サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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涙こぼれても傷つく時にもいいことしかないさ 2014-03-19

ロコ!思うままに生きてごらんよ
足はもつれさせてもいいさ
倒れたとしても やりきれなくても
いいことしかないさ
いいことしかなかった
(ロコ!思うままに / 特撮)

というわけで今年もこの日がやってまいりました。
38歳になってしまいました。
お誕生日おめでとう!わたし!
ごきげんよう、たいこです。
そんなわけでお誕生日。SLでは恋人の人が精一杯祝ってくれました。前日に。
彼は先週までお誕生日を2日ほど前倒して覚えていて、その時に19日だよ!と訂正したのですが……
なんかカレンダーの感覚1日ずれちゃってたみたい。
サプライズやろうとしてかなり頑張った様子が伺えて、(だってたいていINしている時間は私と一緒にいる)
とっても嬉しかったのですが、1日間違えて本気でがっかりしている様子がまた可愛かったりしたのでした。


私が生まれたのは22時26分。母は相当な難産であったそうなので、
38年前の今この時間はおそらく激しく戦っていた時間……なのかもしれません。
母から繰り返し聞かされた「私を産む時は難産だった」話のせいで、
計画出産という言葉には今でもうっすらとした恐怖をおぼえます。
そんな風になっちゃうの、少数だって今では知ってるけどね。
自然分娩だって長引くときは長引くのです。
母は出産にはあまり向いている体ではなかったようで、
どの子供を産むときもそれなりにトラブルがあったようですが、
私はびっくりするくらい安産体質。犬か……というくらいどの子供もつるんと生まれて来てしまいました。
馬や牛の出産シーンを見るにつけ、あんなにごつごつした形状のものを産むのは大変そうだ……と思うわけですが、
一番出産に無理をしているのは人間のような気がします。
人間の赤ん坊が何も出来ない寝たきりちゃんなのは、あれ以上お腹の中で成長させることが困難だから。
体に対する頭の大きさがとても大きいので、
産道を通るぎりぎりの頭のハチの大きさの段階で生まれてくるのだそうで。
それだって相当無理して、赤ちゃんは頭の形を産道に合わせて生まれてくるのです。
産道の直径は8cm、赤ん坊の頭の直径は10cmなのです。
赤ん坊の頭のてっぺんは、骨のない部分があって大泣きしたりするとそこがベコベコと動くのですが、、、
あれは、生まれる時に頭の形を細長くするために、頭蓋骨がくっつかない状態で生まれてくるからなのですね。
なので自然分娩で生まれてきた赤ん坊は、たいてい頭が細長い。
知らないうちに丸くなっていくわけです。
ともあれ、私は母の大変な努力によって38年前に生まれてまいりました。
産道にとどまっている時間が長すぎて、生まれてきた時にはチアノーゼが出ていたと。
更にその時に圧迫された事が原因で、眼球が歪んでいるのですね。
眼球の奇形なんて自分では全然わかりませんが、小さい頃から目はすごく悪かったようです。
話がそれた。
子供は親を選べないといいますが、それでもその親のもとに生まれてきた意味はあると思う。
どういう縁があってか、因果があってか、私は私の両親のもとに生まれて育ってきました。
子供時代のことを思い返すと息苦しい気持ちにしかなりませんが、
そういう環境だからこそ積めた経験値というのも少なからずあります。
それらはすべて今の自分をかたちづくっているものだ。
苦労してきたんだねえ、とか、大変だったんだねえ、とか、そういう事を言われることもとても多いです。
苦労は買ってでもしろっていうのは絶対に嘘だとも思っていたりするのです。
けれども苦労やら大変な思いを自分の血と肉に変えてきたという気持ちはあります。
振り返ってみれば、今の自分からは切っても切り離せないものだ。
だから、大変だった出来事やしんどかった出来事について、恨んだりする気持ちはない。
けれどもう一度同じ思いをしろって言われたら絶対に断るだろうとも思う。
そういう思いを自分がしてきたからこそ、自分の子どもたちには味あわせないように気をつけることができる。
きっと子どもたちだって私に対して思うところや感じているところはたくさんあるのです。
そしてきっと、それは子どもたちが子供を持った時に生かされる。


