サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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つぎの夜から欠ける満月より 14番目の月がいちばん好き 2013-03-18

あなたの気持が読みきれないもどかしさ
だから ときめくの
愛の告白をしたら最後 そのとたん
終りが 見える
um… IWANUGA HANA
その先は言わないで
(14番目の月/荒井由実)

これを初めて聞いたのは本当に子供の頃でした。中学生くらいかな。
14番目の月のよさはその当時にはピンと来なかったのです、、、が、
20年くらい経った今、やっぱり私はずっと15番目がいいなあと思うのです。
のぼりつめてしまったらあとは落ちるだけなのがわかっていても。
そこから落ち着く道筋はいくつかあると思う。そしてその先が不幸では絶対にないと思ってる。
週末は金曜日の夜が一番楽しい、くらいの気持ちはあるのですけれどね。
ごきげんよう、たいこです。
あっという間に1週間が終わるなあ、と無為に週末を貪っているとあっという間に1ヶ月なんて過ぎていくのです。
3月が終わると1年の1/4が終わるのです。そして新年度がやってくる。
時間ってのは大切に使わねばなりません。だがしかし時間の無駄遣いってなんでこんなに楽しいんでしょう。
この週末は2冊半ほどの本を読みました。
今読んでいるのは伊坂幸太郎の「バイバイ・ブラックバード」。
私なんでこの小説読んだことあるんだろう。。。新刊で買ったのに。
あとは道尾秀介の「月の恋人」と、海堂尊の「マドンナ・ヴェルデ」。
Kindleを買ったというのに文庫化を待ち続けていた小説は結局我慢できずに文庫を買ってしまう。
これじゃーKindleの意味がないじゃなーい!とは思うものの止められないのでございまして。。
しかしどちらも大変面白く読みました。
特に月の恋人はあれだね。。ほんわかラブストーリーでほのぼのとしてしまいました。
恋愛小説ってあまり読まないんだけれど、面白い恋愛小説ならとっても面白く読めるんだよなあ。
と当たり前のことを思ったり。
しかし久しぶりにまとめて本を読んだ週末になりました。
満腹である。
土曜日、本を読むために入ったタリーズで、長男の担任の先生と鉢合わせ。
びっくりいたしました。
うっかり隣の席に座ってから気づいちゃったのですが、そこはかとなく挨拶をしてそのまま読書モード。
だって本読みに行ったんだもの!
来週は借りっぱなしのDVDをやっつけようと思います。
しかし歯医者もある。天気がよかったらそのまま散歩に出てしまいそうな気配ですが、まあその時はその時。


