サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
Menu

どこかで半分失くしたら 役には立たないものがある 2013-08-13

肩にアゴをのせて耳元でささやくわ 「私はずっと変わらない」
背中にまわす指の力とはうらはらな あなたの表情が見たい
もうすぐかわいいあの女と 引越しするとき気づくでしょう
Broken heart 最後のジェラシー そっとベッドの下に片方捨てた
Ah・・・・真珠のピアス
(真珠のピアス / 松任谷由実)

ユーミンの怖い方の歌。
女だなあ……って思いますが、私にはこういうことをする勇気とかがないです。
別れ際が綺麗だっていうのはなんだか素敵で立派なことのように一瞬感じますが、絶対そんなことはない。はず。
心に渦巻く暗くて醜くて悲しい感情を押し殺して、綺麗におしまいにするってなんだか逃げてるように感じるわけで。
お互いに心が離れちゃってるならよいのだけれど、そういうこともあまりないわけでして。
恋って一番理性の効かないところで起きる事柄です。
頭でわかってたって気持ちはどうしても納得できないのよう、相手の気持が離れてるのなんて分かってるのよう、
だけど自分はどーーーーーーーしても手放したくないのよう。みたいなのが苦しくてしんどい。
よく考えると本当に野蛮な感情だと思うのですが、恋。
だって失恋とか片思いの人の苦しさの感情って、「おもちゃがほしいよ買ってようわあああああん」って、
スーパーのおもちゃ売り場やガチャガチャコーナーで盛大に駄々をこねている幼児と同じレベルなのです。
理性も分別もある大人にあんな盛大な駄々をこねさせる心の動きってそりゃあものすごいエネルギー。
だから、深く愛しちゃったら愛しちゃっただけ、別れ際って醜くなるものだと思うのです。
そりゃあもう、純粋に愛だけ!って状態ならそんなこともないのでしょうけれど。
人間の愛には必ず欲がついて回るのです。愛情が深ければ深いだけ、欲のほうも深くなるのです。
当然なのです。
だからヘトヘトになってボロボロになるまでお互いに傷つけあって泥仕合、みたいなのはすごくいい。
多分。出来ればしたくないけど。でもそこまで感情を高ぶらせて、理性も何もふっ飛ばすってのは
きっと1回くらいは経験したほうがいいかもしれない、と思う。
私はヘタレなので、そこまでの気持ちを他人にぶつけることができません。
ああ、なんだかなあ。ずるいなあ。と、その都度思う。
そしてぶつけられなかった分、完治が長引く。
この曲のような「女だなあ」という部分は自分がどうしても持てないところであって、
それは自分の女としての自信のなさ(最近こういうのを「女子をこじらせる」っていうんですか?)
が原因なのはよーくわかっている。
だからちょっと羨ましいなと思うのでした。
私は多分、こじらせ女子だ。
原因もわかってるけれども原因が根源にありすぎて治るのか治らないのかよくわからない。
でもまあ、それも個性。
ごきげんよう、たいこです。
長い長い夏休みもすでに3日が終わってしまって愕然としています。
やらねばならぬあれやこれをやらねば!
ところで夏休み直前の金曜日、朝から次男が超高熱を出しました。
朝っぱらから38.6度。くったりしてるしお盆休みは目の前だしで、大慌てで病院へ。
本人に「一人で行けそうか?」と聞けば「むりだ」という。
そうだよな。外あっついのにそれ以上にあっついものな。
休み前なのにごめんなさいーと会社に電話して病院付き添い。
病院では「病名つきませんねえ。夏風邪です」とか言われて、うがい薬と解熱鎮痛剤をもらう。
いやあのお盆なんですけど?これでひどくなったらお盆中病院やってないんですけど?どうすんの?
という心の叫びを抑え、とりあえず帰宅。
しかしもらった解熱剤まったく効かず、熱は上がり続けて夜には40度に。
ものすっごく冷や冷やしながら明け方くらいまで、浅い眠りの次男の様子を見つつSLしてたんですけれども、
彼、翌朝にはケロっと平熱になってしまいまして。
昨日のアレはなんなんだっていうくらい元気に。
元気になったのはよかったけれど、なんだったんでしょうね、熱。
確かに風邪が一番の原因だとは思うのだけれど、
先月卓球部から野球部に転部したのが一番の原因だろうなと推測しています。
練習のハードさは卓球と野球では比べ物にならないのです。だって卓球は体育館。野球は炎天下。
環境も仲間も変わって、2年のこの時期に転部ということで
先生たちからのプレッシャーもそれなりに強かったようで。
ちょうど一段落して慣れてきた頃合いだったので、知恵熱というかなんというか、そういう感じだったのでしょう。
ともあれ親が見ている以上に彼の中二ライフは充実しているようでなによりです。
しかしもうすぐ14歳の子供が40度ってかなり焦るものだなと思いました。
もう体はほぼ大人だもの!
ちょっと普段は見せない甘えモードが見れたのでよしとしましょう。