誕生日は個人的な正月、というわけで、この季節はいつだって来し方を振り返っているのです。
今年は特に長男が中学校を卒業するので。自分の中学卒業の頃の事をよく思い出します。
あの時の1年は、本当に心底ドラマチックであった。昼ドラみたいな。
しかしそのドラマチックさのおかげで、私はいい感じに親離れが出来たのです。
すなわち、親だって自分と同じなんだと。
私が今生きて考えて苦しんで悩んでいるその何十年か先を歩いているただの人なんだと。


30を過ぎたあたりから、あまり目に見えた成長ってのを実感出来ずにいたのですけれども、
なんだか37歳は色々と小さく成長した自分が垣間見えました。
それは、37歳という時期をほぼずっと、見守っていてくれた人のおかげに他ならない。
本当にありがたかったし、すごく貴重な縁であったと私は思っています。
それがあって、今の私がある。
そこにいるだけでOK!っていう絶対的な肯定を、今まで私はされたことがなかった。
正確に言うと感じたことがなかった。
本当はそんなところ、疑う事がおかしいのですけれど。頭ではわかっているのですけれど。
そういう肯定をもらえたこと。それは、本当にかけがえがない。
こういう類の事は、本当は物心つく前に親から当たり前にもらっているべきものなのです。
けれど、いい年した今それを実感したことには、きっと何かの意味がある。
そういうものがとっても大切だと知っていることと、
いい大人になったってそういうものを得る事ができると知った事は、
すごく大きな収穫なのです。そして当たり前にそれを得ていたら、
私はその大切さには気づいていない。
それを踏まえたうえでの38歳。
今の私は絶対的な肯定を知っている。その尊さも知っている。
そのうえで今、目の前にいる恋人の人との関係を作っていくんだなあ、と思うわけです。


38歳の目標は、ちゃんとした大人になる!なのですけれど果たしてうまくいくのかどうか。。。
ちょっと緩みかけているあれやこれやをびしっとアレして、来年の今頃、
「まあ、よくやった」
とか思えるといいな、と思うのでした。
……明日、誕生日よりなにより長男の卒業式なんだけどね。
そっちのがめでたい。うむ。

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カテゴリー: 日記

夕暮れ時のさびしさには 牛乳がよく似合います 2014-03-17

夕暮れ時のさびしさに 金のらっぱを吹いてます
風のささやきかき消して 轟く音色に酔ってます
となりのお寺の墓石に 今日もまっかな夕日が沈む
夕暮れ時のさみしさには 牛乳がよく似合います
(夕暮れ時のさびしさに / たま)

もう何年前の曲になるのでしょう。
夕暮れ時のさびしさっていう感じが染みる曲です。
SLの方のあれこれは一段落して……前を見れば来月も頭からイベントがあるわけで、あんまりのんびりしてるとまた自分の首を絞めることになるのはわかっているけれど、ついのんびりしてしまった先週。
今週は、夏のイベントのための準備その1をしないとなりません。
不言実行ってのが苦手なもので、有言してしまわないとなかなか腰が上がらない。
今週末までには第一稿を終わらせたい……!
日本のホラーの怖さは、欧米圏の人からはどういうふうに映るのだろう。
悪魔のいる国では、怖がるべきは幽霊ではなく悪魔だと聞いたことがあります。
日本にいるのは幽霊と妖怪、神様。
日本の神様ってのはこわい神様もたくさんいるわけで。
貧乏神なんてのも神様ですが、あんまりうれしくない神様ですよね。
人間の理とは別の理で存在しているものですから、神様や妖怪からしたら人の良いも悪いも関係がない。
今年は、そんな理の違う世界にまたがった双子の話を書きたいなと思っています。
有言しちゃった!