桜がちらほらと咲きはじめたようです。
やあっと春が来るー!春が来るー!
家の前の川辺では梅が綺麗に咲いています。
春の花の可愛らしさ。よくわかってらっしゃる。
あったかさに心がパァっとなるのを後押しする力をあの花の色形は持ってると思う。
表向きは特に何もない3月なのですが、個人的には色々と思うところ、感じるところのある今月。
まだ半ばですが、色々と変化が訪れております。
ちょこっと自己嫌悪に陥ったり心が傷んだり、心痛ませるだけの資格は私にはないだろうと思ったり、
きちんと伝えたいと思ったりそれをするのはこちら側の傲慢だろうと思ったり。
なにぶん、中にどうしようもない乙女を飼っているもので、
人様に見せない心のなかはいつでもグズグズでございます。
本当にスマートじゃないなあ。と思いつつ結局どうしようもなかった感じは反省することしきり。
ただし、もうやってしまったことは仕方がない。
どうしてもこういう部分でスマートになれないのは一朝一夕で直せそうもない。
というわけで反省はして、今自分の手の内にあるものについて全力で考えたり心悩ませたりしようと切り替えたり。
反省することは大切だ。
してしまったことを悔やんで自分を責め続けることは、自分を甘やかしているだけで何も産まない気がする。
切り替えるためにドバっと吐いた私の弱音をがっつり受け止めて
綺麗サッパリ流してくれたお友達にはとっても感謝。
おかげできちんと切り替えることができました。
友達の本当に少ない私ですが、こういうふうに頼れて期待もできる友だちがいるってことは幸せだ。
こういうスタンスでいるから友達が増えないのだし、どこかでそれでいいと思っている自分もいる。
少数精鋭の少ない友達を私は心の底から誇りに思う。
で。
前出の少数精鋭から「春来ちゃったこれ?」とおもいっきりはやし立てられている日々でございます。
そんなわけで、春が来ました。
ものすごい急展開で、急展開なのは私の色恋にはつきもので。
たいていスタートラインで私が息切れしてしまったりするのだけれども
なんだか息切れ感がないのは、そのようにしてくれているからなんだろうなあ。
好かれた時にどうしても思ってしまいがちな「こんな私をなんで」というのは、
本当に相手に失礼なので無理矢理にでも封印する気持ち。
けれどそんなことを思う間もなく、きちんと私に納得させてくれるのは優しさだと思う。
大切にしたりされたりしながら、ゆっくりのんびりやってけたらいいなーと思っているところです。
ゆっくりのんびり。これが大事。これを思っていないとすぐに暴走しかねない!
いい歳してどうなんだそれは、自分。もう少し落ち着いた感じにならないものでしょうかね。
中に住み着いている乙女がいる限りそこはどうしようもない気がします。
もうなんでも乙女のせい。


本当のピンチ!っていう時にこそ、その人となりが浮き彫りになる。
ギリギリのところにいるのに、相手のことを思いやれる人を本当に尊敬する。
すごーーーくしんどい時に、ネガティブな側に転げ落ちることをせずに、
事実は事実で受け止めてなお、肩の力を抜いて前向きに考えられる人は本当にすごい。
私にできる事は本当に些細なことだけれど、それでも何かの力になれるなら、人の手が必要なときは
いつでも遠慮なく声をかけてほしいってこんなに心の底から思ったのは初めてだ。
こればっかりはうまく言葉に出来ない。
けれど、きっと私はずっと彼女のその感じに憧れ続けると思う。
本当に綺麗だなあって思ったのでした。

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カテゴリー: 日記

人間以外の俺になれ いっそぬいぐるみになれ 2013-03-15

目覚めると雨は上がって
降り注ぐ太陽の陽射し
なんて青い空なんだろう
誰も皆 幸福に見える
ああ僕は決めた 人間をやめよう
(人間以外の俺になれ/特撮)