「君のことは絶対に傷つけない」みたいなありがちなセリフがあります。
大抵恋愛に絡んだ場面で聞かれるセリフです。
でもこれってすごく間違っている気がする。
恋愛って相手の心のなかに入り込んでしまうような距離感を作るような間柄だと思うのです。
それはなんというか、ATフィールドみたいなものの内側に入っちゃった、って状況。
ATフィールドってそのまんまだけどこれエヴァ知らないとなんのこっちゃ全然わからないですね。
普段誰でも「ここから先は超プライベートだから迂闊に踏み込んでくるなよ」的なホームの領域がある。
そのホームの領域に誰かを招き入れるような行為を恋愛というのだと私は思っています。
家の外で何かが起きても家の中にいる自分は安全ですが、家の中で何かが起きたら無傷では済まない。
だから、自分が望む望まないにかかわらず、絶対に相手を傷つけることになる。
だって何事も起きないわけがないのだから。
恋愛ってものすごく危ない行為だと私は思うのです。
相手のことは絶対に傷つけるし、場合によっては相手を壊してしまうことにもなる。
なので、「君のことは絶対に傷つけない」はすごく嘘くさいと思ってしまうのでした。
「君のことは絶対に傷つけたくないけれど、間違いなく容赦なく自分は君を傷つけるだろう」
っていう覚悟が恋愛には必要。きっと。多分。
誰だって悪い人にはなりたくない。けれど、理性も道徳も通用しないのが感情。
イイヒトではいられない事態がやってきた時に、それでもイイヒトを取り繕おうとすることは、
大切だと思った人に対してすごく不誠実だと思うのです。
取り繕ったってなんだって、実際に傷つけるわけだし傷つくわけで。
めっためたに傷つける相手がイイヒトの顔をしていたら、傷つく側のその気持はどこにも持っていけない。
恋愛ってのは、危険で面倒くさくて厄介なものだと思うのです。
大変なことがたくさんたくさんまとわりついているだけに、幸せな瞬間が輝くのじゃないかなー。
こんな事を思っているから、私の恋愛は重たくなってしまうのでしょうけれどもね。
けれど軽い恋愛なんてしても面白くないじゃん。と思っているのも事実なので、きっとこれでよいのでしょう。

どこかで半分失くしたら 役には立たないものがある はコメントを受け付けていません
カテゴリー: 日記

眠れないぼくの夜のまんなかで眠りながら泣いてる君 2013-08-09

窓あかりがうつす涙のあとは
誰もしらない淋しい出来事
月もそよぐこんな夜
どんな夢とでかけてるの
月もそよぐこんな夜
どんな夢とでかけてるの
どこにいるの

(眠れないぼくの夜のまんなかで / たま)

