サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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言葉なら残り後先縮む その為に今、何を踏みつける 2012-01-31

教わった生き抜く術は自信を持ち無知をごまかすだけ
言葉なら響き、虫さえ逃げる
心なら見えぬ 微笑みはごまかす手段
(腐肉にとっての愛/グニュウツール)

最近周囲の人達の寝る時間がとっても早くて夜更かししている自分がダメな人の気分!
やらねばいけない作業も遅々として進まないのはなんでだ。
遊んじゃうからだ。ぎゃふん。
Drowsyがリオープン。ほんっとに相変わらず素敵な世界観を全開に作っていらっしゃいます。
閉鎖するまえの街の朽ちた後なんだよねえ。なんだかとっても切ない。
でも、とっても綺麗。

いつものようにおみやげが会場にいっぱい散らばっています。
探索しながら集める楽しみ。
ハントって本来こういうふうに楽しむものだと思うんだ。
SSのインコと、うさぎの帽子つきおさげもおみやげでございました。
詳細はこちらのブログから。→https://coffycoffy.blog89.fc2.com/blog-entry-279.html

ごきげんよう、たいこです。
私は、自分が生きるのと楽しむのに精一杯でして。
自分に深くかかわらない人間が何をしていようが気にも留めません。
もちろん、近しいお友達や家族に関わるような問題は重大な出来事だし、
私の愛する家族やお友達には、心の底から幸せになって欲しいと願っています。
しかし、たとえそうであっても、大切だからこそ、
本人の語りたくない事に関してはどれだけ気になっても聞きません。
聞きたいのは私のエゴ。それを聞き出すことで相手に負担をかけるくらいならばそっとしておきたい。
話したくなった時に話してくれれば喜んで聞くし、それは、私自身にとって負担になってもならなくても、
楽しい話じゃなくても、相手がそれを欲するならば喜んでそうしたい。
他人である私ができることなんて、親子の間であったって話を聞いて感想を言うくらいのものだから。
もうずいぶん昔からテレビを観なくなっているので、今のワイドショウ事情って私よくわからないんですが。
私はそれこそ20年くらい前からワイドショウが大嫌いです。
あれほど醜いショウはないと思う。
ワイドショウが嫌いなのは、噂話が嫌いだからです。
噂で色々判断してしまう人間が苦手だからです。
人の最もいやらしい部分をさらけ出して、平然としている感じが見ていていたたまれないからです。
そういうのを「恥知らず」と言います。
恥知らずで頭の悪い人間は本当に心底苦手です。
せっかく持って生まれた想像力を、一番醜いもののために使うなんて言語道断だ。
ワイドショウみたいな人間って本当にいるんだなー。ってことを実感するような出来事がありまして。
本当にね、心底気持ちが悪いよ。
私は大抵の事では引かないのですけれど、事こういう事柄に関してはドン引きするんです。
耐性もないし、今後その耐性をつける気もない。
私は建前も嫌いです。
思ってもいないような事を平気で口にする人間が大嫌いです。
自分都合で言ってることがぶれまくる人を信用するわけがない。
そんな小学生でもわかるような事すらわからない、気づかない無神経さは悪だ。
噂好きの恥知らずな人間は、まずこの建前で仲良くなろうとする。
本当にこの世からいなくなってくんねーかなーって思うほど嫌いです。
なんの根拠もないただの憶測を「事実」だと確信する人もいます。
どんだけ頭の中おめでたいのと思う。
おおうにしてこういう人も、自分の思った答えが相手から引き出せないと、
その人の都合の悪い意見は「信じない」というスルー作戦に出ます。
プライドを隠しているつもりでも隠しきれていないのは一番かっこわるい。
自分たちだけは違うって、根拠もなく安心しているそのある意味強さは真似できません。
したいとも思わないけけど。


