贋作
偽物と本物の境界線の話。
簡単に使いますけどね、偽物、本物って。
偽物がどんどん、本物に近づいていっていて、
まあ、人の技術もすごいのねーなんて思いますが。
でも、偽物と本物って、確実に違うわけですよ。
んー見方を変えて。
ジルコニアは偽物。と、思う。
メロンパンは?と、考える。
…メロンパンは、なんか、本物と思う。
うむ。
アンパンマンパンは?
・・・ちょっと偽物っぽい。でもあれは微妙。
ああ、そう。
うちの祖母の趣味は、お花を作る事でして。
お花のパーツが売ってるんです。
花びらとか葉っぱとか。
それに色をつけて、コテとかハンダとかでカーブをつけて、
お花を作るんですね。
コサージュとか、あとは、本当に鉢植えみたいにして。
「うわぁ、本物みたいぃー」
って、思うんですけれどね、最初は。
本物と同じものが作れたという自己満足だけなのでは…と。
作るまでが楽しいのが造花…そんな気がしました。
うちの父親が韓国へ行ったときに、
プラダの偽物を買ってきました。
得意げに、「これは偽物だけど、本物とそう変わらない」と。
そのもののデザインや機能性に惚れるのではなく。
そのブランドのロゴ、小さな小さなロゴ。
それだけに価値を見出して、持って、喜んでいる人たち。
そりゃ、いいお値段の分だけ、中身も素晴らしいんだと思いますが、
その良さを理解してお金を使うのと、
その表だけに吸い寄せられてお金を使うのと。
モノが本物、偽物ではなく、
使う人が本物?偽物?
そんな事を思ってしまいます。
何かに憧れる、誰かを目標にする、事は、いい事だと思います。
素晴らしいことだとも思います。
でも、何かを目標にする事は、そのものになることではないはずで。
そのものや、人と肩を並べるという事ではないかな、と思います。
何かがいいと思う。それを、自分の中で消化せずに取り込む、
あれが流行ってる、これが流行ってる、で、取り込む。
あれはいい品だ、と、聞く。
何も考えずに取り込む。
偽物の出来上がりですね。
偽物にならないように、常に自分の心と感性は磨いていたい…
と、思っています。
簡単に使いますけどね、偽物、本物って。
偽物がどんどん、本物に近づいていっていて、
まあ、人の技術もすごいのねーなんて思いますが。
でも、偽物と本物って、確実に違うわけですよ。
んー見方を変えて。
ジルコニアは偽物。と、思う。
メロンパンは?と、考える。
…メロンパンは、なんか、本物と思う。
うむ。
アンパンマンパンは?
・・・ちょっと偽物っぽい。でもあれは微妙。
ああ、そう。
うちの祖母の趣味は、お花を作る事でして。
お花のパーツが売ってるんです。
花びらとか葉っぱとか。
それに色をつけて、コテとかハンダとかでカーブをつけて、
お花を作るんですね。
コサージュとか、あとは、本当に鉢植えみたいにして。
「うわぁ、本物みたいぃー」
って、思うんですけれどね、最初は。
本物と同じものが作れたという自己満足だけなのでは…と。
作るまでが楽しいのが造花…そんな気がしました。
うちの父親が韓国へ行ったときに、
プラダの偽物を買ってきました。
得意げに、「これは偽物だけど、本物とそう変わらない」と。
そのもののデザインや機能性に惚れるのではなく。
そのブランドのロゴ、小さな小さなロゴ。
それだけに価値を見出して、持って、喜んでいる人たち。
そりゃ、いいお値段の分だけ、中身も素晴らしいんだと思いますが、
その良さを理解してお金を使うのと、
その表だけに吸い寄せられてお金を使うのと。
モノが本物、偽物ではなく、
使う人が本物?偽物?
そんな事を思ってしまいます。
何かに憧れる、誰かを目標にする、事は、いい事だと思います。
素晴らしいことだとも思います。
でも、何かを目標にする事は、そのものになることではないはずで。
そのものや、人と肩を並べるという事ではないかな、と思います。
何かがいいと思う。それを、自分の中で消化せずに取り込む、
あれが流行ってる、これが流行ってる、で、取り込む。
あれはいい品だ、と、聞く。
何も考えずに取り込む。
偽物の出来上がりですね。
偽物にならないように、常に自分の心と感性は磨いていたい…
と、思っています。