえなかった。
文系な人間が脳内お花畑で遊ぶはずないのだ。
本来は白も黒も赤も青も全部ぐちゃっとしたままでいいような人なのです。
どこからどこまでを白のグループにいれて、どこからどこまでを黒のグループに入れるの?っていう
その線引きはどこにあるの?っていう
それならその色はそのままでいいじゃないか。という。
白黒はっきりつけちゃうぜ!なんてまるで思えない!
理系でどSとか、よく思われがちな人物像ですが自分で思っている自分像はその正反対なわけで。
しかしそう見えるというなら、そういう面も確かにあるのかもしれませんね。
……理系の面が?


ひとりでいるのはさみしいなあ。というさみしさと
求められてはいるけれど、求める方向が見当違いーっていうやるせなさと。
寂しいから誰か一緒にいてほしい、必要とされたいっていう気持ちはある。
だけど、必要とされたい感じと全然違う感じに必要とされると、心底うんざりしてしまう。
世の中には沢山の人がいて、恋人が欲しいなと思う人も沢山いて、
結婚したいなと思う人も沢山いるんだけれど、
「私もあなたも恋愛したいのね。じゃあ私達で恋愛しましょう。」
という風には出来ないのが恋愛だったり結婚だったりだろう。と思う。
しかし世の中にはそんな風に恋愛する人が思ったより沢山いるみたいだ。
うーむ。
そういう感じで恋愛すると、消耗することにしかならない気がする。
でもそれで満たされる人もいるのが事実なんだなぁ。なんてことを考えつつ。
こういうものに対する思い方、考え方は人それぞれ。
自分で思っている以上に、そっち方面では融通きかない自分を発見したのでした。


考えすぎるとろくなことがないっていうのは間違いだと思う。
考えて考えて煮詰めて煮詰めないと生み出せない事柄は沢山ある。
良くない方向に考えてしまうことも含めて、やっぱり考えることは必要だと思う。
きちんと考えれば、良くない方向に突っ走る思考がおかしいってことにも気づくよ。
そういう時は大抵、本当はもうとっくに見えている結論が自分の気に入らないからそうなってるんだ。
きっとこれはこういうことだけれど、それを受け入れると自分がとっても可哀想。だとか、
ちょっと耐えられそうにない。だとか。
堂々巡りをして、そういうことに気づくのはやっぱり考えるからだと思う。
飲み込まないと先に進めない事柄はある。
頭でわかってても気持ちで納得するのが大変だというようなことも。
でもそれが頭でわかっていれば、心の負担は随分軽くなるような気がする。
きちんと考えていれば、一時の気の迷いに流される確率はすごく低くなる。
結果的にそれが自分を救うんだと思う。
感情にばかり流されては自分の身は持たない。
これは強いっていうことでなく、自分の感情を予め、できるだけコントロールするための手段だ。
強くなる必要はないかもしれないけれど、賢くなる必要はあるきがする。
せっかく考える頭を持って生まれたニンゲンなのだから、あるものは使ったほうがいいよね。

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カテゴリー: 日記

愛も 問えば 突き刺す痛み 耐えて 泣いて 闇 宿してく 2012-05-14

知るべき坂の途中 息切り想う明日は
変わらぬ道にいるだろう
空だけ見てた様な 青さに止め刺して
僕など抱え込む誇り 吹き飛ばせ
先へのめらす体は自然に
饐えた低地 這い出し目指す
誰も行けぬ険しき場所に 添えた花は 誰 置いたもの?
(真鍮卵/GUNIW TOOLS)