明後日は長男の卒業式です。
とうとう子供時代も終わりか……と感慨深かったり。なんだり。
できるだけ書類関係の事、手続きの事には口も手も出さずに見守っています。
すこし、「学校に行くのは自分だ」という自覚を持って欲しい。
放り投げているように見えるだろうし、本人も多少それは感じていると思うのですが。
しかし、働きながら学校へ行くってのは並大抵のことではないし、
彼の行く学校もあまり生徒に構わないところですので、ドロップアウトするのはすごく簡単な環境で。
すこししっかりしてほしいなあ、と思ったりするのでした。
これからどうなることやら。
徐々に寒さも緩んできて、自分の気持ちも緩みっぱなし。
SLでもRLでも、色々な事があるし大変なこともキーってなる事も多いのだけれど、
横でのんびりと話を聞いてくれる人がいることのありがたさを実感しています。
私が気分の上下の振れ幅激しいので、その辺が安定している人がそばにいるのはすごくありがたい。


明後日はお誕生日です。
さて、今年は誰がお祝いくれるんだろう。。。と、子どもたちの顔を思い浮かべながら楽しみにしているのでした。

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カテゴリー: 日記

砂上の 楼閣を大事に壊さぬよう 見破ろう 僕らは巻きこまれぬ力を 2014-03-10

うつろな この世界に
だけども 生きるなら
かいつまもう 僕らは
傀儡に ならぬよう
天秤にかけあって 出会いを許されて
いい方へころがれ ころがって 抱きあって
いい方へころがれ
(ルーズ・ザ・ウェイ / 特撮)


家族でカラオケに行く際、私がオーケンの曲を歌うと「またー?」と渋い顔をする母ですが、
この曲を歌った時は「これはいいじゃない」といいました。
うん。バラードなら許容範囲なんだな。。。
多分、「かな、頭を良くしてあげよう」も許容範囲なのであろう。
この曲も気づけばだいぶ昔の曲になってしまいましたが、折にふれて耳にするとぎゅっと心のアレを掴まれます。
あるあるっていうような恋愛の事を歌ったバラードや失恋の事を歌ったバラードなんかよりずっと染みるのになあ、
と思うのですが、こういうものの好みはメジャーな感性をあまり持っていない自覚はあるのでなんともかんとも。
ごきげんよう、たいこです。
いやあ、最後の記事2月だった!
10日もブログ更新しないでおりました。
この10日の間に色々なことがあって、自分を取り巻くSLの環境がちょこっと変わったのですがそれはさておき……
ブログ更新が滞ってたのは泣きながらものを作っていたせいです。
今月12日から、Luck of the Irishというガチャガチャのイベントが始まるのですが、私何を思ったかこの開始日を一週間間違えておりまして。3月の頭から、イベントグループにちらほらサンプル品が届くので「なんと気の早い」とか思っていたんですけれども、私がのんびりしすぎていただけだったという。。。
作るものはいくつか決めていて、のんびり製作していたんですけれども一週間のズレは大きいのでして。。。
作りかけていた1つは今回諦めて、別のものに差し替えました。
今年の頭くらいから自分でメッシュを作るようになって、製作過程が間違いなく1つ増えている。
あとでテクスチャを貼る事を考えると、UVマップは手が抜けず…モデリングよりなにより時間がかかるのがこのUVの割り当て作業だったりします。
私はメタセコイアを使っているのですが、なんかアップデートしたら今まで活躍していたツールが使えなくなってる……!
ちょっとした絶望感を味わっております。
早く新しいメタセコ用のプラグイン出来ないかなあ。。。


洗濯機を回す→洗濯終わる→洗濯物を洗濯機から取り出す→あ、お風呂のお湯張ろう→風呂場でキンドル…→そのまま入浴→風呂から上がってかごの中の洗濯物発見。
っていうことが最近多いです。今していた行動を忘れるなよ自分。。。
あとうっかりが本当に多い。自分で自分のことが不安になります。大丈夫だろうか。
昨日は箱庭SIMでちょっとした集まりがあったのですが、私おもいっきり日程を1日間違えていたよ。。。
土曜日に箱庭行っちゃったなんて内緒だ。
SLでは私がうっかりをやらかすたびに隣にいる人に迷惑をかけているのですが、
今のところ笑って許してくれています。ありがたい。そのうちとんでもない事やらかしそうで怖いので、
気をつけていようと思う。


