サボテンとバントライン
ホーイ、サボテン 緑の光 バントラインと僕を照らしてくれ
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お前の名そっと呼んでみるの きっと遠く同じ虹見てる 2012-06-05

夢を見るわけを教えて欲しい
もう涙は見せないから
ひとりでも私寂しくなんかない
お前の眩しい瞳忘れない
春の河 渡りゆく風のよう
お前は私の心駆け抜ける
(春風は河を渡る/上々颱風)

頭がキーンとしそうなたっかい音で歌う沖縄のひとたちです。
私がこのひとたちの曲を初めて聴いたのは、「阿国」というミュージカル。
お芝居もすごくよかったけれど、それ以上にかれらにやられてしまったのでした。
きっと私と同年代以上の人は、「愛よりも青い海」のイメージがあるんじゃないかなと思います。
私がこの曲を聴いていたのは19歳の頃。
「あなたの今までの人生での最悪の時はいつですか?」と問われたら、「19歳の頃です」って即答します。
そんな最悪な時代の私を支えてくれていた曲のひとつでもあります。
最悪な時代は人生の中でまたとないチャンスだとも思います。
人はちょーしんどい思いしながらいろんなことを学ぶから。
19歳の私も、しんどい思いをした分だけ、急成長いたしました。
とにかくいろんなことを考えに考えて、自分の事を必要以上に追い詰めず、
よく頑張ったと今の私が振り返っても思う。
おかしくなることもなく、きちんと学べたのはすごいことだー。
ごきげんよう、たいこです。
そんなえらかった19歳の頃から、17年くらい経った今の私。
さっきキャミソールを裏返しに着てることに気づきました。
まる一日裏返しで着てたみたいです。
ここんところこういう間違いしなくなってたのになあ。久しぶりにやらかしちゃって若干凹んだ夜。
自分でも信じられないミスをすると、人は落ち込むものです。
私は本当に洋服をちゃんと着るのが苦手でして、、、
裏表や前後が分かりづらい服が多いっていうのもあるんですけれど(言い訳)。
出社してふと服を見たらタグが前に来てて慌ててトイレで着替える、とかは日常茶飯事です。
何度も確認したはずなのに、いっつも裏返しに着てしまうコートっていうのもあります。
なんで間違えるんだろうなぁ。。。


今日は月食でございました。
見れなかったです。
でもいいんです。月食だったんだなぁ。ってしみじみすることが大事。
星占いのお勉強を始めてから、月や金星のことが気になって仕方ありません。
無理のない程度に、興味の赴くまま、占星術の本を読みあさるという自由すぎる勉強法で学んでいるわけですが、
この占いを作った人たちはすごいと思う。
日本人で、自分の星座を知らない人ってあんまりいないと思うんです。
「私は魚座」とか「私は獅子座」とか、みんな自分の星座を知っている。
占いを信じる信じないは別として、日常的に目にする占いの大半が12星座占いです。
占いというものを、信じていない人が大半なのだと思うのだけれど、
朝のニュース番組で占いをやっていればつい見てしまうのじゃないでしょうか。大半の人が。
占いランキングで1位になれば「やったー」って思うし、最下位だったりするとちょっとつまらない。
気休めって否定的な意味で使いがちな言葉だけれど、
気休めって案外侮れないと思うのです。
根拠のない「大丈夫」に救われることがあります。
だから、気休めって大事なんだと思う。
逆に、本当に悩んで困ってる人を前に言える言葉なんて限られていて。
本当に言えることなんて気休めにしかならない。
せめて気休めくらいは言える人になりたい。
大切な人が困ったり苦しんだりしている時に、素敵な気休めが言えるくらいの人になりたいな。


やることがないと作業がはかどるSL。
今日は浴衣を少し作りました。
来月のきもの市に出すものですが、私は好きだけどどうかなぁこれ。。。という感じになってしまった。
いいんだ自分が好きだから。
白無垢、黒無垢どちらもそこそこお買い上げいただいているようで有難い限りです。
今回珍しく、ポイポイっとアイデアが浮かんだので、浴衣づくりも楽になりそう。
いやまだ沢山やることあるんだけれども。
SLで多忙ってどうなの?と思いつつ、やることがあるのはいいことだーと思っていることにしましょう。
                                        

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カテゴリー: 日記

僕の事なんかひとつも知らないくせに 僕の事なんか 明日は忘れるくせに 2012-06-04

話したい事は 山程あるけど
なかなか言葉になっちゃくれないよ
話せたとしても 伝えられるのは
いつでも 本音の少し手前
(ベル/BUMP OF CHIKEN)