昔々よく聴いていたバンドなんですが、こうして歌詞を書くとすごく難しい漢字がいっぱい!
難しい漢字いっぱいですが、このバンドの歌詞は結構好きでした。
今も好きです。
ごきげんよう、たいこです。
昨日はお芝居を観て参りました。ケラリーノ・サンドロヴィッチ、ナイロン100℃の本公演。
タイトルは「百年の秘密」(公式サイト→https://www.cubeinc.co.jp/stage/info/nylon38th.html
ナイロンには私の好きな俳優さんが沢山いるのです。
大倉孝二とか。峯村リエとか。
物語はタイトルどおり、2人の人間をめぐる100年くらいの時間の流れの中で起きる出来事を淡々と綴ったもの。
ただし時代は行ったり来たりして、時系列通りには進まない。
チラシや前宣伝で、「女の友情」というようなキーワードがちらほら出てきていまして。
確かに軸は2人の女の子の出会いから始まる。
女の子はおとなになり、それぞれに結婚をして子供を産む。
お世辞にも幸せとは言えない彼女らの一生なのだけれど、3世代、4世代という長いロールで見ると、
それはそれで悪くもない人生に見えてくる。
もうひとつ大きな存在として出てくる中庭の楡の木。
一族とその周囲の人の秘密を聴き続けてきた楡の木。
自分は死んでもこの楡の木が残る。いわば楡の木は、それぞれにとっての唯一の存在。
何世代にも渡って、この一族の中だけで歌い継がれている楡の木の歌がまたよかった。
子供たちがおとなになって、子供を産んで育てて死んでいく。
またその子供たちがおとなになって子供を産んで育てて死ぬ。
人はずっとずっとそういうことを繰り返して生きている。
人だけじゃなくて、生きているものはみんなそうやって命をつないでいる。
今現在の私達は未来の自分たちのがどうなっているのかを知る術はない。
過去の自分も、今の自分の状況なんてまったく知らなかった。
過去の自分が思い描いていた未来と、今の自分の状況がぴったり同じなんていう人はそうそういないだろう。
一番キラキラ輝いていた時代の、キラキラとした未来予想図と、そうではない未来の自分。
そういうものはとても切なくてやるせないのだけれど、それでもその現状が不幸であったのかは誰にも分からない。
切り取って眺めた時の切り口や眺める人によっても変わってくるものだと思う。
こういう、言葉にするのがすごく難しいのだけれど「胸いっぱい」になって大満足でございました。
大筋とは別に、私の大好きな大倉孝二の扮する主人公のお兄さんのキャラクターがグっと胸に迫りまして。
本当に優しい人で、その優しさ故に身を滅ぼしてしまう。
過去のちょっとした台詞は、終わってしまった後になって思い返せばすごく意味があった、
というようなものを、時系列バラバラにして見せられたことではっきりと浮かび上がってくる。
非常によいお芝居でした。


あーいい芝居観た。満腹だー。と本多劇場から出てぷらぷら歩いていたら迷子になりました。
自分でも信じられなかった。びっくりした。
常に感覚で道を歩いているのは確かだけれど、昨日はファーストキッチンすら見つけられなかった。どうなのこれ。。。
同じ道を3回くらい通ってやっと駅にたどり着く。
喫茶店でダラダラする時間もないまま、帰宅したら6時半でございました。むぅ。
慌てて帰宅したというのに家には子供の姿がなく。
どうも3人揃って実家に行ってそのままお泊りしたようで。
それならそうと言ってよねーーー!だったらゆっくりご飯でも食べて帰ってきたのにーーー!
などと思いつつ、いつもより静かな夜を過ごしました。
いいものを観た後の充実感はハンパないですね。
昨日は1日ちょっと幸せな気分でした。


私は色々と、あまり人に理解されにくい趣味をもっています。
いいなと思うものがあまり一般的でない感じもなんとなく自覚しています。
自分の好みを誰かにわかってもらおうとは思っていないけれど、
同じ感覚を持つ人がいたらすごく嬉しいです。
「これのどこがいいのかわからない」ということは、言われなくても分かっていることだったりします。
私だってあなたに押し付けないのだから、あなただってその価値観を押し付けないでほしいと思う。
日本に於いて、Secondlifeはマイナーなツールです。
ここは自分で何かを生み出さねば楽しめないところです。
星の数ほどある他のネットゲームやSNSと根本的に違うものです。
だから、Secondlifeの何が面白いのかわからない人たちが沢山いても、それは当然だと思う。
面白くなければやらなければいい。
その中で楽しんでいる人のところにわざわざ来て「何が面白いの?」なんて問うようなことはしなくていいよねえ。
なんでこんなことを書いてるのか。
そんな事を思わざるをえないような出来事があったからだ。


言葉を尽くしても伝わらないもどかしさ。
言葉を尽くしても伝わらないのがわかっていても、それでも伝えるだけは伝えようとするときもある。
同じ言語を操っていたって、どうしても話しの通じない事はある。
そういうことのほうがむしろ多い。
同じようなことをつい最近書いた気がするけれど、
今日も今日とてそういう事を痛感したのでした。
誰が悪いのでもないんだ。
だけれど、「あなたに言っても理解できないと思う」というようなことを言うべきではないよなあ。
って反省したのです。
ここのところ、この「どうせ言っても理解できないでしょ?」と思ってしまうことが大変多く。
理解出来ないくせになんで聞くの?と思ってしまうのはきっといけないこと。
私、最初から理解されること拒んでるじゃんっていう事に気づくわけです。
うん。でもな。。。
何かを伝えるって結構エネルギー使うんだよ。
伝わらないのは承知でそのエネルギー使ってる余裕って、今の私にはあんまりないなぁとも思うんだよな。
言葉でさくっと伝えきれるはずのないことを、気軽に聞いてくる人たちと大量に接したここ最近。
そういうことで疲れちゃったんですね。うむ。
癒しと消耗のバランスが悪い。
もう少しバランスよく供給しないといけません。癒しを。
トゲトゲした結果、やっぱり落ち込んで消耗するのも自分自身なのだから。

愛も 問えば 突き刺す痛み 耐えて 泣いて 闇 宿してく はコメントを受け付けていません
カテゴリー: 日記