立ち去る時の肩の辺りに 声にならない言葉聞こえた
あなたをもっと憎みたかった 残る孤独を忘れる程に
淀みない浮世の流れ 飛び込めぬ弱さ責めつつ
けれど 傷付く 心 持ち続けたい
時は川 昨日は岸辺
人は皆 ゴンドラに乗り
いつか離れて 想い出に手を振るの
(水の影/松任谷由実)
非常に穏やかな曲調で歌われるこの曲。
いつだってなんとなく聴いてしまうけれど、ものすごい強烈な詞だったりします。
たまにものすごい神がかった作詞をするのでドッキリします。
最近の曲聴いてないけど。
ごきげんよう、たいこです。
一昨日の話。
あちこち冒険してきました。
頼まれものをつくったり、今必死こいてバリエーション増やしているうさぎのがらがらどっしゃんに
頭を悩ませたりしたあとで、
脳みそが疲れたのですりんく見ながらあっちこっちにびょーんびょーんとカフェやバー巡ってきました。
SLは、生息している場所や遊び方で、知り合う人がものすごく制限される場所だと思っています。
私みたいに中途半端な店をやってるような人間は、
カフェやバーに行くとリアクションがあちこちでまるで違うのでありまして、、
自らの存在がその人の遊び方をうっすらと知る手段になり得ることを感じたりした夜。
つくってるものもなんか独特だしね。波野家。
癖の強い店だという自覚はうっすらあるので、きっと好かれ嫌われも激しいんだろうなぁ。
嫌いなら触れなきゃいいだけだし、好いてくれる人にはハグハグしちゃいます。気持ちだけ。
自分がよいと思っているものを評価されるのはとても嬉しいこと。
その逆は寂しくなるけど、でもそんなのもアタリマエのこと。
何か行動を起こせば、賞賛される数だけの同じだけの強さの批判が起こるのもこれ当然のこと。
なもんで、人が集まる場所にいって、「有名な」みたいな冠をつけられると、
「本当にもうごめんなさい」って気分になるのです。
言うほど有名でもすごくもないわけです。私なんぞSLのスキマ産業で今まで生き延びているわけです。
長く続けてりゃそれなりっていう見本みたいなお店なわけです。
作るものも無軌道に無計画に、気分でぽいぽい作ってきて今があるわけです。
それだけに、「かわいいものを作る人」「お化けの人」「ネタものの人」と、
私のお店を知っている人でも、私の店に対する認識がまるで違うのは面白い。
どんな遊び方しても自由なのがSLのいいところだし愛すべきところだ。これは間違いない。
だから、そういう遊び方をする人を糾弾するつもりはない。
そういうことをやめろとたしなめる気もない。
でも、ものすごく気分が悪い。
私はイジメが大嫌いだ。憎んでいる。
そもそもめんどくさい事が大嫌いだ。
イジメはめんどくさい。
集団になるだけ本当にめんどくさい。
いじめられる側になっても、いじめる側になっても、傍観者の側になっても、
例外なくいやな気分になる。いいことがまるでない。
私は、人を好きになるときも、人を嫌いになるときも、自分自身の目で相手を見て、
自分自身で感じたことに従いたいわけです。
又聞きの話を真に受けるなんて絶対にいやなわけです。
噂は人を傷つけない。ただ、想像力だけが人を傷つける。
と言ったのは、鴻上尚史だったか。
こういったことを逆手にとって、集団の力で個人を貶める人を私は心底軽蔑します。
時折、特定の人間を攻撃するために第三者をだしにする人がいますが、本当にね、
だしにされる側の気持ちを考えろと言いたい。
本当に、久しぶりに胸糞悪くなったよ。
世の中には本当にたくさんの人がいて、たくさんの価値観がある。
その価値観は確かにそこにあって、いいとか悪いなんて言えないものだと思う。
ただ、好きか嫌いか。それだけ。
自分の価値観にそぐわない人が傍に来たなら、それが我慢できないのなら、
去るべきは自分自身であると思う。
気に入らないから追い出してしまおうというのは傲慢だと思う。
人は誰だって、自分自身のためだけに在るものだから、
そういうものを自分の私欲のために利用するなんて、もってのほかなんだ。
去るときに理由なんていらないし、それをとがめる人は誰もいないし、
そんな権利は誰にもない。
ただ、嫌いだから。それだけでいいと思う。
そこにぱっと見正当な理由をつけようという心根はとっても浅ましくて卑しい。
せめてやるならもっとうまいことやって欲しいもので。
自分のその軽率な行為が、ほかの多くの人間に影響を及ぼすかもしれないって事すら想像できないとかもう、
私の価値観に照らし合わせると、「ない。無理。なさすぎる」になるわけですね。
なのでさくっと去ることにしました。
大人になってこんな阿呆みたいな事態に遭遇するとは思わなかった。やれやれ。
本日は会社をお休みして、家族の時間をすごしてまいりました。
今現在ともに暮らしている家族ではなく、私が生まれ育ったほうの家族。
お盆とお彼岸のちょうど真ん中の、素敵に中途半端なこの時期に墓参りです。
久しぶりに行ったお墓は、茨城県の北のほうにあります。
お墓を抱えるお寺さんの敷地に、わが実家の墓があるのですけれど、
震災から半年たった今現在も、あちこちのお墓が倒れたままになっておりました。
いわゆる霊園ではないので、お墓がキレイに整列しているわけじゃないのですね、
空いてる場所にとりあえず建てていこうみたいな、「墓場」っていう感じのところで。
震災から半年が経ちましたが、茨城は北に向かえば向かうほど屋根の瓦の修理率とブルーシート率が上がる印象でした。
「すべて流されてしまった」と聞いていた魚市場にも行ってきましたが、
すでに復興して通常営業しているさまは少し安心だったりして。
それでも、あちこちに貼ってある「がんばろう」のステッカーに思うところもありつつ。
久しぶりに弟に会って、お互いの近況などを語ったりするこの数少ないお墓参りという行為は、
きっと亡くなった人をよりしろにした、家族の絆行事なんだと、墓参りに行くたびに思います。
なかなか会えない弟と、なんということもない近況を報告しあったりして。
彼も地味に幸せ生活満喫していたようで、なによりです。
頼むから早く結婚して落ち着いてください、弟よ。
そんなようなことを語ったりして道中楽しく過ごせました。
夜はわが子らも実家に呼びつけてカツオ祭り。
板前であるところの弟に、カツオを1本預けて美味しく調理していただきました。
魚自体も美味しかったけど、たくさんの人と食べる食事は本当に美味しいね。
そんなことを実感した日。
次に弟に会うのはきっと来年の年明けだ。
またそのときに、この先の人生の歩みを見聞きしてこようと思いました。