人の世は一人では生きていけません。
だから、自分以外の他人のことって気になるんだと思う。
けれどね、一番に気にかけなければいけないのは自分自身のことだと思う。
他人の事ばーっかり考えてると、知らないうちに自分自身がスカスカのカスカスになっちゃうよ、
って、これだけは本当に思います。
ま、スカスカのカスカスになってみなければわからないことなのかもしれません。ね。

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カテゴリー: 日記

青春漂流記 2012-01-30

シャイな少年 毎晩 枕に夢詰め込んで寝る
塞ぎこむ少女 毎晩 鏡に向かって戦う
だって 僕らは知っている
時計は人生の終わりを刻み続け
楽しい日々は風のように
通り過ぎる あっという間に
ステップ ステップ ステップを踏んで
夜明けに向かってステップを踏んで 駆け出そう
どんな壁も終わる恐怖の前では へっちゃらさ
本当のことなんて誰も教えてくれないから
それなら僕は 漂い続けよう
この青い春で
(青い春/劇団鹿殺し)

鹿殺し!鹿殺し!SHIKA564!
というわけで観てきました。劇団鹿殺し。
劇団名やチラシのデザインからは全く想像がつかない、想定外な芝居を繰り広げる素敵劇団。
私は去年の夏に「岸家の夏」を観て衝撃を受けてしまってからファンです。
まだ公演2回しか観てないけど。
前回公演の折に過去公演のDVDを買って観たわけですが、
DVDだってのを差し引いても、かなりの感じで成長している感じがしたのです。
なもんだから、今回の舞台、ものすごく期待値が高くてですね、これが裏切られたらどうしようっていう不安と、
いいものが観たい!という期待でいっぱいになりながら紀伊国屋ホールに行ってきたわけです。
いやああああああ、良かった!
歌あり踊りあり、一人二役三役当たり前、メイン以外は役名が10個くらいついちゃうみたいなワイワイした劇団なのですけれど、扱うテーマが非常によい。
脚本がすごく良い。
脚本はあの、丸尾丸一郎氏なんだよねえ。。あんなもじゃもじゃでぐりぐりなお目目でグワーって感じなのに、紡ぎだす物語の繊細さは素晴らしい。
ダメ人間と、そのダメな人に対する愛あふれるお芝居でございました。
夢を諦め切れないズルズルの大人達。
人のキャパシティってのは限られていて、夢を追いかけることと迫り来る現実と戦い続けることって一緒には出来ないものなんですよね。
だって正社員は、「稽古があるから2ヶ月休みます」なんてこと絶対にできないんだ。
私も若い頃は夢追っかけまくって滅茶苦茶な生活をしていました。
そのままいい大人になっちゃってる、それこそ今回のお芝居に出ているようなダメな人たちもいっぱい観てきました。
芝居から足を洗うきっかけの王道は、子供ができて結婚するとかでした。
私もまんまとその王道に乗っかって芝居から足を洗いました。
子供をたてつづけに産んだ私は、それから10年くらい迫り来る現実と戦い続けました。
今振り返っても、結婚していたあの期間の私の脳みそはとろけきっていたと思う。
死なないように生きること、死なせないように育てることでいっぱいいっぱいだったわけです。
それはそれで、現実とはなんぞや?を知るいいお勉強になったわけですが。
私は今は世帯主ですから、これでも精一杯現実と向き合って暮らしています。
毎日決まった時間に仕事に行って、お給料に見合うだけの働きをして、
ちょこっと会社の人達に必要とされたりしてそういうところで幸せを感じるような。
家に帰ってくれば思春期&反抗期真っ盛りの子供と、若干気の抜けない勝負をし続けるような、
それでもいつかは私のもとにも王子様が……!っていう妄想も若干交えつつ。
で。
ちゃんとした大人は、「青春時代の思い出」として、夢に向かって滅茶苦茶をしていた時代のことは封印してしまえるものなんだと思うのです。
そういうことをちゃんとできている人ってのは、確かにいる。
「ここまでよ」って幕を引くのは自分自身にしかできないわけで。
色々な計算や打算、将来のこととかを考えて「はいここまでよ」ってやるわけですよね。
それをしきれないのがダメな大人。
ダメな大人になると、普通の大人が普通に出来ることが本当にできなくなるのです。
30すぎてもジョナサンがごちそう!みたいな暮らしになったりするわけです。
封印しているつもりでも、心のなかではまだまだくすぶっている夢の欠片ってのもあるわけで。
私なんて未だに「なんの役にも立たないような事ばかり考えて暮らしたい」って思い続けてるんですもの。
私のやりたいこと、なりたいもの、実はまだまだ掴みきれていない35歳。
自分の可能性に見切りをつけることが出来ない3児の母。しかもシングル。
充分中途半端な私みたいな人間には、今回のお芝居はグサグサと刺さるものがあったんじゃないかと、
そしてそういう人は案外多いんじゃないかなとも思いました。