初めて聞いた特撮のアルバムが、この曲の収録されているアジテーターでした。
懐かしいなあ。もう10年近く前の話です。
朝、ご飯を食べていたらガリっという音が。。。聞き覚えのあるこの音は間違いなく差し歯が何かの異常事態。
思えば半年前、この感じを放置していて差し歯がぶっ壊れるというとんでもない感じになったのでした。
でもさ、作ってから4ヶ月だぜ。まさか4ヶ月でぶっ壊れるなんて思わなかったわけで。
前回は全部作り直しになってしまって大変な思いをしたので、今回は速やかに病院へ。
レントゲンを撮ってもらって、土台がちょこっと欠けてるねー。という話を聞いてきました。
今日は主治医がいなかったので、土曜日にリベンジでございます。。
土曜日まで出来るだけ前歯を使うな。という、すごく難しいアドバイスももらいました。
くっそう。。。なかなか安定しないぜ。歯。
ごきげんよう、たいこです。
お仕事方面、なんだか先月から毎日毎日忙しいのだけれど今日は久しぶりに定時で終了!
午前休だったのに終了!
5時半ダッシュしたら、5時半ってもうすでに夕焼けですらないのだね。
春がくるよ。寒かったけどもう春すぐそこまで来てるよ。
やはり明るいうちに帰宅できるのはとても嬉しいことでして。
嬉しいついでにちゃっちゃとご飯を作ってきんどる片手にゆーっくりとお風呂に浸かったのでした。
お風呂はやっぱりよいものだ。
何もない日常を送っていると変化がほしいなあと思ったりするものです。
で、何かがある時ってあっちもこっちもわーわーってなる。
いい塩梅にちょこっとずつ来てくれればいいのにって思うのだけれど、どうもそうならないのがにくい。
しかし、ひょんなところで占いが当たってるのには自分でもびっくり。
うん。。。でも当分望んだ感じの落ち着き方はしそうにないんだけど。。。
それでもお誕生日は、なんだかんだで楽しく過ごせそうな気がしているのです。
今、無意識ながらも結構必死で保っているラインってのがありまして。
そこの部分を緩めると、まるで春のポカポカ陽気な気分が舞い降りるのだけれど、
それをしてしまうと他の部分も全部緩んじゃってダメな人になってしまう気がする。
もともとが快楽へと流れやすいダメな人間でして、自分でも嫌ってほどその自覚があるので
緩めてしまうのが怖い気もする。
でも、凝り固まったものがほどけるようなそんな幸福感の前で我慢していられるのか?自分。
こころが疲れてるなあ、っていうのを実感することが本当になくなりました。
で、実感してみてから、こころの感覚は自分の意思によるものも大きいみたいだとも思いまして。
疲れていてもうまくその都度癒すような行動をとれる、ような気がする。
今の状況のせいかもしれないのであまり信用はできないけれど。
春と一緒にこれがほどけるのか否か。
色々と考えねばならないことは多そうなのだけれど、
しばらくこのままゆるゆるしていようかなあって思う。

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カテゴリー: 日記

神様を信じる強さを僕に 2013-03-13

生きることを諦めてしまわぬように
賑やかな場所でかかり続ける音楽に
僕はずっと耳を傾けている
(天使たちのシーン/小沢健二)

