まいにち まいにち ぼくらは てっぱんの
うえで やかれて いやになっちゃうよ
あるあさ ぼくは みせのおじさんと
けんかして うみに にげこんだのさ
(およげ!たいやきくん/子門真人)
芸術なんてやってる男はみんなダメ男だ!(暴言)
ダメ男がダメな会話を繰り広げる、どうしようもなくダメな感じの舞台を観てきました。
すっごく面白かった。
舞台はパリ。芸術の都パリ。
時代は1974年~1976年。
なぜか日本人ばかりが集うバーのなかで話は進む。
シチュエーションコメディなので、笑いどころもわかりやすいし話もちゃんと流れる。
だめーな人たちのグダグダの中に、形のないもので生計を立てていく人たちの葛藤が読み取れます。
小学校6年生の頃。
「やまなし」という、宮沢賢治の小説が国語の授業で出てきました。
クラムボンは笑ったよ。クラムボンはカプカプ笑ったよ。
というカニの子の台詞を抜粋して、
「クラムボンというのはなんのことでしょう?」
という課題が出されたのです。
クラムボンがなんのことであるのか、この小説のなかでは大きな問題ではなくて
クラムボンがなんだって別にいいと思うのです。
そこを抜き取って、「ううむ。クラムボンとはなんぞや」なんて、
小説を読む人の姿勢ではないと、12歳の私は思ったのです。
だから、「なんだかわからないもの」と答えたのです。
先生はその答えを評価してくれなかった。
お魚って書くのが模範解答だったようですが。
やっぱりあれは未だに納得がいかない。
話がそれたように見えますが、形がないものとはこういうこと。
受け取る人にとって、感じ方も評価もまるで変わってくるもの。
そしてその中に不正解はひとつもない。
形がないものを作り続けてそれを仕事にするということは、
自分の依って立つところが不安定であやふやなまま、ということなのだと思います。
自分のなかでの作品の評価と、手に取った人の作品の評価がずれることとか。
え、こんなんでいいの?ってものが大受けしてしまったり、
ものすごく苦しんで生み出したものが全く受けなかったり。
SLみたいなところで物を作って売っていても思うことなのです。
頑張って作ったものは売れず、手癖で作ったようなものがもてはやされることは日常的にあること。
そんな中で、自信を持って「いいものつくります」って言い切るのはなかなか難しい。
そういうあやふやなところで生きている男の人達ってのは、これはもう悲しいくらいにダメで女々しくてグダグダなんだけれど、とっても可愛らしい。
お前そんなことでそこまで落ち込むなよwwwwみたいなところで落ち込んじゃってる姿が可愛い。
ちょっと頭の作りが残念な似顔絵描きの役を三宅弘城がやっていたのだけれど、
事あるごとに、「愛しいな」って言うわけです。この人が。
それ以外のことは全部とんちんかんなのに、「愛しいな」だけが妙に説得力があるのです。
私はやっぱりダメな人が好きなんだなぁ。と、思いっきり実感してしまいました。
私自身もダメな人だしなぁ。。。苦笑
芝居は全体的に深く考えずに観られる楽しいシチュエーションコメディ。
俳優さんもみんなうまいのでそのあたりの演技も堪能できました。
大倉孝二好きだー。みのすけ好きだー。
伝えたい事は本当に伝わらない。
見事に伝わらない。
どうでもいいことはわりとさくさく伝わってしまうというのに。
伝えようと思うと変質してしまったり、意味が違ってしまったり、
そのものをそのまま伝える術はないのでしょうか。ね。
届いてるなぁ、と思える瞬間があるのは、だから貴重で素敵な瞬間なのだと思うのです。
届いてるなぁ、という感覚こそが誤解であったとしても。
今日の1曲は、芝居の中で重要な役割を担う一曲。
ラスト、みんなでこれを歌うシーンは、かなり印象的でございました。
(歌詞はちがうんだけどね。。。w)