あっという間に8月です。色々と思うところあって、長くとれたお休み中に部屋を掃除したい気持ちでいっぱいなのですが、私が片付けるスピードの倍くらいのはやさで家が汚れていく。泣きたい。
そういう風に育てちゃったのは私のせいなので、結局自分の行いが自分に返ってきているだけなのですが、それにしても夏休み中の子どもたちのでくのぼうっぷりったら!
働け!働け!
ごきげんよう、たいこです。
新月です。
New Moon。なんでニューなんだろうって思ってたんだけれど、こっから始まる1ターンってことなのですね。
始まりの月。
これからどんどん月は太っていって、満月になってまた痩せてって新月になる。
雰囲気的にまるで月が見えないから、満月が始まりって感覚でいたんですが、大きく間違っていたよ。
というわけで、はじまりの空気が満ち満ちているわけです。わーいはじまりはじまり!
まるで意識していなかったんですけれども、なんかこのタイミングでちょっと区切りをつけたことがありまして。
願わくば、平穏な日々を。
平穏で退屈な日々。それはきっと幸せなコトなのだろうと思います。
波瀾万丈って、確かに沢山のドラマが詰まっているしそこから得たものもとっても多いし、
何も波がないなんてこと、生きていたら絶対にあるわけがないのであって。
動きがなければ淀んで濁って腐っていってしまうし、それはそれで幸せとは程遠い気がする。
嵐があるから凪をありがたく思えるものだ、と考えます。
みうらじゅんのエッセイを読んでいまして。
もともとエッセイってあまり読まなくて、この本もエッセイじゃないと思って買ってしまったのですが。
すごく暇な時にちょこっとずつ読み進める塩梅で読んでおります。
幸せとはなんぞや?だとか、空ってなんぞや?だとか、そういうような事がつらつらと書かれています。
空ってのは色即是空の空。私達が生きているこの世界のものなんて本当は何もないんだ。空っぽなんだ。
だから執着なんて捨てなさい。だって何もないんだから、という感じでしょうか。
私はそれはすごく正しいと思うのだけれど、生きている私たちは執着してなんぼだと思うのです。
今ある生命、自分が生きていると思っている実感。
それは本当に、確かに生きているかどうかなんて誰にもわからない。
確かにここに在るということを証明することは出来ない。
けれど私たちは自分が生きていてここに在るということを無条件に絶対的に信じている。
その絶対的に信じている「在る」ということを必死で守ろうとする、生きることに対する執着は素晴らしい。
それが一番当たり前の形だから。
次の世代に命をつなげようとすることも、それが一番自然の形だから素晴らしい。
誰かが死ねばかなしい。大切なモノがなくなることはほんとうに悲しい。
そういうところで心から悲しんだり悔しい思いをしたり、
逆に大切な人や物に出会ってもうどうしよう!!!っていうくらい嬉しかったりすることは悪いことじゃない。
で、これはすべて執着のなせるわざ。自分のものは自分のもので留めておきたいという欲。
色即是空って言うことをわかったうえで、思いっきり欲張りになれたらいいなーと思うのでした。


で、平穏って素晴らしいとか言いつつ私の周囲では不穏な空気が漂いまくっております。
主に職場の話なのですが。
人は群れを作って生きる生き物で、これだけ思考回路やら何やらが複雑になってしまった巨大な群れの中でうまく生き残るためには、想像力って不可欠だと思う。
感情って何よりも強い衝動です。どんな理屈も屁理屈も「嫌いだ」「好きだ」みたいな感情の前ではなんの力も持たない。
けれど複雑な群れの中で生きる私たちは、「これは契約です」と理性で割り切って感情を踏み込ませないようにすることが必要不可欠であります。
働く人の権利として持っている有給休暇。
お給料を減らさずにお休みできるよ、というご褒美のようなものです。
いくら勤務態度が悪くても、それと有給休暇はまるで関係のない事なのです。
勤務態度が悪いから有給なんてあげたくない、というのはただの感情で、
タダの感情でこういう問題は片付けてはいけないものだ。
理性で動かねばならない。
他人のせいにするのは簡単。
けれどそれでは苦労しただけ損になってしまう気もする。
願わくばあの人もそれに気づいてくれるといいな。
今日はいつも以上に文章がとっちらかっていますし、
書こうと思ったことと全然違うことを書いてしまったのだけれど。
コレ以上言葉をつなげてもろくでもない感じになりそうなのでこのへんで。

眠れないぼくの夜のまんなかで眠りながら泣いてる君 はコメントを受け付けていません
カテゴリー: 日記

なんで此処に これを持って 此処に立って 明日もわからず 2013-08-02

産まれた時から運命は決められる
あなたの口癖を今思い出す
あなたを穀すつもりも無かった
追われる事など知らなかった
あなたが正しければそれでいいけど
私は運命など信じない
今も走ってるずっと走ってる
追われなくても走っているのさ
憎しみも愛も姿を変えて
何度も私を通り過ぎて
あんたに犯されるのか
運命に遊ばれるのか
本当にあなたを傷つけるつもりはなかった 答えて
(January / bloodthirsty butchers)

