サボテンとバントライン
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シェイクスピアに関する考察 2011-05-19

シェイクスピアの戯曲に出てくる人たちは、ものすごく簡単に恋に落ちる。
ロミオとジュリエットなんて、心中までしてしまうけれど、実際はただの一目惚れ。
夏の夜の夢に出てくる男女なんて、媚薬ひとつでくっついたり離れたり、追いかけられたり足蹴にされたりするし。
「好きになった」「愛し合っている」という状況が大事だから(物語として)、あっさりするっと書いてるのかなぁ。
とも思うけれど、そうでもない気がする。
から騒ぎなんて、嫌い合う2人の男女を「お互いがお互いを実は好きだ」というデマのうわさ話を流すことでくっつけたりしてるし。
まあそれで簡単にくっついちゃうんだ。シェイクスピアの物語の中に出てくる人は。
なんて簡単。説得力なんてなさすぎる。やっぱり古典だからなのかしら。
でも今観たってシェイクスピアは面白い。すごく面白い。上手につくれば。
惚れた腫れたなんて今も昔も虚構も現実も、案外そんな簡単なもんなのかもしれないっすなー。
と、ふと思い当たった朝。
今自分に愛する人がいるとして、それがどれだけ重要なことだろうと、どれだけ手ばなしたくないと思おうと、
どれだけ好きで好きでたまらなかろうと、いなくなったら死んじゃう!と思っていようと、
そんな愛する人と出会ったのはただの偶然で、きっかけはただの錯覚かもしれないし。
「私のどこを好きになったの?」って聞いたって聞かれたって、
そこから出てくる理由なんて全部後付けのような気がするしさー。
色恋をあれこれし始めると、毎回のように「この人のことほんとに好きなのか?」
っていう疑問が頭の中に湧いて出る。「そんなに好きじゃない」って結論が出ちゃうこともままある。
でも一度くっついてしまったら、そんなに好きじゃない程度の理由で離れないじゃないすか。
一緒にいて可も不可もない。ちょっと楽しい。なら離れる必要性感じないじゃないすか。
ほんとに好きかどうかなんて、きっと死ぬまでわかんないだろうなーと思う。
どんだけ好きだったかってことはわかっても。
きっかけより出会いより、その後でどういう関係性つくってったかって事のほうがずっと大事で、
本当は自分の気持ちがどうだったのかなんてさらにどうでもいいことなのかもしれないなー。
と、シェイクスピアを思い返しながらふと思ったのでした。
私自身は恋しちゃって好きで好きでどうしようもないっていう気持ちは、遙か昔の記憶すぎてですね、、、
ちょっともう、これは恋なんてできねーんじゃねーかと若干危惧しているところでございます。
歳をとって賢くなった面がある反面、それは臆病になったのと何が違うんだ?とも思う。
守るものがある、だからガードも固くなる、当然色々なことに慎重になる。
慎重になることと臆病になることって何がどう違うんだぜ?
さらに困ったことに、別に恋なんてしなくてもいいだろうって思う自分が最近頻繁に顔を出す。
まあでもね、恋なんてしようと思って出来るもんでもないんだ。
恋心なんて抑えきれないもんなんだ。止めようと思えば余計に想いは増してしまうものなんだ。
って書いてみて、私、恋愛モードになったときに「止めよう」と思ったことがないことに気づく。
うん。色々な逡巡は、その時に相手が好きじゃないって証拠みたいなもんなんだろう。
しかしそれは問題じゃなくいかにその関係性g(ry
なんでこんなことをつらつら考えているのかというと、もうすぐ夏だから。
夏といえばシェイクスピアで(私に限り)、久しぶりに素敵なシェイクスピアが観たいなぁなんて思ってるから。
そして、最近スクリーンの向こう側の人間に恋する機会が頻繁すぎる自分に若干危機感を感じているから。
ほんとにね、顔見るだけで軽く本気でときめいちゃうこの感覚。
20年ぶりですよ。ほんとに。
画面の向こう側の人に本気でキュンキュンしてどうするっていうね……。
「しばらく恋してないなー」っていうのとはやばさのレベルが違うだろうと思うんだ。
これでも35歳なんですよね私。
大丈夫なんだろうか色々wwwwwwwwww

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