サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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ここに今ぼくがいないこと誰も知らなくて そっと教えてあげたくて君を待っている 2015-10-26

ここに今ぼくがいないこと誰も知らなくて
そっと教えてあげたくて君を待っている
ホラ もうそろそろだよ
物理の成績の悪い子どもたちが 空中を歩き回る時刻
夕方ガッタン電車が走るよ夕間暮れの空を
ぼくらは生まれつき体のない子どもたち

(電車かもしれない / たま)

子供の頃のことを思い出して、あの頃に戻りたいなあと思える人は恵まれた子供時代を過ごしたんだと思います。私の年代の人達は、表向き平和に見える家庭の中 が実はぐちゃぐちゃ、って人がわりと多い気がする。親に悪気はない、しかし子供はその中で窒息しそうになる。条件つきの愛情みたいなのとか。愛するって事 は本当は、その対象がどんなんだって受け入れるって事だと思っているのですが、思い通りにならない愛する我が子は愛する対象ではないよ。というのを無自覚 に無意識にやる親みたいなの。私の親はそういう感じではありませんが、人並みにいろいろな問題は抱えている親子関係です。血の繋がった人間同士でさえ、き ちんと深くつながっていくのはとても大変なことです。血が繋がった親子だから大抵はうまくいくなんて事は絶対にないです。しかし、親の方は、どれだけキツ イ仕打ちをしてもめったに離れていかない子供という存在に甘えてしまう。そのこと自体は悪いばかりではないと思うのですけれども。ただ、甘え方を間違えた り度を越すとあんまりよくない。

ごきげんよう、たいこです。

今日は10年ぶりに親と大喧嘩しました。ずーっと心のなかで思っ ていて、それでも言わないでいたことの8割くらいを勢いでぶつけてしまった。振り返ったら、前にプチ絶縁した時からちょうど10年だったのでした。また10年後も同じようなケンカしてたらどうしよう……。 私も普段は「こういうことは言ってしまうときっと困るだろうから言わないでおこう」って黙っていたりしたことを、どうしようもなくってぶちまけてしまったので、ショック受けてるだろうなあ……とは思うのです。だけど、最初にくちだしてきたのは向こうなのでもう仕方がない。母と話すときはいつでも喧嘩腰になっていて、それを散々指摘されるんだけども、それも私の中では仕方がないことだったりするのでもうしょうがない。守るべきものがあるから攻撃的になるのだ。私が何から何を守りたいのかを、母に説明しても、それは母を無駄に責めることにしかならないから、もう過ぎてしまった過去のことをあれこれ言っても仕方がないから、だから黙っていたのだけれど、同じようなことを私を飛び越えて孫である私の子どもたちにまでするのなら守るしかないのです。

多分明日には、今日のことを妹とかにぶわぁぁぁぁぁぁぁぁっとぶちまけるんだろうなあって思っています。母がそういう感じなのは私の兄弟は皆わかっているので、ああまた始まったくらいにしか思わないのですけれども。ただ、10年前から私の気持ちは、母から相当離れてるってこと、わかってるんだろうか。血のつながりみたいなものに甘えてると、自分が相手にしたひどいこととか簡単に帳消しになっちゃう。それでも変な感じで甘えてしまうのが親子なのかもしれないなーとは思うけれど、心のどこかで甘えてるなあっていう自覚を持っていないと、関係は壊れてしまう。それって親子に限らず、どんな人間関係でもそうだと思うし、この関係は絶対に壊れないなんて関係は世の中にはひとつもない。時間が経てば怒りは薄れるけれど、薄れたぶんその人に対する心の距離はすごく離れるんだよね。それってもう取り返しつかないんだよね。悪かった、反省しよう。で、その人が変わる余地があるなら、その距離はまた近づいたりもするのだろうけれど、血のつながりみたいな甘えでそこを有耶無耶にしてしまうと、距離はどんどん離れていってしまうのだけれどな。私は自分の子どもに対して、その点をすごく恐れていて気をつけているけれど、きっとそういう感じの考えって母にはないんだろうなあ。。。困ったもんだ。

カテゴリー 日記