言葉の無力
「がんばって」についてである。
「がんばって」という言葉は、非常に便利な言葉である。
便利だけれど、使い方によっては偽善たっぷりの言葉になりかねない。
「同情」でも、「言葉のちから」でも少し触れたのだが、
言葉というのは便利であればあるほど、不便なものなのだ。
友人が、「がんばって」という言葉は無責任な感じがするので
あまり好きじゃないと言っていた。
そう、がんばるのは声をかけられた方であり、
声をかけたほうではない。
友人は、落ち込んでいた私にたいしてどう励ませばいいのか…
と、軽く悩んでいたが、この場合は「がんばって」で充分気持ちは
伝わるのだと思う。
言葉というのは、物事を伝えるための記号である。
記号を記号として使われやすい言葉が、「がんばって」なのだと思う。
言葉に気持ちを込めると、その気持ちの分だけ言葉の重みが増す。
実際に、自分の口を介して出た言葉なら、その気持ちを伝えるのも、
そう難しくはないだろうと思うのだが。
ネットコミュニケーションは、活字のやり取りが主体である。
活字で思いを込めるのは、口を介してよりもずっと難しいだろう。
しかし、ネット回線の向こう側にいるのも自分と同じ、
生身の人間であって、だからこそ、伝わると信じたい。
お歳暮やお中元のような「がんばって」はいらない。
いつもいつも、それは心がけているつもりではあるが、
便利な言葉というのは、そこがやっかいである。
言葉を使って表現する者として、「がんばって」と言う言葉は、
出来る限り真心込めて言いたいものである。
「がんばって」という言葉は、非常に便利な言葉である。
便利だけれど、使い方によっては偽善たっぷりの言葉になりかねない。
「同情」でも、「言葉のちから」でも少し触れたのだが、
言葉というのは便利であればあるほど、不便なものなのだ。
友人が、「がんばって」という言葉は無責任な感じがするので
あまり好きじゃないと言っていた。
そう、がんばるのは声をかけられた方であり、
声をかけたほうではない。
友人は、落ち込んでいた私にたいしてどう励ませばいいのか…
と、軽く悩んでいたが、この場合は「がんばって」で充分気持ちは
伝わるのだと思う。
言葉というのは、物事を伝えるための記号である。
記号を記号として使われやすい言葉が、「がんばって」なのだと思う。
言葉に気持ちを込めると、その気持ちの分だけ言葉の重みが増す。
実際に、自分の口を介して出た言葉なら、その気持ちを伝えるのも、
そう難しくはないだろうと思うのだが。
ネットコミュニケーションは、活字のやり取りが主体である。
活字で思いを込めるのは、口を介してよりもずっと難しいだろう。
しかし、ネット回線の向こう側にいるのも自分と同じ、
生身の人間であって、だからこそ、伝わると信じたい。
お歳暮やお中元のような「がんばって」はいらない。
いつもいつも、それは心がけているつもりではあるが、
便利な言葉というのは、そこがやっかいである。
言葉を使って表現する者として、「がんばって」と言う言葉は、
出来る限り真心込めて言いたいものである。