関係
人に耳がふたつあるのは、相手の話をよく聴くため。
人に目がふたつあるのは、相手の事をよく観るため。
人に口がひとつしかないのは、言いたい事は半分伝えれば充分だから。
年明け早々、友人から聞いた話だ。
人が人と関係を結ぶ時、大切なのは、このバランスだと。
うまい事と言うなぁ、と、関心してしまった。
人をよく観ることは、とても大切な事。
年末から、恋人なり夫婦なりの関係のなかで、
言葉ってどれだけ大切なの?という内容で別の友人と激論していた。
ちょうどいいタイミングで、このふたつの話が重なった。
それで少し考えてみた。
私はついこの間、離婚をした。
原因は、まさにこのバランスだったと思っている。
私は夫に、言いたい事の半分も言えなかった。
言えない分、私はそれを態度に表していた。
夫は私のそんな態度を見逃した。
それだけの事だったと思う。
しかし、それだけが全てでもあるわけで、
この、目・耳・口のバランスが崩れて修復不可能になった時点で、
信頼って簡単に崩れ去ってしまう。
欲しかったのは、
「ちゃんと観て、聞いて、解ってくれている」
という安心感。この安心感は、とっても大切。
でも、と、思うのだ。
お互いがお互いの事を好きで、思いやれていれば、
こんな事は普通に出来る事。
相手の気持ちに胡坐をかいた時点で、このバランスは、
いとも簡単に崩れ去ってしまう。
それをなくした時に気づいても遅い、ということ。
恋人も、夫婦も、親子も。
どんなに仲がよくても、自分と同じではない。
相手の事を全て理解するなんて不可能な事。
だからこそ、よく観て、よく聞いて、
理解しようと勤める事が大切なんだと思う。
親しい分だけ、信頼が深い分だけ、失った時の衝撃と、絶望は、深い。
それは、失わせた方も然り。
私の場合、耳も目もふたつあった。
でも、口がなかった。
とっても大人しい口だった。
夫は、どうだったのだろう。
観たい、聞きたいと思っていたようだ。
でも、目も耳もひとつずつしかなかったのではないだろうか。
終わってしまった事は残念だし、
この事で迷惑をこうむった人も少なからずいる。
多分、一番迷惑をこうむっているのは、私たちの子供たちだろう。
私たちは、この子たちのためにも、この失敗を生かさなければならない。
この子たちのためにも、幸せにならなければならない。
いつか、子供たちに「結果オーライ」って言ってもらえるためにも。