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保育園の門。

それは、団地の花壇と公営グラウンドの隙間の小さな道の突き当たりにある。
アスファルト舗装されていない、道。
真ん中にコンクリブロックがいくつか敷いてある、細い道。
花壇と言っても団地の空いたスペースに、住人が思い思いに花や草木を植えて育てている、そんな花壇。
反対側のグラウンドのフェンス越しには、イチョウの木が植わっている。
わずか30メートルほどのその道だけ、そこ以外の場所とは違った空気が漂う、園児と親と保育士しか使わないその道。



人にはその時代の匂いがある。
生まれたての匂い。
赤ん坊時代の匂い。
幼児時代の匂い。
小学生の匂い。
中学生の匂い。
高校生から20歳くらいまでの匂い。
大学生の匂い。
社会人の匂い。
親になった匂い。
主婦になった匂い。
おじいちゃんおばあちゃんになった匂い。

保育園のその道には、赤ん坊と幼児の匂いがいっぱいだ。



3年前、保育園に通い始めて2ヶ月めくらいの頃に撮った写真がある。
ほんとうに、何気なく撮ったその写真を、私はことあるごとに見ている。
そこには5歳の長男が1歳の娘の手を引いて歩く姿と、娘と4歳の次男が自転車のまえで私を待っている姿が写っている。

行事ごとに、私たちは記録を残したがるのだけれど。
本当に見返して懐かしい気持ちになるのは、こういうなんでもない風景を切り取った写真なのかもしれないなと、ふと思う。

きっと子供たちが思い出す保育園時代の風景は、保育園の門に続くその道だったりするのだろうから。
長男は1年保育園に通って卒業した。
次男は2年。
娘は一番長くて、このままいけば5年間保育園のお世話になることになる。

今、娘は年少クラス。
保育園に通い始めた頃は、娘が幼児クラスで活発に遊ぶ姿が想像出来ないでいた。
頭の中で計算はするものの、それがうまく映像にならないでいた。

自分の環境が離婚によって一変して、それに追いつくのに精一杯だったんだろうなと今にして思う。
娘は3年前と同じようにみえる。
毎日接していれば変化は見えない。みえづらい。

けれど3年前、うまく想像できなかった幼児の姿に、確かに娘はなっている。
下手すればハイハイすら出来ない赤ん坊が6年を経て小学生になって巣立っていく。
それはとても劇的な変化なのだろう、人の一生からすれば。

その姿をずっと見守り受け入れ送り出し続けている保育園という場所がある。


保育士も変われば子供も変わる。

変わらないのは保育園という空間。
その変わらない空気は、きっと、ずっと残り続ける。
保育園の門と、それに続く道はずっとずっと変わらない。
その匂いを、ずっと保ち続けてる。
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