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感覚と頭で考える事と。

去年の年末に、結構大きな決断をしました。
自分でもびっくりするくらいあっさりと、決断をしました。
人と人が繋がって、繋がって繋がった先に誰かがいるのだけれど、その繋がり方のなんと簡素なこと。人の縁というのは本当に面白い。


私は、今まで大きな小さな岐路に立つたびにその都度迷っていた。考えていた。立ち止まっていた。そしてすごく怖い思いをしながら決断をしていた。
後悔したくないから。
その選択で自分がどうにもならない方向へ行ってしまう、もしくは今まで目標にして積み上げてきたものが全部崩れてしまって取り返しがつかなくなる事がすごく怖かったから。

失敗しても大丈夫。取り返しはつく。という言葉を私は信じない。
取り返しがつかなくなる事柄や選択もたくさんある事を私は知っているから。
今までの道のりを振り返ると、どうも一直線。どう考えても最短距離。

その順調さが怖くなる。
一歩先すら見えないから怖くなる。
一歩先すら見えないということは、その道が枝分かれしているのかそうでないのかすら見えていないという事。

その自覚だけがあって、結局一歩先が見えないというのは、これは怖い。

それでも自分の感覚を頼りに、ギリギリのところで色々な事柄を回避してきた。
それは自分が自覚する事のない自分自身との対話。
無自覚な自分自身の心、気持ち。そんなもの。

頭で考える事は、色々な不純物にまみれて透明度が低いから。
頭で考える事は、たまに目先の欲に囚われがちだから。
迷う、というのは、自分の純度が下がった結果だと思っている。
いつだって自分自身は、回答を持っている。ひとつだけ。

それは、この先私が何になりたいかという事。
それは、損得とは関係のない事柄。
今、損したように見えても、実はそうではないような事柄。
私の頭は鈍いから、そして私の心の中は混沌としているから、たまにそれが見えなくなる事がある。まことに煩わしいのは自分のややこしさ。
そして愛しくもあるこのややこしさ。

私は私の混沌ごと、丸ごと自分を愛している。
あったこと、起こった出来事、目の前にいる人、それをあるがまま、自分が感じたままをそのまま取り込んでしまえる自分の混沌っぷりが愛しい。

仕分けない、分類しない。

だってそれは、そのものそれだけなのだから。
そのまま丸ごとを自分の中に取り込んで、しかし言葉にも出来なければ絵にも描けない。ただ、「ああ、わかるな」と思うだけ。

こういう感覚が他の人にあるのか私は知らない。
自分で感じるこの感覚を、誰かに伝える術をもたないから。

ただ、私は自分のこの感覚を結構高く評価していて、信じている。
それに従って動いているのは、おそらく私の無意識の部分。

いやだなぁ、と思うことや、気乗りがしないなぁ、と思うことに自分で説明が出来ないのは、それはもう本当に仕方のないこと。

頭では「危ないよ」と警鐘を鳴らす。
でも心はもの凄く安心してしまっている。
嫌だなあという感じがしない。
周囲の人達は声を揃えて「危ないよ」と言う。

危ないよ、の正体も分かってる。自分自身にもそれが見えている。
いつもだったら危ない気持ちがいっぱいするはずなのに、それがない。
自分の気持ちの波が落ちている事も分かってた。
そういう時の直感はアテにしてはいけない事も自覚済み。
でも、いつもはある、「本当にそれでいいの?」的な何かがない。決定的にない。

私は自分の頭の中にある「危ない根拠」を検証する事に決めた。
頼りになるのは自分の脳みそと心だけ。
私はどちら側の声にも耳を傾けつつ、その根拠を検証してみたんだ。

器用じゃないから、回りくどい事は出来ない。ストレートにぶつかる事しか出来ない。
上手くかわす事も言いくるめる事も出来たと思うのだけれど、相手は真摯にそれを受け止めて答えを返してくれた。

私のこんがらがった思考も綺麗に整理してくれた。

そして私の「危ない根拠」は、消えてなくなった。

それは私以外の誰かの事を私が信じるという事。
丸ごとのその人を信じるという事。
そんな大きな事を、私はたった1週間で決めた。
自分でもびっくりする出来事だったよ。
これがどれだけびっくりな出来事なのか、果たしてあの人は理解しているのかどうか私は知らない。

私にとってびっくりするような事が、相手にとってびっくりするような事だという根拠はないから、別に伝わらなくてもいいのかもしれないな。
私にとってはすごく意味のある事だったよ。

そういう決断をしたことが。

流されず、踏みとどまって考えたということが。

一点のかげりも曇りもなく、おそらく私は信じている。
だから悩む事も迷う事もない。
それがきっかけで、自分の周りがよく見渡せるようになっている。
場が見える。本当によく見える。

それがどれだけすごい事なのかを知っているのは私だけでいい。
相手に伝わらなくてもいい。
場がよく見えている事を相手が分かっていればいい。
私の知らないうちに、私の視野が狭まっていれば、きっとあの人は分かる。
その為に私は出来る限りの自分の情報、自分の状況を伝える事を怠ったらいけない。

それは私がそのまま素っ裸になるっていうこと。
それが無理なく出来ている事。
不思議だけれど、人との繋がりの確かさは、時間の積み重ねだけではないのだな。

私は自分の出した結論と自分の下した結論に自信を持っている。
そして、相手にとってなぜ私だったのか、ということをゆっくり時間をかけて理解していけばいいやと思っている。
無理に知ろうとしなくていいやと思っている。

だって私にだって、なんで私にはあの人なの?なんてこと、ちょっとしか分かっていないから。
けれど必要な事だけは分かる。

どうして、の理由がとんでもなくても驚かない。
多分私はそのまま受け入れる。
無理だなと思ったらその旨を相手に伝えるだろう。

でもきっと無理な事はないんだろうな。
私の人生の中間ゴール地点のことを相手が知っている事。
それを見ないようにしていない事。
それだけは分かるから、私は安心出来ているのかもしれない。

一つだけ言えることは、あんな人はめったにいないという事。

それだけが分かっていればいい。
それは私だけが分かっていればいい。
私以外の誰もが分かっていなくても、私が分かっているからそれでいい。

そして、私の大切な大切な扶養家族である子供達に私のその考えが伝わっているらしい事が私は何より嬉しい。

私もどうやら、今は大きな分岐点にいるようだ。
それはそれは大きな分岐点のようだ。
けれど決断してしまった今、何を怖がる事があるだろう。
私は私の心の声に耳を傾けて、冷静でいればいい。
ちゃんと問題を吟味して回答する、それを1回やったから。
次のレベルアップは、そんなに派手に起きないと思う。
次のレベルアップは、静かに暮らして行くうちに、ふと乗り越える類のものだと思う。

静かに静かに、そのレベルアップの線をちゃんと自覚しながらまたぐのだろう。

その先は、まだ私には分らない事。
だからこのままゆっくりとやっていけばいい。
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