カード一枚ひくように
決まるさだめが とてもこわい
宇宙の片隅で つぶやき合う永遠は
幻だと知っていても
朝陽の中で 微笑んで
形のない愛を つなぎとめて
(朝陽の中で微笑んで/荒井由実)
どうやら今日から長男が移動教室のようです。
中学2年は移動教室。3泊4日でひたすら山に登るという、体力勝負の移動教室。
この行事は私が中学生の頃にもありました。宿泊施設もあの頃と同じ場所だそうで。
(区の施設なのです。)
私は夏休みに合宿でも訪れた場所なので、非常に馴染みのある宿泊施設。
夜になると廊下を無数のカマドウマがビョーンビョーンって跳ねる……
っていうかあの頃カマドウマ怖くなかった。馴染みがなかったからなのか。
今はとてもじゃないけど無理です。数年に一度くらい家に出てきますが、無理です。
そんなこんなで彼が返ってくるのは木曜日。
それまではすこしだけ家の中が広くなります。寂しく…なるほどは長くないな。4日は。
ごきげんよう、たいこです。
いろんなことを無駄に考えこんでいるここ何日か。
腹立ちまぎれに「神様のばか!」って心のなかで念仏のように唱えては考えこむ。
考えても仕方がないのはわかっている。でも考えざるを得ない事ってあるじゃない?
私は生きることは怖いことだと思っています。
誰も未来のことは見えなくて、だから未来のことを知りたがるんだと思います。
でも、どんなことをしても未来は不確定。あやふや。
じゃあまさに今この瞬間が確かなのかというとそれも違う。
生きるということは、目隠しされてよくわからない場所を歩き続けることだと思う。
目隠しは前だけが見えない。前が見えず、先に何があるのかわからず、けれども否応なしに流されて行ってしまう。
私たちは日常的に本当にたくさんのことを選択して生きています。
その選択の結果、何が起きるのかわからないままに。
ひとつだけ観ることが出来るもの。それは過去。
私たちの歩いている道は先が見えないけれど、自分が歩いた跡は道になって残る。
その道を確かめることは出来るのです。
振り返る道のりが長くなればなるほど、今まで歩いてこれた奇跡を実感するのでしょう。
同時にこの先の道が怖くて仕方なくなるのだと思う。
あやふやでよくわからないものは怖い。
なぜ怖いのかというと、先が読めないから。
けれど私たちはそもそも、先の読めるような立場にいるんだろうか。
世の中には確かなものがたくさんあるように見えるけれど、本当のところはどうなんだろう。
確かなものなんてなにひとつとしてない。
それは、その人が「それは確かなものだ」と信じているに過ぎない。
物事をあやふやにしているのは時間なのだと思う。
けれど私たちは時間に逆らうことは出来ない。どうしても出来ない。
確かなものがなにひとつないという事は、安定しているものなんて何もないってことになる。
人の心だってその中のひとつだ。
人の心が安定することなんて、まずない。
ああ平和だ。ああ幸せだ。というのは一瞬の感覚にすぎない。
その一瞬の積み重ねがどのくらいの長さになるのか、それは人それぞれなのだけれど。
だから、その幸せが次の瞬間に消えてなくなる事だって当然あること。
私たちが心で感じる「幸せ」だとか「心地いい」だとか「快楽だ」とかいうものは、
心のもちようでしかなく周囲の状況とは関係がない。
誰も、今の自分の心のありさまなんてわからないんだと思う。
だからこそ、いつ道を踏み外すかがわからなくて怖い。
私は今までに人が道を踏み外す瞬間を何回か見てきている。
けれど、今まで自分が道を踏み外したのか、そうじゃないのかは実は未だにわからない。
道を踏み外した人も、自分が道を踏み外したことには気づいていなかった。
それを知っているから、なおさら怖い。
自分の選択に自信は持っている。それは当然。
だけれど、それが本当に正しいかどうかの根拠はどこにもない。
そういう不安。
しかしもう少し考えを進めれば、その選択には正解も不正解もないんじゃないかとも思う。
選択する前はきっと選択肢は無数にあるのだと思う。
けれど選択してしまえば、もうそれしかなくなるのだから。
確定した過去というのは、もう変えようがないから。
その選択をしたうえでの新たな選択肢が生まれるだけなのだろうと思う。
「正解か、不正解か」と不安になる原因は、幸福追求の望みから来るんだと思う。
幸せになりたいっていうのは、きっと誰もが心の中で望んでいること。
そうでなければ人って苦しまないと思うから。
自分が幸せになるために、今この選択をすることが正しいのかどうか。というところで人は怖くなるのじゃないかな。
けれどそれすら、今現在の自分にはわからないのだ。本当に、わからない。
悩ましいことに。切ないことに。
選択するってことは、無限にあった可能性をたったひとつに絞り込むということだから。
今まで私がやってきた、出来るだけ後悔しない方法。
それは、自分の理想像を常に頭の片隅に置いておくということ。
ここからは自分の経験のはなし。
大きな転機がきた時には「罠」と言わざるおえないような落とし穴がかならずある。
私はそれを悪魔だと思っている。もちろん、本当に悪魔がいるとかそういうことでなく。
悪魔っていうのは、非常に魅力的なもので。
とっても心惹かれるものだったりするのです。すごく怖い。
悪魔はいつだって天使の顔をしてそのへんに転がっているって事は常に心のなかに留め置いています。
でもそれが悪魔かどうか、やっぱり確信が持てなかったりしてね。
これ以上はうまく文章に出来ない気がするし、
今までの文章も何かがちがう気がして仕方がない。
まあなんだ、本当に考えすぎはよくないね。。。
そんなことを痛切に思ったりしたのでした。
とほほ。
あ。冒頭の曲は、荒井由実の名曲。
この頃のユーミンはすごく若かったはずなのに、なんてすごい詞を書くんだろうって今でも思う。
大好きな曲です。でも、おとなになってから好きになった曲です。