東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜
「東京タワーっていう本があるんだって。読みたい」
と、房総あたりで月見ながら話していたら、「江國?」と聞かれた。
「ううん。リリー・フランキー」
と、私は答えた。
私はこの夏、本当に今までにないくらいよく泣いた夏だった。
人の温かさが身に染みて本当によく泣いた夏だった。
人に甘えると言うことが上手に出来ない、判らなかった私が、甘えると言うことをなんとなく掴んだ夏だった。
私は家族以外の存在によって、甘えると言うことを学んだのだ。この歳で。
さておき。
私は 「『東京タワー』を読んで、思いっきり泣けばいいのさ。(ある編集者の気になるノート)」 から、この本の存在を知った。
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この本は、時間のある時に、出来れば休日何も予定のない時に読んだほうがいいと思う。
特に後半は絶対に電車やバスの中で読まない事をお勧めする。
本を読みながら嗚咽する経験を、私は初めてした。
泣けるからいい本、泣けるから優れた物語、と言う気は、私は毛頭ない。
けれどこれはとてもとても優れた、小説だと思う。
泣かせようと描かれた嘘の話は、泣きこそすれ素晴らしいとは思わない。
著者はただただ、自分の内にあるものを真摯に伝えようとしたかっただけだ。
自分の最愛の人に。
では一体これは何を描いた物語なのかと言うと、人に産まれた以上、大抵の人が経験するべき事柄について。
自分が産まれて、大きくなるまでにどうしても関わらざるを得ない存在についての物語である。
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私が感じた事。まず、感じた事。
「ボク」はとっても幸せな人なんだなぁと言うこと。
そしてとても優しい人なんだなぁと言うこと。
子供時代の感覚を忘れていない人が、私は好きだ。
子供時代に感じたいくつかのことを、大人になって冷静に観察できる人が私は好きだ。
至極冷静に。
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そしてふたつめに感じた事。
男の子はいつまで経っても息子で、お母さんはいつまで経ってもお母さんなんだなぁって言う事。
私は今、両方の立場にいるのだ。
3つある世代の真ん中にいる。
物語前半を読んでいて、私は思った。
「私はあんなふうに思ってもらえるのだろうか」
私には2人の息子がいるから。
やっぱり読んでいて、「ボク」と共感出来ない「オカン」に対する感情があるから。私の中に。
きっと、娘は、母になった瞬間からある部分で対等に観るようになるのだろう。
そして、自分の人生を削り取って子供に捧げている実感のない私からは、少々耳が痛い話だったりしたのも事実だ。
でも、私の母を振り返って見てみれば、母はやっぱり自分の人生を子供に分け与えたなんて思っていないだろうし、私から観ると母はある部分、母の人生を切り分けてもらっていたような気がするのだ。
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3つめに思ったこと。
私は「ボク」に言いたい。
あなたの「オカン」は幸せだった。と。
あなたは「オカン」にとって、申し分のない息子だった、と。
だから感謝はしても、悔いる事はしないで欲しい、と。
そう思ってしまう気持ちはわかるけれど、しないで欲しい、と。
だって私がもし、自分の息子に同じような事を思われたら結構悔しいと思うもの。
なんでこうしなかったんだろう。
なんで優しく出来なかったんだろう。
なんて俺ってやつは。。。
って思われることは、非常に悔しい。だから。
自分の事を無条件に愛してくれる人にできるお返しは、
「ありがとう」と言ってまっすぐにその好意に甘える事だと思うから。
もしもその人が自分と関わりがもてなくなってしまったとしたら、
その人に感謝しつつ、精一杯幸せになる事がお返しだと思うから。
だって自分がその立場だったら、絶対にそのほうが嬉しいから。
そこで後悔することは、甘えだと思うから。
けれどこうも思う。
そういう甘え方が出来るのは、この世の中に母親しかいないんじゃないかなぁと。
「オカン」だけが、きっとこの世で無条件に甘えてもいい人なんだろうなと。
だからそれでいいのかなとも思う。
他の大切な人に、ちゃんと恩返しが出来る、そのためにも。
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4つめに感じたこと。
ところどころで、著者はごくごく当たり前のことを問う。
どうしてそうなんだろうと問う。
それは人間として、当然とも思える素朴な、
でもものすごくまっすぐな疑問だったり憤りだったりするのだけれど。
その中に象徴として出てくるのが、東京だという事に、私は少し悲しさを覚える。
だって、私は、東京で産まれて育ったんだもの。
私のホームグラウンドは、東京なんだもの。
東京がホームグラウンドの私の目から観ると、外から来た人が踏み荒らして荒涼とさせてしまった、という印象の方が強いのだ。下町で育った私達の間で、少なからず芽生えている「田舎モノ」という侮蔑した意識は、そういうところにあったりする。
「東京の人は冷たい」「東京なんて大嫌いだ」
と、言われる東京の人達。
けれどそのイメージは、地方からやってきた人達の東京での振るまいに過ぎない、という感覚。
そういう意味で、ある場面では私達東京の人間は差別される。
「東京の人って裏表があっていや。でもあなたは東京の人じゃないみたい」
なんて台詞を、私は何度聞いたか知れない。結構悲しいんですよ。この台詞。
けれど。
それは東京で生まれ育った私だから感じる事なのであって、やはり大勢の地方から東京に出てきた人達にとっての東京っていうのは、紛れもなくこう感じるのだろうなぁと実感した。それはいい事でもなければ、悪い事でもないのかなぁと。ただの事実。
それでも、私の故郷は、東京である。
だからやっぱり、「巨大な墓場」と描写される東京は、悲しかったりするのだ。
***
そして最後に。
参った。。。。。こうして文章を書いているだけで思い出して泣いてしまう。
参った。
けれど。人間っていう不完全でいびつな、可能性の閉じられた生き物にうまれてきた事が、とてつもなくいとおしく思える小説だと思う。
どうか、まっすぐな心で読んでほしいと思う。
そして参ってる時、死にたくなった時、たびたび読み返せばいいと思う。
元気な時は読んで反省すればいいと思う。
そんな当たり前の事が、不足なく過分なく描かれている、優しい優しい小説。
***
追記として。
3世代の真ん中にいて、まだその時が来てはいない私だけれど、
「家族」を亡くすと言うことに関しては随分と幼い頃に経験をしている。
私には半年間だけ一緒に暮らした弟がいる。
弟が亡くなったのは、小学校1年生の2月6日だったけれど、小説のある部分の描写を読んでいて、自分がものすごく細部までその当時の事を覚えている事にビックリしながら、蘇ってくる想いにどうしようもなくなってしまった。
生後6ヶ月で亡くなってしまった弟だけれど、彼は常に私や母、兄弟の傍にいる。
見守っていてくれている。そういう実感がある。
その部分は非常に共感が出来た。そして、覚えていると言うことを思い出させてくれてありがとうと思った。
けれど私は、母が存在しない状態、という世界を、未だに考えられずにいる。