そもそも自分の本音がどこにあるかがわからないよ。
ごきげんよう、たいこです。
土曜日は小学校の運動会でした。
たまたまこの週末で東京に来ていた飛天君に運動会のあることを告げたら、
「え!運動会!?行きたい!」
というので、招待しました。
子供でもいなければ、小学校の運動会なんて来ないものなぁ。と納得したりして。
私の子供たちも残る小学生は1人、この子も4年生なので、あと2回運動会をしたら、
縁のないものになってしまう。
カメラに三脚という完璧な装備で現れた飛天君に写真を任せ、
私は8年目にして初めて、我が子の頑張る姿を生で観たのでした。
いつもはカメラ越しに見てるからね。
最近の、なんでもカメラに収める風潮をよく思っていない先生が沢山いるのはわかる。
実際保育園では、卒園式のカメラ撮影は禁止されていました。
今その時の子供を見てください、という配慮でした。
しかしながら、その写真を喜ぶのは親でも親戚でもなく、他でもない子ども自身という事実。
運動会で写真が撮れないとすねるんだ。やつら。
しかし、素人にとって動く奴らを素敵に撮影するのは至難の業なのであります。
ほんとに、生で見れてよかったーw
運動のあまり得意ではない娘ですが、踊るのは大好きのよう。
よさこいソーランでの決めポーズがハマりすぎてた。どうしよう可愛い。
飛天君が自宅に戻ったら、写真をまとめて送ってくれるって!
やったーやったー!
近くに住んでたら毎年でもお願いしたいでござるwwwwww
飛天君と一緒にイージスくんも来てくれました。
長男と一緒に遊んでくれました。2人ともありがとう!
娘もたいそう喜んでおりました。
で、来週は長男次男の中学校の運動会です。
毎週毎週お弁当です。
でも喜んで食べてくれるからいいや。
昨日は沢山作ったお弁当、綺麗になくなって作った側も大変に嬉しい。


運動会の後、入江雅人の一人芝居へ。
私が彼の一人芝居にハマったのは中学3年生の頃。
うちの子らはまだそれには少し年齢が足りないけれど、生だし!
何か感じるトコロがあるといいなぁという思いから、子供の分のチケットも取って臨んだ公演。
面白かったです。
ナンセンス要素強くて子供らにわかるかちょっと心配したけれど、それなりに楽しんでいたみたいでよかったw
劇団松田優作だとか、スーパーカーナビだとか、ほんっとにくだらないけれどそれこそが入江雅人。
昨日は清水宏が客席に来ていまして……カーテンコールで無理やり舞台に乗せられるという楽しい感じに。
そういえば昔っから、入江雅人の一人芝居は客席と舞台の境目が曖昧だったなぁ。なんて懐かしく思い出したのでした。
お客さんからのリクエストをやるコーナーみたいなのがあったもんなぁ。。
素敵なナンセンスって難しいことだと思うのですが、ブルースカイの作ったネタは素晴らしかった。
仕事に疲れたサラリーマンが、ユニコーンに自分の本当の夢を気付かされ、
その夢に向かって努力を重ねて人生を踏み外す、というお話なのです。
夢は看護師独身寮の管理人になることで、ナースが何より大好きなんですね、主人公。
ナースを観て興奮するとメンチカツ5枚食べてしまうっていう。
メンチカツがすごく面白かった。
興奮する=メンチカツ5枚で胃もたれ→興奮鎮静
興奮する=メンチカツ5枚→食べないで我慢→ナースで興奮を克服
興奮してメンチカツ5枚出てきてしまった時に、ユニコーンが代わりにメンチカツを食べてくれる
っていう仕組みもよくわからないwwww
メンチカツの食べ過ぎでユニコーン死んじゃうし。
そこまでして晴れて看護師独身寮の管理人になるのだけれど、
そもそもナースが好きでなりたかった職業なのであって、
ナース欲を克服してしまった彼にはその場所に対する意味がもうなくなってるっていう。
退屈に死にそうになっていた彼のもとに、飛び込んできたのがサーカスのスカウト。
どんなナースを観ても興奮しないという芸で、最終的にサーカスで生計を立てるようになるところでおしまい。
なかなかに切ない話なのだけれど、ナースに興奮でメンチカツ5枚なんだよね。中身は。
なんだかわけがわからないけれど面白いっていうのは作るのが難しい。
ブルースカイってすげえーーーって思ったのでした。
そういえば今までシモネタ要素ってほとんどなかったと思うんだけれど、
今回は結構シモ多かった気がする。
おっぱいさわりたーいとかそういう言葉を入江雅人の口から聞いて若干新鮮であった。
古田新太の作ったネタもかなり面白かったです。
過去形で言ったことはすべて現実になるってどんな能力なんだとおもいますがw
些細な事からどんどんおおごとになっていく様は、見ていて楽しい。


