サボテンとバントライン
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ちらしの裏。 2010-02-22

そこはかとなく、色々と思っていることをつらつら。
このブログに書くべき事なのか?と思いつつ、まあ個人的なブログなのでいいか。と判断。
私SLをはじめてから、2年半くらい経ちました。
その2年半の中で、出会って別れていった人たちは数限りなくいます。
本人、決して争いを好むわけではないのだけれど、
なんだかもう連絡も取れないよ、という元友人もたくさんいます。
自分のその時の選択は間違っていなかった、と、今でも思えるのだけれど。
やっぱりそうは思っていても、あの時もっと違うやり方はなかっただろうかと自問自答してしまう事だってある。
そういうふうに思いをめぐらせても、最終的な答えはやっぱり「これでよかった」なんですけれども。
私は私が経験してきた事は、どんなに苦い事でも自分のなかに取り込んでしまう。
過去確かにあったことをなかったことには絶対にできない。否定もしない。
だから、今は離れてしまっている数々の友達に関しても、
過去確かに一緒に笑った時期はあった。ってことは大切にしているわけです。
だってね、人はくっついて離れるものだから。
恋愛関係だろうが親友関係だろうがなんだろうがそれは同じ。
くっついて、離れてしまう過程には、どちらにも反省点がある。
あの時のあの人の姿勢はよくなかった。でもそこに至るような言動を私は取った。
というような反省は、死ぬまで続くものだと思うわけです。
別れに、どちらが100%悪いなんてことはないんだし、別れる前に良好な関係があればあっただけ、
その関係が濃密であればあっただけ、別れるきっかけって重たいし修復なんてそうそうできない。
私は、私と別れた人たちとは、きっちり「終わった」という認識を持っているし、
それを隠したり誤魔化したりはしない。
それを誤魔化すことは、その人と作り上げてきた過去の時間も誤魔化すことになるんじゃないかなと思うから。
そうすると思い出だって変質してしまうよね。
きちんと思い出してあげることもできなくなるよね。
この時期に、あの時期に、確かにこの人のことが好きだった、信頼していた、頼りにしていた、されていた、
そういう記憶は財産だと思う。
これはこの1年近く、繰り返し繰り返し感じて来たこと。
誰に、と言うのではなく、自分のなかでふと思いが過ぎる度に感じている事。
それは、自分のいまある姿の責任を誰かに、何かに押し付けてはいけないと言うこと。
今の自分が今の自分のようにあるのは、他の誰でもない自分のせいなのです。
だから、あなたのせいで男性不信になるとか、人間不信になったとか、彼のせいで人生が狂ったとか、
そういう自分は不幸だとか、そういう言葉が大嫌い。
この1年で私は、色々なことを考えた。その前の1年も考えていた。
自分を否定はしたくないなとずっとずっと考えていた。
今も考えていて、今の私の課題も確かにはっきりしている。
ただ、その具体的な方策が思い浮かばなくて四苦八苦しているところ。
苦しんだり悩んだりすることは、悪いことじゃない。
私が今、どうしてもできなくてわからないのは素直になる方法だったりして。
心は色のついたガラスのようなもの。
そして、ラムネのビー玉のようにそこにあるのは見えるのに手で触れられないもの。
それでもやっぱり、そのビー玉に触れられる一瞬はあるんだと思うの。
そうやってすこしずつ距離を狭めていけたらいいと思うの。
素直になることが一番大事だと、今の私は考えているんだけれども、なかなか難しくて七転八倒なわけです。
乗り越えられるのかな。乗り越えてみたいな。

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