日曜日はゴエモンロックを観てきました。ゲキシネという、お芝居を録画したものを編集して映画館で上映するというものです。
ゴエモンロック、生で観ているのですが会場はシアターオーブ。3階席まであるようなでっかい劇場で、俳優の表情や小道具なんかがまるで見えないところなのです。そんなでかいところでも充分楽しめる芝居を作っているのはスゴイ、のだけれどやっぱり俳優の顔は見たい……というわけで、このゲキシネは毎度毎度ありがたく鑑賞しに行っています。
昨日は試写会。
会社の同僚が当たったチケットを譲ってくれまして。おかげ様でいい時間を過ごすことが出来ました。
豊臣秀吉が天下を収める時代、大泥棒石川五右衛門が主人公の、ほぼ歌!!!!!というお芝居です。
見得を切るってすっげええええええかっこ良くて、とりあえずそこだけでも見る価値があると私は思う。
大立ち回りも後ろに流れるBGMも各所に挟まる音楽も歌も、ザ・エンターテイメントでございます。
すごく贅沢な気分になれるひととき。
ナマのお芝居は非常に高額ですが、ゲキシネなら2000円ちょっと。
ちょっと興味のある人は行ってみるといいと思います。29日からロードショーだよ!
ものすごい宣伝みたいになってしまいましたが、、、テレビで見る「ちょっと面白いおっさん」の古田新太が本気でカッコ良いのが新感線の舞台です。ぜひ観て欲しい……!


色々と変わったことがある件。
急展開ではないけれど、おそらく自分も周りも想定していたよりも早い感じで変わっていった気がします。
様々な意味で様々な人から愛されている事を噛み締めた出来事でもありました。
愛っていうものは、関係性によって出方や形はかわるけれど、本質としては同じものだと私は思っています。
恋人に向けられるようなもの、友達に向けられるようなもの、親に向けられるもの、子に向けられるもの。
愛することによってどういう欲求が自分の中に生まれるのかっていうことが関係性の違い…のような気がする。
根っこは一緒。相手の存在を肯定すること。
そんなわけで、自分で決めたことを近しい人達に肯定されて、今の自分とその環境がある。
ただただ感謝です。
当然私も皆を愛してる。愛はいっぱいあった方がいい絶対。
愛すれば愛するだけ愛は増えていくし、注げば注いだだけ自分に返ってくるものです。
その、愛にくっついてくるおまけの部分でたいてい色々と苦しんだり悩んだりする。
切っても切り離せないものでもあります。にんげんだもの。
恋愛するということは、相手のテリトリーの中に「おじゃましますよ……」と入り込んでいくことと思います。
結構抜き差しならないところまで入り込む関係だと思っています。
だから育てていくには時間がかかるし、相手の中身は自分とは別の宇宙なわけで、
驚きや発見の連続だったりもするのです。
今はただただ暗中模索の状態でいるのですけれども。。。
いい感じに育っていくといいなあと思いつつ、今は相手のペースに合わせてみようとしているところ。


寒い寒いといいつつ、寒さは3月の一週を終えて明らかに緩んできている。
私の気持ちも緩んできている。
春に浮かれたり酔ったりする人の気持ちが私にはとてもとてもよく分かる。
SLでは今年も待ちきれずに、一足、二足ほど早い桜でいっぱいです。
リアルの桜はあっという間に散ってしまうけれど、SLではその気になれば一年中桜吹雪の中にいることができる。
ある意味危険な場所ではあります(笑)
早くこないかなぁぁぁぁぁ 春。

砂上の 楼閣を大事に壊さぬよう 見破ろう 僕らは巻きこまれぬ力を はコメントを受け付けていません
カテゴリー: 日記