サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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降りそそげ 桜降り積もれ 降りしきれ 桜の雨 2013-01-04

桜雨 罪流して
与えてくれ 邂逅の奇跡
もういいじゃないか 憎しみも愛情も
同じ事さ 同じ色さ
(桜の雨/特撮)

あけましておめでとうございます。
というわけでギリギリ三が日に間に合わず新年のご挨拶。
今年もぼちぼち平和に暮らしつつ、ぼちぼち可愛いものや怖いものを作っていけたらいいなと思います。
お正月、元旦は実家その1へ。
弟の持ってきた素敵に美味しいマグロちゃんと闇鍋かっていうくらい具だくさんの寄せ鍋をいただきました。
去年の末からしばらく実家に留まっていた子どもたち、結局末の娘は4泊くらいしておりました。
インフルエンザでダウンしていた長男も元旦~2日は実家に泊まり、入れ替わりに次男と一緒に帰宅。
少しじっくりと次男とお話する機会もできてよかったよかった。
3人の子どもたちの中では一番精神的な成長の早い次男。
一番じっくり話しが出来る相手でもあります。
家の中の事に関しては、子供にもできるだけすべて話してしまう方針の我が家ですが、内容によっては大きくなるのを待って話さねばならないこともあるわけで。
先に色々知る事になる子は、それだけ背負うものも増えていくところが少し心苦しくはありますが、それだけ頼りにできるようになったんだなあ。と少し感慨深くもあります。
大人は皆いうことが違う。その中で自分の一番しっくり来る解釈をしてくれたらいいなと。
子育ても今までとは違う段階に来ているよなあ。
私だって中学時代のことはしっかり覚えているし、親のことを対等な目線で観るようになったのも中学の頃だし、今までとは違った意味で手が抜けなくなって参りました。
数年先が楽しみなようで怖くもあります。
2日には実家その2へ行きまして。
父の再婚相手と初めて対面いたしました。
再婚したの、多分数年前なんだけどね……。今更感が漂う中、それでもよさそうな方ではあったので一安心。
っていうか若かったよ。。。よくまあ父と結婚したものだ。
しかし年末から正月2日まで、家に子供が1人しかいないという状態で過ごしたのですけれどもね、家がとっても静か。ああこのくらい静かなら私も心広くいられるわぁ。。。と思ったり思わなかったり。
そのかわり実家のほうでは子どもたち大暴れしていたようですが。
寄れば触れば喧嘩する年代はいったいいつまで続くんでしょう。。。頼むから仲良く暮らしていてほしいもので。
ごきげんよう、たいこです。
そんなこんなで実家は回ったものの、まだ初詣に行けていない我が家。
氏神様のある神社、三が日は信じられないくらい混むのです。
明日(というか今日か)挨拶してこれたらいいなと。
私、今年が後厄でして。これで30代のほぼ半分を占める大厄がすべて終わります。長かった。。。
厄年なんて…という気持ちもなきにしもあらずですが、こういうものは気持ちの問題なのでして。
しっかりとお祓いしてもらってこようと思います。
成田山のお祓いはすごくかっこいいのだ。本堂で護摩焚きするのだ。
炎ってすごいよなあ。。と、行くたびに火の美しさと怖さを実感するのでした。


自分のしてきたことを客観的に捉えるのはすごく難しい。
だからこそ、他人の意見をないがしろにしてはいけないと思う。
しかし、他人の意見もすべてが正しい訳ではないのでいい塩梅に見極めなければいけないのが難しいところ。
歳をとるにつれ、否定されることがきつくなってきます。でも、自分と違う意見を受け入れる柔らかさがなくなると一気に老け込む気がするのです。ごめんなさいという言葉は、歳を取れば取るほど言いづらくなる言葉なのかもしれません。
こういうことは、母との間に色々面倒くさい事柄が起こるたびに身にしみます。
多分こうやって常に意識していないと簡単に硬くなっちゃうんだと思うんだ。頭。
視野を広く持つことと、自分のことを出来るだけ俯瞰で眺める訓練と、間違いは認める謙虚さは意識していないと簡単に失われてしまう。
冒頭の今日の1曲、特撮の新しいアルバムのやつ。
桜の雨が罪もゴタゴタも洗い流して水に流して、流れてしまえば憎しみも愛も同じ色。
ほとぼりさめてなかったことにする感じ、無責任なようだけれど私は好きです。
時間が経つということは、その時に起きた出来事に付随していた色々な感情を綺麗に洗い流すことだと思う。
その時にはどうしても許せなかった理由が執着のようなものであるならば、時間はその執着を取り払ってくれる。
感情や執着はなくてはならないものだけれど、それがあるがゆえに上手くいかないこともたくさんあって。
その時に解決はしなくても、時間がなんとなくなぁなぁにしてくれる、どうせならそういう優しい時間の使い方をしたい。
辛くて苦しかった思いも、時間が経てばちょっと苦かったり甘かったりする感傷になったりする。
そういう感傷に浸れる事は、幸せなことなのかもしれません。
忘れることは怖いことではありますが、忘れることができなければ今まで積み重ねた時間に私たちは押しつぶされてしまう。
忘れられない色々なことも、その気になればきちんと思い出の箱のなかに収めることができる。
その時に、忘れたくない、思い出にしたくないと心の底から思ったその記憶さえ懐かしい思い出にしてしまえる時間っていうのは、本当に本当に偉大なものだなあ。
そんなことを思う2013年のはじまり。
今年は一体どんな1年になるのでしょう。
1年の始まりと誕生日は、いつだって根拠のないいい予感にあふれているのです。
自分のそんなめでたいところは結構好きです。
そんなわけで、皆様今年もよろしくお願いします。

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