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安楽死

難しいなぁ、というのが正直な感想。
たとえばガンだとしよう。
全身に転移しちゃって手の施しようがない。
延命治療というのは、死期を延ばすためだけの治療だろう。
死ぬまでの何ヶ月が痛みだけならそれはとても辛い。
想像するのも難しいほど、辛い。

誰もきっと漠然と「こういう風に死にたい」というビジョンは持つと思う。ある程度の年齢になればね。
苦痛まみれの死って、望まないだろう。誰も。

ならばそれを楽にしましょう、というのが安楽死なのだろう。
本当の意味での治療・医療ってのはなんだろうと思うわけだ。
でもこれは難しい。線引きが難しい。

末期がんの場合、延命治療をせずに苦痛を出来るだけ取り去る方向の治療も出来るだろう。それ以外の病気でもその選択肢は、本人の意思が見えれば取ることが出来るだろう。

でも本人の確認が出来なかったら?
本人が赤ん坊だったら?

答えはどんどん複雑になってゆく。

余命数時間と診断された乳児(主に新生児)の延命処置を止めて、母親や父親に赤ん坊を抱いてもらって最期の時を迎えるという安楽死の事を話題にしたことがある。

赤ん坊の生きる力を止めるなと、反対している人がいる。
けれど赤ん坊は、何のために産まれてきたのだろうと思うわけで。
本来の赤ん坊の当然の権利である母親や父親からの抱っこ、触れあいもなく死んでゆくのは、なんだかとっても悲しいなと思うんだけどなぁ。

さて。
人の命になると、こうやって重大な問題になるのだけれど。
これがペットの話になるとまた別の話なんだよなぁ。
ペットの安楽死ってよく聞くよね。

「これ以上苦しいのはかわいそうだから楽にしてあげましょう」

という。
この定義が人間に当てはまらないのは少々疑問に思うところではあります。

ま、ペットは人の所有物で、人は誰の所有物にもなり得ない。
そう考えると納得できる…のかもしれない。微妙だけど。

私は自分がそんな立場になったら、延命はしたくないなぁ。
出来るだけ楽に死ぬ時まで暮らせたらいいなぁ。
どうがんばったって死ぬ時に死ぬのだし、それまで死のうと思ったって死ねないのだからね。
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