高田聖子の演じるアイドルグループ「モトコー5」のリーダー波美に泣かされた泣かされた。
もうほんっと、すごくよかった。
残りの4人のメンバーがうだうだずるずると辞めることも続けることも出来ずに暮らしていた20年間、
彼女は一人で真剣に夢を追いかけている。
がむしゃらに夢を追いかけている期間が青春だというのなら、まさに彼女は青春を漂流し続けた人なのです。
青春を漂流し続けた人の結末として、あれ以上身につまされるものはないのです。
彼らは「うまいことやる」ことができない人たち。
うまいことやることができない人たちって、本当に残念な人たちなのだけれどとっても愛しいなあと思ったのです。


今の私は、現実と何とか折り合いをつけつつもうっすら夢見ているという非常に中途半端な状態なのですが、
どうせ夢見続けることがやめられないのなら、現実と折り合いがつけられる方向で、がっつり夢を追いかけてもいいのかなと思い始めています。
そんな状態の時に観たものだから、とてもシンクロしてしまったのは言うまでもなく。
夢を追いかけ続けると、社会のメインストリートからは弾き飛ばされてしまう。
でもそれでも、もうそのメインストリートにはあまり魅力を感じない自分もいるのですね。
もちろん、お金のことで悩まない暮らしとか、
明日のことがわからない不安定な感じから開放されることは魅力なんです。
けれどもね、自分の中にある何かと引き換えにそれを手に入れたいかと言われると、
なんだかそれは違う気がするのです。
私の暮らしざまや生き様を見聞きして、引く人は引けばいいと思う。
何かやらかす人って、きっとたくさんこういう思いをしてきている。
どうしようもなく我侭で幼い、心のなかにあるものは、きっとずっと大事にしていくんだろうなぁ。
モトコー5のように。

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カテゴリー: 日記

この恋がいつの日か表彰台にのぼる時 君がメダルを受けとってくれないか 2012-01-26

僕が眠るのは君の夢を見るとき
僕が歩くのは君に会いに行く時
僕が何も聞かないのは
答えなんかない方が その方がいいから
(千年メダル/The HighLows)

