本当の光に満ちてた頃が
いつかを知るのは 過ぎ去ったあと
誰かが戸口で なぐさめ言っても
もう忘れたよと 答えるだろう
人は失くしたものを
胸に美しく刻めるから
いつも いつも
(何もなかったように/荒井由実)
センスは歳を取るごとにどんどん鈍くなっていくものだと思います。
敏感であるということは、色々な物に動じやすいということ。
経験を積んでいけば、動じない手段やコツを身につけていくもの。
それと引換になくしていくのが、センスのようなものなんだと思う。
だから、自分が昔ほど繊細でないということは、
それだけ自分が頑張っていきてきたということなのじゃないかなーと、
これは30くらいの頃に思ったこと。
初期のユーミンの詞のセンスはものすごい。キレッキレ。
こういうのを才能があるっていうんだろうなぁ、と、
これはオトナになってから思ったこと。
私は洋楽をあまり聴きません。
どうしても音が右から左に流れていってしまうので、聴けません。
インストの曲は聴くのに、英語の歌詞が載ると右から左になる。
でも例外がいる。ベット・ミドラー。
歌詞に目が行くような歌い方するからなんだろうかね。。。
自分でもよくわかんない。
感情の流れがわかりやすい歌い方するからかもしれません。あとは映画の威力が大きい。
お話の流れに合わせて歌う彼女の映画は、英語がわからなくても歌がわかる。のだ。多分。
ともあれ、私が邦楽ばかり聴くのは、曲を聴いていて
一番先に引っかかるのが言葉だからなんじゃないかと最近気づいた次第。
声とかメロディとかでなく、言葉。
聞いてるうちに気づくあんな音やこんな音。
そんな感じ。
ごきげんよう、たいこです。
いい感じに大人になってしまったので、私のセンスな部分はもう、先が丸まってどうにもならない鉛筆のよう。
しかしだね、作家というのは中年以降に頭角を現す人が多いのですよね。
詩と違って小説は、技術に依る部分が多いからなんだろうか。
小説の言葉のセンスと詩の言葉のセンスはまったく違うもののように思います。
うん。ならまだまだ行けるんじゃないか。練習あるのみなんじゃないか。
小説は本当に、書けば書くほどよいものができる。
小説ってちゃんと書いたことないけど。
たまに他の人の聴いている音楽を聴くのはいいものだなぁと感じた夜。
小説と違って、映画と違って、音楽は気軽にその作品を共有することができる。
SLで音楽を通じて人との関係を結ぶ。ってやりやすそうだなぁと思ったり。
うん。まあ私は自分のあいちゅーんを垂れ流すくらいしかできないんですがw
工事が始まってしまったので、明日は午前半休をとろうと思います。
工事初日なんて仕事にならないんだ。
なんだかめまぐるしく周囲の環境が変わっている気がする。
こんなことを毎日のように書いているから、やっぱり変わってってるんだろうなぁ。
置いて行かれたらどうしような不安もないし、
これからどうしようっていう危機感もない。
大きめな分かれ道が迫っているような気がしなくもないけれど、
実際どうなのかは神様にもわからないだろうね。
知らないうちに、何かこう、人生の岐路的なものは踏み越えたのかもしれない、とも感じる昨今。
そんなことはどうでもよい。
自分自身が、いいことしかないって感じている今の感じはきっととってもいい感じだ、きっと。