さて、書かねば書かねばと思っている間に3月10日も11日もすぎてしまいました。
私の中では10日というより9日っていう意識のが強いのですけれども。
東京の下町で育った子どもたちは、きっと広島や長崎よりも身近にそして色々と叩きこまれているんじゃないかなあと思います。私もそんな東京の下町で育った子供でありました。
東京大空襲。
3月になれば近所のおじいさんやおばあさんがやってきて体験談を語ったり、
そういうおじいさんやおばあさんに話を聞いて、子どもたちでOHPを使って発表をしたり。
私は戦争が苦手です。
今日元気に挨拶した人が、昨日楽しく遊んだ友だちが、一瞬で死んでしまうような、
当然自分だっていつ死ぬかわからないような、安全地帯がどこにもないあの感覚がとても苦手です。
なので戦争ゲームも戦争映画もあまり得意ではありません。
守られる側にいた子供時代から、自分が守る側になった今の自分にとっても、
そういう状況は本当に、心の底から、来ないでほしいなあと思っています。
一瞬で死んでしまうならまだいい、と思う。
自分でもなんだかよくわからないままに死んでしまう…のは当然嫌だけれど、
それでも死ぬまで何日も苦しみ続けてじわじわと死んでいくのは本当に怖い。
指の先をちょっとやけどしただけだってすごく痛いのに。
焼け死ぬなんて想像したくもない苦しさだと思うのです。
そして、そんな風に死んだ人で溢れかえった当時の東京、下町。
そんな風にたくさんの人が自分の暮らしている場所で亡くなったのだっていうことは、
出来れば忘れずにいたほうがいいと思ったりするのです。
2年前の11日。やはり東京で育った子どもたちは、嫌っていうほど地震の恐ろしさを叩きこまれて成長します。
東京大空襲よりもっと前の、東京大震災。
この時もやっぱり東京は火の海になったのですよね。
そしてやっぱりひどく被災したのは東京の下町だったりするのです。
下町の子供は、大空襲と大震災の話を繰り返し繰り返し聞かされて育ちました。
2年前のあの震災の時にとっさに脳裏をよぎったのは、やっぱりそういう恐ろしい話の数々だったりします。
復興復興、この言葉をこの2年で何度聞いたんだろうと思う。
東京の異常事態なムードは、あの年の夏を境にして徐々に薄れていったように思う。
明らかに何かが変わったのは間違いがないのだけれど、もうあの地震の前には絶対に戻れないのだけれど、
それでも私たちは日々を変わらず過ごしている。
当然東北の各地ではまだまだ今までどおりの暮らしが出来ない人がたくさんいて、
先の見えない不安や恐怖はまだまだ消えないのだと思います。
あまりに大きな事ゆえ、うまく想像もできない。
決定的に違ってしまった今の暮らしの中で、それでも2年前以前の生活が唐突に目の前に現れたらきっとそれだって違和感満載なんだろうと思うのです。今いる現状も腰のすわりが悪く、過去にも違和感がつきまとう。
こういう感じが、本当に根本から変わってゆくということなのだと思います。
まだまだ大きく変わりそうな世の中ではありますが、その大きな変化に飲み込まれてしまわぬよう、できるだけ自分の足で踏ん張って立っていけるように私はきっと必死になっている。
ごきげんよう、たいこです。
日曜日に映画を観て来ました。情報公開してからずーっと楽しみに待っていた「ジャンゴ」。
私はタランティーノが大好きなのです。
全開はナチスをボッコボコにするアメリカの兵隊さんのお話でしたが、今回は南北戦争の頃に起きた黒人奴隷の復讐話。
いやあ、素晴らしかった。
イングロリアス・バスターズでランダ役をやったあの素敵なおじさまが、今回は奴隷を仲間にして飄々と生きる賞金稼ぎの役を。
前作との役柄の差がありすぎて、冒頭3分くらい戸惑いました、が、やっぱりあの人すごい。
あの人が長台詞をしゃべるシーンでついうっとりしてしまったり。
相変わらず様々な映画のオマージュいっぱいの映画なようですが、特技が映画や小説の内容を忘れる、とかなのでよくわからないまま。しかしそんなものがなくてもあの映画は面白い。
若干グロな場面もありますが、全体としては非常に楽しめるものとなっております。
まだ行ってないけど興味津々!という方はぜひ映画館に行ってみてくださいね。


SL方面。
3月の予定は1日からがガチャ祭り、15日からと19日からそれぞれハント開始というなかなかに賑やかな月ですが、
そのどれもがなんとなく準備完了。
きぐるみにダンスさせたら可愛すぎて、それが嵩じてショウダンスすることになったりしています。
楽しいことするのはよい。本当に楽しい。
昔は皆でわいわいするのが好きだったのだけれど、気づけばそういうのから敢えて遠ざかろうとしてる自分がいる。
SLでも2,3人で静かにじっくり話している方が好きみたいです。
相手が好きで欲しくてたまらないのか、その人じゃないとだめなのか、
そうじゃなくて、だれでもよくてたまたま目の前にいたのが私なのか。
球体の蛇の感想文にも書いたけれど、そんな気持ちの本当のところなんて誰にもわからない。
私は球体の外側から見えるその人とその人の核たる部分を想像力と経験値で推測して判断するしかない。
信じることは大切だし尊い事だけれど、やっぱり、自分の信じるあの人像みたいなものは、
自分なりのあの人像ではないのだよなあ。と当たり前だけれど当たり前すぎて気づかないことに気づく。
さて、来週になれば誕生日が来ます。
肉体は時間に逆らえず、日に日に老朽化していっておりますが、
それでも誕生日ってのは特別な日でございます。
去年1年の反省と今後1年に向ける思いと。
できるだけ穏やかに笑って暮らしていきたいなと思う所存。

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