トップ自己紹介テキストよみもの趣味ごろくBBSリンクFB
<< 幼な子われらに生まれ | text_top | 小生物語 >>

流星ワゴン


重松 清 / 講談社(2005/02)
Amazonランキング:6,456位
Amazonおすすめ度:

読みました。

1週間で読破。流星ワゴン。正確には3日。


人が生きるという事は、しんどいことが多かったりする。
生きてて「あー幸せ」って思う瞬間って実は瞬間でしかなかったりして、その瞬間の裏側には、いくつもの「あーしんど」って思いがあったりして。


生きていて、沢山のしんどいことといくつかの「あー幸せ」の瞬間、どちらを拾い上げていくのか、ってところできっと人の一生の終わりは、安らかなものにもしんどいものにもなる。ような気がする。


私達は進んで行く。先の見えない迷路を、自分なりのゴールを目指して進んでいく。
人が生まれてきた時、そのゴールは無数にあって、だから道も無数にあって、だからゴールも道もないのと同じ。
すでに歩んで来た道のりにのみ、道があって分岐点があるのである。
無数の分岐点を通過して、私達はその都度どの道を選ぶのかを決めて、あるいてきたのであって。


だから、今目の前がどん詰まりに見えても、それは見方を変えるだけでいかようにもなるもの。
生きていくことは、しんどい。そして、やりなおしの効かない分岐点の連続。


後悔、という言葉が好きではない。
後悔は、なんかその時を手抜きで生きてきてしまった、って自分で認めているみたいな気になるから。


本当はそうではないよね。


本当は、いつだって人はそれなりに一生懸命生きていて、その時の自分に出来る精一杯で選択肢を選んでいるはずなんだから。


後悔をしたくないから、と、分岐点の前で足踏みをしている、今のわたし。
どれが正解なのか、見極めがつかなくて、足踏みをしている私。


本当に必要なのは、信じる強さ。
まるごと、自分が決めた「大切な人達」を、信じて受け入れる強さ。
信じて受け入れたのなら、騙されたということもなく、裏切られたと思うこともない。


どん詰まりに見える人生のどうしようもない谷間に落ち込んでしまった主人公の前に現れる、一台のワゴン。
オデッセイ〜オデッセイは冒険、という意味であるという〜という名の、そのワゴンに乗った2人の父と息子。


「あなた、死のうと思ってたでしょ?後悔沢山でしょ?」


なんて言葉で始まる、奇妙なワゴンの旅。
それは、総てを受け入れる旅。
重すぎる現実を、それでも乗り越えていくには。受け入れることからはじめなければならない。


後悔を消して、ひとつずつ消して、受け入れてから、またリスタートを切る。


あまりにしんどい現実を、それに疲れ果てた心を、癒してくれる言葉などは何ひとつとしてない。
自分が救われる、自分を赦せるただひとつの方法を教えるために、彼らはオデッセイに乗って、やってくる。


そう、しんどい現実も、それは紛れもなく自分が選んで辿ってきた道。
だから、やり直すなんて安直なことがあってはいけない。

その、現時点からもう一度はじめるのだ。挫けて、座りこんで、歩く気力がなくなったら。


さて、やることが判っているなら。
自分に出来る、今日出来る精一杯をしよう。そうやって明日に繋げて行こう。


そんな風に思える、物語。


いまを生きることに疲れちゃった人へ。


そして、親子ってなんだろう、って、親と子の関係性に疲れちゃった人へ。


親が子供を見ることが出来ないのはなぜ?
親の思いが、子の思いが、お互いにまっすぐ伝わらないのは、なぜ?
親は自分の子供時代を思い出してくれますよう。
子供に親の気持ちはわからない。これは、当然。だって子は親になったことがないのだから。


でもね、親が子の気持ちになることは、きっとそんなに難しいことじゃあない。
だってどの親だって子供だった時代があるのだからね。
子供だった頃の、自分の気持ちを種にして、子の気持ちを想像するちから。


それが、たったひとつ、不可欠な親のきもち。


そしてその想像力は、結局自分自身に糧となって返ってくる。
親にならなければ、分からなかったことが沢山見えてくる。


気づけば簡単なこと。そして、気づけなければとても難しいこと。
気づいてもずっと続けていくのは、容易なことじゃないよ。
でも時折間違った(ように思える)選択肢を選んでしまったとしても。
その先はまだ何も決まっていないのだから、嘆くことは、ないのだよ。ということ。


体力がないとめげてしまうかもしれません。
けれど、確実に後になってから力が沸いてくる、作品です。
| Books > 重松清 | pagetop↑