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疾走


重松 清 / 角川書店(2005/05/25)
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「きよしこ」を読んだのは、この小説を買うためだったなんて内緒。
上下巻だし長かったし、というのもあり、でも前々から興味のあった作家で。
一冊めはもうちょっと短いのにしよう、と、疾走の前に買ったのが「きよしこ」だった。
「きよしこ」あたりだったんです。私の中で。なので買ってしまいました。疾走。


買ったの昨日なんです。上下とも。まさか今日読み終えてしまうとは思いませんでした。


「にんげんは、不公平。でも平等」


そんなお話です。
ものすごくものすごく大きなハンデを背負ってしまった、限りない孤独を抱えた少年が、それでも誰かと繋がりたくて、必死になって生きる話です。


両親自慢のお兄ちゃん、父、母の元に生まれた少年「シュウジ」
極限の孤独に追いやられて、シュウジは自分が最初からずっとずっと望んでいたただ一つの事を見つける。


「誰か僕と一緒に生きてくれませんか?」


孤独・孤立・孤高。
そんなものがまだ中学生のシュウジの頭の中を駆け巡る。
弱い大人。弱い人間。弱さを自覚できないほどの弱い大人たちに、シュウジは翻弄され続ける。


そして、ただひたすら、翻弄されながらシュウジは走り続ける。
ラストは余りに悲しい。救いがないように思える。けれど。
残したものは、シュウジが繋がろうとして繋がりたくて、走り続けた軌跡は、しっかりと根付いてる。


死んでしまったかのような、ふるさとの土地で、根付いている。


自分の甘さを痛感してしまいます。
ひとりである、という事を物心ついた頃からとことん見つめ続け、対峙し続けて、挫けかけてそれでも前を見ることを辞めなかった。
走り続けることを辞めなかった。
主人公はそんな少年。


寂しい寂しい、と、わたしたちはよく口にするけれど、本当に寂しいという事をわたしたちは知っているだろうか。


物語の途中で出てくる言葉。


「あの人は寂しいという事を知らなかった。だから寂しい人だ」


この言葉の意味が、私にはすごくよく判る。
他人を求めないという事は、どうしようもなく孤独なことなのだ。
それは孤高とも違う。


生きていくという前向きな流れから零れ落ちそうになった時、引き止めるものがない、という事なのだ。
生きるという意志がなくなった時に、生きるという事から簡単に引き離されてしまうという事なのだ。


どれだけ自分に何かが降りかかっても、どれだけのものを背負わされても、押し付けられても、シュウジは諦めない。
ものすごく基本的なことから目を離さない。考えることを辞めない。
そしてただただまっすぐ走って行く。自分なりに。障害を乗り越えながら、躓きながら、留まったりしながら。


逃げることをせずに生きていくことを、私は出来ているんだろうか。


一旦は「穴ぼこのような目」になってしまったシュウジも、浮き上がる。
それは、紛れもなく誰かと繋がっていたからだ。
誰かと繋がっていること、依存ではなく、「ひとり」と「ひとり」で「ひとつのふたり」になるということ。
シュウジの目の前には、いつでもエリの後ろ姿があったのだから。


シュウジはずっと、ひとりだったわけじゃない。
エリと出会ってから、シュウジはずっとひとりぼっちじゃなかったんだ。


そしてそういう出会いを掬い上げたこと、それは、幸せなあがりが少ない自分の運命というすごろくの、数少ない幸せなゴールを切ったっていう事になるんじゃないのかな、と、私は思う。


悲しい結末だけれど、救いがない結末ではない。
希望は、その後に受け継がれている。
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