サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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消えない勇気を受け取ったよ 臆病なあなたから 確かに 2011-12-05

言葉より声を 声より唄を 唄から心を 心の言葉を
星より光り 光を願い 祈る様に踊る 今は無い星を
あなたに声を 声より唄を 唄から心を 心にあなたを
一人減った未来を 一人多かった過去を 抱きしめた胸に 今もある星を
(angel fall/BUMP OF CHIKEN)

定期的に「来るものが来た!」という感じで胃の調子が悪いです。
いつからこんなに胃が弱くなったのか。謎。
優しさってなんだろうなぁって考える。
毎日毎日、うちの小さい人たちの喧嘩を見ていて考える。
奴らの喧嘩の原因を見ているといつも少し心が痛むのです。
家の中だから遠慮がないとはいえ、3人が3人とも自分だけの主張を前面に出して譲らない。
こういうふうに言えば終始和やかに事が運ぶ、ということを考えない。
だから、「どいてよ!」とか「かえしてよ!」っていう喧嘩ふっかけ口調になる。
仲裁に入っても、お互いがお互いの主張を譲らない。
ここのところ喧嘩が絶えないのは、長男が反抗期の入り口に立ったからに他ならない。
ああ、反抗期ってのは屁理屈こねる時期のことなんだなぁ。と納得してみたり。
大人の入り口には立っているけれど、まだまだ未熟な人間である彼ら。
屁理屈にしか聞こえないのは、その言葉に説得力がないからで、
なぜ説得力がないのかというと、自分がその言葉をきちんと獲得していないからだなぁと思う。
正論だろうがなんだろうが、説得力がなければ相手は納得しない。
一般論で語っても、まるでその言葉が自分に当てはまるようでは、
「おまえがいうなw」になってしまうわけで。
思春期入り口の長男には、そのあたりが理解できないようです。
その調子で次男に正論で返されると一気に言葉に詰まって、キレる。
どう考えてもいつだって長男が負ける長男VS次男のきょうだい喧嘩ですが、
ここで次男のほうに乗っかると、「お母さんまで俺を不当に責める」って長男がすねるので、
最近は黙って聞いています。
やれやれ。
これがVS娘となると、娘の言ってる事が支離滅裂なのでカオスになります。
これもまためんどくさいので、本質とは関係のないところを注意して収束に向かわせます。
奴らのそれぞれが同じくらい相手を思いやれば喧嘩にならないのにねー。
なんで兄弟ってああなるんだ。
きっと自分の親も同じように感じつつ、うんざりと兄弟げんかを眺めていたに違いない。
私が弟と喧嘩しなくなったのは中学3年の頃です。
あと2年、こういうことが続くのか。。。。
ごきげんよう、たいこです。
なんとここまでが11月の30日に書いた内容っていう。
それでも大体のところ、私の日常はこんな感じなのであまり問題がない。
SL方面では相変わらず延々と引きこもって地味な作業を続けております。
っていうかさ、色々とちゃんとつくろうとすると本当に時間がかかるもんだなって実感中。
やってもやっても終わらない作業に、軽くめまいさえ覚えるような日々でございました。
んでも可愛いなと納得するものができた。よかった。


着物と袖なし羽織。
道行コート。
道行コートはやっぱり可愛いなと思うのです。
色々な事情があって短い袖になってしまったんだけれども、これ短いと袈裟みたいなんだなって、
頭をつるつるにして着たときに実感。
今回の着物市には、様々な人の様々な手を借りることとなりました。
みんな快く引き受けてくれて、ありあまる労力を割いてくれてなんだか本当に感謝しているのです。
私のつくるものには、私の色が出る。
そこに誰かの手がかかると、その人の色も混ざる。
いろんな人のいろんな色が混ざって、それが完成形になるその感じが私は好きです。
さらにそれが買ってくれた人の手にわたって、最後にその人の色が混ざるんだと思う。
そんなことを考えながら、いろいろ合わせられるような着物にしたつもりです。
ぜひ楽しんでいただけると嬉しいです。
信じない・疑り深い・無防備。
なんだか最近よく投げられる言葉。
疑り深いのと無防備って正反対じゃないの?それとも全然別の話なの?
守っているものとさらけ出しているもの、どちらを観るかによってこうなるんだろうなと思う。
どちらも当たっているよなー。
どちらも当たってるよなーって自覚できてるうちは大丈夫だろうと思うのです。
理解するとかされないとか、理解して欲しいとか理解したいとか、
どっちもそんなのないよ。と思う。
私なりの誰かに対する解釈があって、誰かの私に対する誰かなりの解釈がある。
理解しようなんて思ってないし、理解してくれとも極力思わない。
期待をすることはしない。っていう、大人ぶった逃げ道でございます。
星占いによると、この時期はカーブを曲がるタイミングなんだそうです。
カーブは先が見えなくて、カーブを曲がったら今までとは全然違う景色が見えたりする。
それは、行き詰まっていた感じがトンっと開けるってことなんじゃないかなぁ。
今が、とか、その時期が、とかは別にして、生きているとそういう事を感じるタイミングがあります。
少し前から、そろそろ来るなあってことを感じていてですね、
実はだいぶ長いこと、そろそろなんかが変わるなあって感じ続けているわけですがw
私はこの1年くらいかけて、ゆっくりゆっくり回っているんじゃなかろうかという気がします。
長い長い緩やかな坂道をのぼっている最中。そろそろ下り坂、もしくは平坦な道が現れるなあと。
それって、視界がひらけるってことなんだよね。
ここ数年取り掛かっている課題の、ゴールがそろそろ近づいてるんじゃないかと。
そこまでたどり着いたら、次に見えるのは次の課題。
そんなことを感じながら、きっと今年が終わっていきます。
年々、時間のすぎるのが早くなっていて、ぼけっとしてると無駄に時間を使ってしまいそうな焦燥感はあるのですが、それでもまた1年、できるだけ丁寧に生きていけたらいいなーと思うのです。

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