ところがこいつが胆でね
人のしてる事は変わんない
憎しみ裏切りだまし合い 恋とか そんなとこだよ
(タイムトランスポーター2「最終回ジャンヌダルク護送司令・・放棄」/特撮)
なんてふざけたタイトルなのでしょう。実はここに引用するために初めて曲名をちゃんと読みました。
私のなかではジャンヌダルクの歌。
ジャンヌダルクが現代に来ちゃってタイムパラドックスで世界が消えるみたいなとんでもない曲でございます。
うん。すごくオーケンぽい。
家に帰ってくると肩こり。ここ2日くらいそんな感じです。
仕事中に凝るもんだろうと思うのだけれど。私の肩は一体どうなってしまっているのか。
しかし長いこと休むと1週間がすごく長い!
まだ水曜日だなんて信じたくない信じたくない。
今週の土曜日のおでかけと3連休を心の糧に、あと2日間頑張って出社しようと思う。
仕事が嫌いな訳じゃないんです。出社が嫌いなんです。
ある程度頼りにされている今の職場は、私にとっては非常にありがたい場でもあります。
たくさんお休みしても文句言われないし、でも休んでいる間は皆さんてんやわやになっているらしく。
こういう話を聞かされると休みづらくなるんだよなあ。休むけど。
子供が3人いて、扶養している人が1人という現状では、どうしても仕事は休みがちになってしまう。
それは仕方がない。そういうところをきちんと理解してもらって、
働きやすい環境を作ってくれる上司にはいつも感謝しています。
人が話しているのを聞いているのが好きです。
同じだけ自分が話すことも好きです。
聞くのが上手な人は話すのも上手だなと最近思います。
自分もそうなりたいなあと思うのです。
周りにはたくさん聞き上手、話し上手の人がいて私のよいお手本になっている。
面白いことが言える人も尊敬。私にはどうしてもその部分の柔らかさがない。
ああ、手が届かないなあ。と接していて思うのです。
愛するということについては常々考えています。
私には愛する人がいます。
私はきちんと彼らを愛せているだろうかということを考え続けています。
こんがらがった愛の糸を解きほぐすにはどうしたらいいんだろう?とかも常日頃考えています。
これらは母がわが子に持つような類の愛です。対わが子ですし。
彼らはそこに存在しているだけで、私の大切な大切な重石になっている。
当然彼らにはそんな自覚はない。大方うまいこと愛のやり取りは出来ていると思う。子どもたちとは。
けれど、いわゆる恋愛に於ける愛のかたちと、親と子の間にうまれる愛のかたちは、
そう違わないものだとも思っています。
やりとり、と書いてみて思う。
愛しあうってどういう状態なんだと。
愛することは、与え続けることで、受け入れ続けること。
そして自分のそういった行為や気持ちは、
それを受け取るべき相手すら関係ないただただ自分ひとりだけのもの。
愛されないなら愛さない と思うのなら、それは愛していないのです。
ただただ、欲しいだけなのです。
相手が自分を受け入れてくれなくたって、愛することはできるのです。
だってそれが、愛だから。
恋は欲の塊で出来ている。
欲しい欲しいと思うのは恋。
恋愛は、どちらかがなくなったら成り立たない。
けれど、恋と愛は相反するものだったりするから、苦しくなったり考え込んだりするんだろうな。
私は混沌でできている。綺麗も汚いも全部がごっちゃになっている。
愛も恋もごっちゃごちゃでぐっちゃぐちゃ。整理なんて全然されてない。
放り込まれたままの形で、どちらも私のなかにいる。
ほんとうの気持ちなんて、きっと誰にもわからない。
私はせっせと自分のとった行動を思い返してはその意味をさぐり、解釈をする。
自分自身が思う自分のことだって、自分自らが解釈した自分自身の像でしかなく。
それは他の誰かが観た自分自身とは、絶対に違うものなのである。
自分の思い描く自分と、誰かの思い描いた自分の間に誤差の少ない場合、
おそらくその誰かと私は似ているんだろうと私は解釈する。
何年か前までの私は寂しくて仕方がなかったりすることが度々あったのに、
今、自分は寂しくないんだなって事に気づきました。
昔、父が私に語った
「俺は寂しいっていう感覚がわからない。だから俺は寂しいんだと思う」
という言葉を思い出します。
父のこの言葉は本当に寂しいものでしたが、今私の感じている寂しくない感じとは全然違うなあと思うのです。
私のこのさみしくない感じは、なんだかとても良いことのように感じています。
なんだか知らないうちに、ひとつ壁を乗り越えた気分です。が、
そう感じている自分の感覚が正しいかどうかなんて誰にもわからないのです。
こういうことのいくつかは、自分の頭の中でぐにゃぐにゃしながら思いつくことだったり発見することだったり。
別のいくつかは、誰かに思うがまま話し続けて話し続けていくうちに気づくことだったり。
そういう、特にオチも何もない話をただただ聞いてくれるお友達に、心からありがとうと思っています。