サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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おっぺけぺー おっぺけぺー おしべとめしべがおっぺけぺー 2012-06-24

I don’t wanna die
I don’t wanna die
愛はどんなんだい?
恋の呪文 唱えないでよ
ラブラブシール 貼らないでくれよ
僕はもう 骨になるまで キスしまくるよ
じーざす
(あいどんわなだい/銀杏Boyz)

木曜日の通勤時、この曲が流れたら一日中この曲に脳みそ占拠されました。
ラブラブシール、あったら使ってみたいものです。
ごきげんよう、たいこです。
昨日はお芝居を観に行ってきました。劇団新感線の「シレンとラギ」。
タイトルどおり、主役はシレンとラギの2人。
公式サイトこちら。https://www.shiren-to-ragi.com/
新感線はいつでもサイトがすごい。チケット取ってからサイトを観てはわくわくしておりました。
南北で争っている国のお話。
北の国の暗殺者であるシレンは、20年前に南の国のエライ人を毒で暗殺しました。
ところが殺したはずの南の国のエライ人が、生きているらしいというところから物語が始まります。
お前確かめてもっかい殺してこい、と、北の人、ヒョウゴに言われるのですが、
それを聞いたヒョウゴの息子、ラギが「おれもいく!」と名乗りをあげます。
ラギはシレンのことをものすごく尊敬しているのですね。
2人で南に向かうのですが、確かに南のエライ人(ゴダイ)は生き返っていた。でも腑抜けになっていた。
ゴダイは、宗教の教祖様。シレンに会いたい会いたいと繰り返す腑抜けゴダイ。
北の国の将軍を取り巻く人々の陰謀と策略の渦巻く感じと、
南の国の教祖様を取り巻く人々の欲と思惑の渦巻く感じと、
その北と南を行ったり来たりしながら、周囲の人すべてを裏切り続けて
自分の望みだけに焦点を当てて生きている男と、
シレンと、ラギ。
「アイはコロシアイ」というキャッチコピーのついたこの作品。
人と人とが繋がることとはどういうことか、一体愛ってなんなのよ、とか、
そういう事が色々心の中で駆け巡りました。
父と自分、血のつながりとしての父と自分、母、そして愛する人。
親と子の愛、異性としての愛、同性に対しての愛、それから師弟としての愛。
いろんな愛がこの物語の中に出てきて、いろんな愛がぐちゃぐちゃに絡まるからこそ、
登場人物達は苦悩してしまう。
自分のこの、心のうちにあるこの気持がどういう愛なのかわからぬまま、
そんなものはおいておいてとりあえず愛してるというスタンスに立つ、あのエンディングは素晴らしかった。
休憩時間を入れて、約3時間半の長いお芝居でしたが、まるで飽きることなく引きこまれまくってしまったのでした。
色々と世知辛い世の中だし、生きていくのは大変だけれど、だから虚構の世界の中でくらい
綺麗なものがあるって断言してしまってもいいよね。
そういうものがあると信じるだけで、なんだか生きるのが楽しくなるのです。
脚本がすごいんだよなぁ。キャラクターの作りこみがすごい。
どの人物もきちんと生きている。だから、気持よくその嘘の中に飛び込める。
主演の永作博美と藤原竜也のよさもさることながら、
強烈な悪役を演じた古田新太、小悪党な粟根まこと。
それから、お馬鹿で可愛くて怖い将軍役をやった三宅弘城。
ゴダイの妻を演じた高田聖子。
みんなすさまじくよい演技でございました。
何よりびっくりしたのが、南の国の教祖様、ゴダイを演じた高橋克実。
圧倒されまくってしまいましたのでございます。
三宅弘城はなんであんなに無垢な役が似合うのでしょう。。。
古田新太の悪党っぷりは本当にかっこいい。
あーもうなんて贅沢なの!って思いながら幸せを噛み締めたのでございました。
はあ、幸せ。


名前ってとっても大事なものなんだけど、あまり名前に振り回され過ぎないようにしないといけないなぁと感じる。
お父さんらしく、お母さんらしく、子供らしく、お兄ちゃんらしく、女らしく、男らしく。
どれもこれも必要なものではあれど、度を越すとろくなことにならない。
友達とか恋人とか知り合いとか親友とか。
その辺の境界分けも人によって違うだろうし、かなり曖昧な気もします。
だからこそ名前にこだわり過ぎるとあまりよくないなぁと感じたりするわけで。
愛ってものの本質は、異性に向けたものであれ家族に向けたものであれ友人に向けたものであれ、
根っこは全部同じだなーって思ったりするんです。
愛にくっついてくる自分の欲の質が違うだけみたいなそんな感じ。
今はこういう事を1つずつおさらいする時期みたいです。
頭で理解していてもうまく実践できないとかそういうことをおさらいしてる昨今。
あまりにナチュラルに実践できていることを確認して、自分で自分にびっくりしたり。
こういうふうに成長を実感出来るのは素晴らしいことだ。


甘え合う間柄っていうのに抵抗があったわけですが。
甘え合って成長しあえる間柄もあるんじゃないのかしら。と、今日お風呂に入りながら考えたのです。
これは、ちょっと前に書いた、苦労なんてしない方がいいに決まってるっていう気持ちに法っています。
苦労はしたほうがいいとか、学ぶべきことも多いだとか。
確かに苦労したりつらかったり悲しかったりという経験は、人を成長させるものだと思います。
けれど、場合によってはその代償のほうが大きいことも多いのです。
だから、本当は苦労なんてしなくて済むならしない方がいいと私は思っています。
現状がどうとか、相手がどうとかの問題は置いておいて、私は再婚予定です。
相手はいない。だが、再婚予定です。
結婚っていうのは、育った文化も土壌も違う大人2人が、自分たちの新たな文化を作る行為だと思う。
新たな家族という文化を作る行為だと思う。
当然それは大変なことであろうし、ぶつかることも嫌な思いをすることもさせることもあるだろうと思う。
そういう思いをして学ぶことってたくさんあると思うのですよね。
けれどそんな思いをしなくても、甘え合う関係でいたとしても、同じ事って出来るんじゃないかなぁ。
と、これが今日思ったことなのです。
そして明日は明日の風が吹くので、再婚予定の事なんてのは頭の隅っこのほうで小さくなってればよい。
今までの私に決定的に足りてなかったのはそこ。
どうしても考える癖があるので、余計なことまで考えてしまってダメになってしまうんですね。
今はナチュラルにそういうこと何も考えないでいられる。
今までそういうことはちょっと無理してやってきたのです。
だから、ナチュラルにそんなことを出来る自分が、ちょっとびっくりしつつも嬉しかったりしたのです。

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