なんだもう雪が降ったり積もったり、週の頭からバッタバタな今週ですが、
皆様風邪やら怪我やらしていませんか。
私は日曜日に台所でガラスの破片を踏んでしまって地味に足が痛いです。
なかなかうまいこといかない差し歯の交換工事も、やっと仮歯が安定してきて一安心。
いや、これ安定させるために工数増えてるんだけども。
肝心の根っこの治療が未だ手付かずのままです。
負荷をかけると仮歯は簡単に取れてしまう。
歯ぎしりは非常に根っこに負荷をかける。
と、そういうことらしいです。
寝ている間の歯ぎしりに関しては、私は自分でどうすることもできない……!
しかし歯医者の先生はとても良い人なのでよかったです。
たまに「背もたれ倒しますよ」って言わずに背もたれ倒されるけど。
ごきげんよう、たいこです。
実は私生活でも、「おいおいおいおいw」って思うような出来事が起きまして。
寝耳に水ってわけでもなく、大方予想はついていたことであったのですけれども、
しかし、私が色々と思い考えていたことは全部無駄だったんだなぁなんて思ったり、
しかし、少しこちらの肩の荷が軽くなったりしたのも事実なのです。
それにしても、8年前にあなたが言った言葉はすべて方便だったのですねと言わざるを得ない感じに非常にがっかりしたのも事実で。
子供に対する愛情的な表現を方便に使っていたことは、当時から気づいてはいたけれど。
自分がどういう気持でそういうことを言ったってことくらいは覚えていて欲しかった。
それは、子供の父として。
人の気持ちは移ろうものだし変わるものだけれど、
負うべき責任ってあると思う。そして大抵責任って移ろうような種類のものではない。
子供が残念がるだろう、少なからず傷つくだろうということは容易に想像が出来る話で、
それは父親が再婚するということではなくて、
再婚してしまったら遠くへ行ってしまって、めったに会えなくなるよっていう事実の方なんだよってことを
子供たちの父親は理解していないように感じました。
彼は今でも不定期に会い続けている子供たちの、一体どこを見ていたんでしょう。
父親で在り続けることは、彼にとっては負担でしかなかったんでしょうか。ね。
8年前は子供をだしにして私の家の中にまで上がりこんでいたというのに。ね。
大切な人を傷つけざるを得ない時は、覚悟を決めて、逃げずに、きちんと話すことが必要だと思う。
なんでそれを端折ろうとするのかな。子供だってひとりの人間なんだけどな。
お前の将来の展望など私には関係ないのだ。
東海にでもどこにでも行って好きに暮らせばよい。
しかしそれを聞いて「簡単に会えない」という事実に打ちのめされるのは、
他でもない、お前が大事だ大事だと言い続けてきた子供たちなのだ。
なぜ子供にそれを報告しないんだ。馬鹿者め。
しかしそういう殿方と3人の子供を生したのは私の責任でもあるわけで、
本当に申し訳ない。
遺伝子が半分混じっている人という意味では、子供にとっての親ってとっても大きい。
それは私も身にしみて感じていること。
はー。。。。
まあいいまあいい。
こんな話をしてものすごい落ち込みかけたところにひょいっと顔を出してしまったせいで、
こんなに面白くない嫌な話を聞かされるハメになったお友達に、この場を借りてごめんなさい。
でも、ひょいっと顔を出してくれたおかげで私はだいぶ楽になったのです。
この場を借りて、ありがとう。
こういう、「話したからといってどうにもならない」うえに、
「第三者がとっても口出しづらい」話しを聞いてくれる事に頭が下がりました。
聞いてくれるだけでよかった。でも、聞くだけだって非常にしんどかったと思うので。


軽薄って事について色々考えています。
これは前述の父親とか子供とは関係のない話。
軽薄って言葉が最近本当に頭の中をよぎります。
軽薄。しみじみと。
ザ・軽薄。とか心のなかでつぶやいてみたりする。
私は軽薄には馴染めないなあってしみじみ思うのです。
うん。無理だなあ。
向こう側が透けて見えているのに表面で取り繕う事で何事もうまく乗りきれるなら、
そんなに素晴らしいこともないんでしょうけれど。
なんだかその先にあるものってろくでもない気がする。
そういうことを色々考えていて、若干心が疲れ気味。
なかなかやるせないものでございますな。
しかし、やることがたくさんあるのがこれ幸い。
RLもSLもやることがいっぱい。
やることはいっぱいだけれど、やっぱりこうして思ったことは綴って行ったほうが心には優しいんだなと。
しみじみ。


そういえば今日は次男の12歳のお誕生日。
年男!
というわけで、次男と私はまるまる2回り違いなのです。
次男は今のところうまい具合に賢く優しい子に育ってくれている。
あのまま良い感じにすくすく行って欲しいなあ。と思うのです。
お誕生日おめでとう。今年1年が素敵な年になりますように。

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カテゴリー: 日記