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きよしこ


重松 清 / 新潮社(2005/06)
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吃音というハンディを抱え、引越しが多いというハンディを抱え、大人になっていく少年のお話。

作家をしている彼のもとに、吃音の息子を持つ母親から手紙が来る、ところからこの物語は始まる。
この小説自体が、その少年への返事という「私小説」として描かれていく。

置かれた状況のしんどさを理解していても、それはその人それぞれが置かれた状況で背負っている荷物で、その立場を理解していればしているほど、慰めや励ましの言葉ってそうそうかけられないと思うのだ。


 
気持ちはあるんだけれど、言葉が上滑りする経験はないだろうか。
逆に、字面はまるで道徳の教科書のようなことが書いてあるのに、まったく心が動かない、逆になんだか読んでいてしんどくなってしまう、聞いていてしんどくなってしまう経験はないだろうか。

自分の思いを誰かに伝えることは、とても難しい。

励ましなんかかけられないくらい、吃音である辛さを理解しているからこそ、でもその辛さが判るよ、と言ったところでなんにもならないんだね。
物語の最後で、主人公のきよし君は、そのことを学んで一人で旅立つんだね。

本気で相手を理解しよう、分かろうと思ってくれる存在があってはじめて、本当に理解されることなんかない、って学ぶ。
でもそこで学んだ「理解されることはない」という事は、絶望ではない。

「誰も私の事なんか理解してくれない。」っていう言葉は、裏返せば、
「誰かお願い。私を理解して。」ということになるから。

著者が伝えたかったのは、おそらくこの一点で、だから物語はここで終わるんだな。きっと。
大切なのは自分の足で歩いていくこと。
自分一人の足で歩こうと思って、自分一人の足で歩いていくこと。

不思議と、そうやって歩いていると、ふと寄りかかれるような相手がみつかったりするもので。
距離感0の間柄でなく、ちゃんと一人で立って、お互い立って歩けるだけの距離感でずっと一緒に歩いていける相手が見つかったりするもので。

一人で歩いて行くんだけれど、周りに沢山の存在があって、その存在なしにはそれすら学べないんだね。

吃音かそうじゃないかなんか、関係ない。
皆同じで皆似たような思いをしてて、ただその程度が違うだけで。
だからそのハードルを乗り越えるのに、使うエネルギーは人それぞれなんだけど、違いはそこで。

…その差こそが重要な気がしているんだけれどもね。ここのところのわたしは。

簡単にまたいで通り越せる人は、120%くらいの力使ってやっと乗り越える人の気持ちを理解することが難しい。
だから慰めやら励ましって上滑りするんだなぁ。言葉が。

それでも、なんて言っていいかわからない時、気持ちが現せなくて困ったなぁと思いながらも、何かを発した時に、それが相手に伝わってくれていたりすると、なんだかとっても暖かな気分になりますね。



なんだか伝えたい事がやっぱり伝わらなくて支離滅裂になってるから、この辺で強制終了。
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