トップ自己紹介|テキスト|よみもの趣味ごろくBBS|リンク|FB
<< 愛情と恋情 | text_top | 守るもの >>

+と−

NとSでもいい。
惹きあってしまうものなのです。
だから、仕方ないのですよ。


某所で一瞬だけ見た文章をネタに文章を書いてみる。


ちなみに私は+人間です。
限りなく−の皮かぶってますが、+です。
でも暗いです。明るくはありません。


「なぁ、のの、本当に幸せな奴は、自分の事を幸せって言わないって言うよな。いつか俺もそんな風に幸せになれるかなぁ。・・・なる。なるよ。絶対」
「ののの歌」(by.大槻ケンヂ)


さて、何の意味もなく+と−はひきつけあうんだろうか。
・・・違うよね。きっと違う。


私は、+も−も悪い事じゃないと思う。
そういう考え方の質の差はあれどね。


ただ。


100%+な人間も、100%−な人間も、いないんじゃないかなぁ、ということ。
陰と陽は背中合わせで、それは時に必要だったりもする。
人間自体がそういう中途半端な生き物なのだから、これはもう仕方がない。


人という存在自体は、きっと、それらの両方が混在したものなのだと思う。


自分の陰の部分を、−の人を観ていて気づく。学ぶことと、
自分の陽の部分を、+の人を見ていて気づく。学ぶここと。


それはきっとどちらも大切なものなのです。


−の人と関わっていて、吸い取られる感じがするのは、その人は−である前に、レベルが低いということなのです。
深く深く考えて、依存する事がどういうことなのか。
甘えるということがどういうことなのか。


そんな考えかたをする−の人と関わっていても、疲れません。吸い取られません。
ただ、違いを認め合える。


ただ、なんて書いたけれど。


これこそが人の生きる醍醐味。


自分に全くない要素を、他者から感じ取る事は、きっと本や教科書では学べない。
ぶつかって関わって気づいて身にしなきゃならない。


そして、人には不可能なことなんてない。


その、−の人が、もし本気で変わろうとしたら、変われるものだから。
そういう気持ちをキャッチしてしまうと、私は全力でその人が変わるお手伝いがしたいと思ってしまう。
それも悪くないよ。


だって、家庭環境だろうが親だろうが、なんだろうが。
自分で「ここに産まれる」って決めて出てきたんだから。この世に。きっとね。


そういう反対属性を持った人から学ぶ事、影響されることは非常に多い。
そして、大きい。


ひとつだけわかること。


ただ、助けて欲しい、楽にして欲しいってだけで近づいてくる人と、私は仲良くできない。
人間関係は渡したら帰って来るのが基本だと思うから。


そしてそれは、話がすごくずれたけれど、+と−、関係ないんだよね。きっとね。
| エッセイ | pagetop↑