この曲を聞くたびに、表現ってことについて考えてしまう。
奇跡的に感動するものができるときに必要なこと。
この曲は本当に奇跡のような曲だなあと思うのです。
どん底にいるときにこそ、すごいもんが生まれるって言ったのは、昔働いていたエンタメ系の編集部の偉い人です。
これはその通りだと私も思う。
ごきげんよう、たいこです。
1日は娘の11歳の誕生日でございました。
いつもは無理やりいちごのケーキを買うのですが、8月は本来全然いちごの旬じゃないのです。
旬じゃないものを無理やり食べてもね。。。と思って、今年はマンゴーのケーキを。
めちゃくちゃ美味しかったよ!
楽天市場で買えるので、興味のある方はぜひ。
冷蔵で届けてくれます。
https://item.rakuten.co.jp/genial/mmc-15/
私は楽天のこのお店と、ましゅれっていう北海道のお店をよく使うのですが、どちらも美味しい。
配送料もかかっちゃうからお値段はなかなかよい値段になってしまうんですけれどね。
近所に美味しいケーキ屋さんがないので、通販使っております。
今回は大当たりで嬉しい限り。
ちなみに娘のプレゼントはまだ届きません。
今年の彼女のリクエストは可愛いサンダル。
予算よりだいぶ安く抑えられたので、今日帰りにサンダルをもう一つ買ってきてあげました。
転ばないように履いて欲しい。
なんでも好きなご飯つくるよー。何がいい?って聞いたら、「サイコロステーキ!」と娘。
お肉をサイコロ型に切ったものでなく、成形のお手頃価格のアレです。
え、もっと違うもんでもいいよ。って言えば、私はあれが好きだからあれでいい。と。
なんという安上がりな娘。
大喜びでサイコロステーキを食しておりました。
まあ本人が喜ぶのが一番なのです。
今月は15日に長男のお誕生日もあります。
彼は15歳になります。
彼を産んだ時に、この小さいのが大人になるなんて全然信じられなかったけれど、
なんか15歳ってだいたい大人なのです。びっくりする。
思ったよりあっという間に子供子供した時代は終わってしまうんだなあ。と、ここに来て思う。
それだけ自分もいい歳になってるんですが。


普段あまり芸能ニュースとか見ないんですが。
土屋アンナの降板がどうとかこうとかっていうニュースは、
題材が題材だっただけにちょっと真面目に読んでしまいました。
原作レイプっていう言葉があるけれど、まさにそんな感じのお話ですねえ。
昔ならいざしらず、今の原作ものってできるだけ原作に忠実に!が主流のような気がするのですが
見事にその流れに逆らい、しかも原作者にギリギリまで台本を見せないという。
ものすごい時代錯誤なお話だなあと思いました。
厳密に言うと「原作」ではなく「原案」なのですが。
ノンフィクションの本を題材にして、まだ生きている著者(主役)最後に殺してしまうとか、
ものすごいオリジナリティっぷりで、そりゃ台本見せられないわな、作者に。
本番が始まってしまえば、そこでバレたとしても始まったもんは止められねえぜ!みたいな感じなのでしょうか。
それはなんだか、0から何かを生み出した人に対してすごく無礼な話のような気がします。
0から何かを生み出す人と、完成されているものを別の形で膨らませる人と、
それはどちらもそういう才能なのですが、0からものを生み出す事が苦手な私は、
ネタが作れる人を本当に尊敬するしちょっとうらやましい。
0からものを書いている時は、書いていてそれが面白いのかどうなのか不安がつきまとうのです。
書いている自分は作品との距離がものすごく近いですから、うまくその作品との距離が取れないのです。
原作がある場合にはそれをどんどん膨らましていく作業になるので、そういう不安は少し和らぎます。
ただの責任転嫁かもしれません。自分ではわかりません。
しかし、私が脚本を書いていた頃、私の脚本には必ず原案がありました。
それは、一緒にお芝居を作っている仲間や演出家が「こういうのがいいね」って生み出した種。
お話は、種が優れていなければ面白いものはつくれない。
でも、その種だって光を当てる方向を間違えたら全然膨らまないどころか毒を持って別の種になる…ので
こういう才能もひとつの重要なものだと思うのです。
「これを芝居(映画)にしてやるよ。」
と言われて、手放しで喜ぶ作者のほうが実は少ないと私は思う。
そんなわけで、なかなか厄介そうな話ではありますが。
良い感じに収まるといいなあと思ったのでした。


そんな芸能のことに思いを馳せている余裕は実はないのですけれどね。
まあ、こういう日がたまにあってもいいだろう。ということで。

なんで此処に これを持って 此処に立って 明日もわからず はコメントを受け付けていません
カテゴリー: 日記