今日は目が覚めたら15時半でした。
びっくりした。
前日朝の5時過ぎまで起きてたのが悪いんだ。。。わかってる。。。
ついつい話が楽しくて夜更かししてしまうわけで。悪い癖なのはわかってるんだが、
これなかなか治らないなー。
おかげでこんな時間でも眠たくない。
何やってんだって話なんですけれどもね。しかし楽しいからよいのだ。
沢山話すのは楽しい。
沢山話すと自分のことも相手のことも少しずつ分かってくる。
それが少し怖かったり、でもやっぱり楽しかったり。
自分という人間を過大評価されてるなと感じるときの居心地の悪さは、
いつかメッキが剥がれた時に失望されるだろうって思うから。
それは弱さだよ。とわかっていてもやっぱり怖いものは怖い。
だから、楽しくて沢山話してしまったあと、いつだってちょっと不安になるのです。
知らないひととかかわるのが怖いのは、こういう理由がすごく大きかったりする。
自分の事をよく知ってくれている人たちの中にいる居心地の良さは、
これ以上も以下もない、ダメなとこもいいとこも知ってくれている人たちだから。
失望されることがないから。
でもそういう関係築くまでは、やっぱり怖い思いを沢山してきてるんだよね。
歳をとるごとにそういう怖さを乗り越えるのが大変になってきている。
だから、それが乗り越えられそうな感じは大変嬉しく、またすっごい怖かったりもするのです。
もっともっと!はやくはやく!って無邪気に貪欲になってもいい事がない。
そういうのを少しコントロールできるようにはなってきているけれど、
いかんせん平均値と比べると全然貪欲なんだろうなぁ。
無邪気さがなくなった分おとなになったんだきっと。うん。。

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カテゴリー: 日記

僕らの 身代わりマリーのお次は誰だ? 誰かが代わりに落ちていくよ 2012-06-02

龍コインロッカーベイビーズ 読み捨てたマリー
性犯罪ポッケいっぱい 17で6回
よーアバズレじゃないんだ 頭よくて
マリー本を読んでたんだ 太宰読むぜ
太宰はスーサイドその時愛する人だけ死んだ
マリーが死んだその時 誰が生き残るの?
僕らは身代わりマリーの歌を歌おう
マリーは代わりに落ちていった
マリーの孤独は普遍的で僕たちの共通項
身代わり この世界は 誰かが身代わりさ
(身代わりマリー/特撮)

爆誕というアルバムは特撮のファーストアルバムですが、
アルバムの中に一貫して貫かれてる身代わりな話。
マリーは悪くなくて誰かの身代わりで大変な不幸を背負い死ぬ。
マリーが死んだらやっぱり誰かが身代わりで不幸に落ちていく。
非常によいアルバムです。大好き。
アルバム通じて何度か出てくる、
I WANNA BE YOUR DOG
I WANNA BE YOUR GOD
っていうフレーズもとても好きです。
これは私の願望そのものだなぁ。と、若いころに聞いて思ったのでした。
SとかMとかの話が私たちはとても好きですが、(好きだろうみんな)
SとかMとかに必要以上に傾いてる人たちって子供時代に関係があると思う。
私はSでもMでもなく、というかそういう経験は一切ないですが。
ただちょっと、「この世界に入ったら私は行くとこまで行ってしまう」って思ったことはあります。
ものすごく怖かったので慌てて蓋をしました(ノ´∀`*)
異常に強く結びつきたい人たちなんじゃないかなと思います。
その、異常に強く結びつきたい願望は、私の中にも確かにあるのでわかる。
それは、なんかもう一つの丸になってしまいたい欲求。
自分の中のどう頑張っても欠けてしまっている部分を、ピッタリと埋め合わせてしまいたい欲求。
一人で完全な丸になっているような、欠けているもののないような人はいない。
みんなそれぞれ、どっかしらが欠けているものだと思います。
ただ、その欠けっぷりが大きい人ほど、その欠落部分を埋めたくなるんじゃないかなぁ。
私は自他共に認めるダメンズ好きですが、同時に幸せになりたいとも思っている。
望まない形で深く人と付き合うことはしたくないわけです。
だから、ダメンズ好きは卒業するんだ!って躍起になっていた時代もありました。
っていうかそれつい最近だ。ここ数年の話だ。
そういうふうに躍起になってみて気づいたこと。
人はそうそう変わらないってこと。
私のファザコンの根本のところは治らないってこと。
そしてそれはそんなに悲観することでもないかもしれないってこと。
人と人との関わりはすごく個人的な事だから、振れ幅がどれだけあってもいいじゃないかってこと。
私から観たら理解できない関係も、当人同士がそれでハッピーならそれでよいのであって。
ダメンズっていう言葉のダメの基準がどこなのか、それは人によって違うよねー。っていうこと。
私はずっとお友達を欲してきて、そのお友達欲はもう2年越しの欲なのです。
この欲の正体をきっちり見極められるような気がしてきている。
それは、具体的にどういう感じの間柄になりたいのってこと。
私には親友と呼べる人がいます。ひとりだけ。
もう1年以上会ってないけどやっぱり私の中ではその人が今のところの一番。
彼女はあんまり否定しない。大体肯定してくれる。
その、とりあえずの肯定が何より自分をつよくしてくれているんだなってよくわかる。
私は彼女に何かを与えられていたのか、実はよくわかっていない。
でも、きっと何かしら与えられていたんだろうなって思うことができる。
「たいこはそのままでいい」って言われ続けたことは、私にとっては実はものすごく大きな力になってる。
会ってなくても言葉を交わしていなくても信じられる間柄っていうのはとっても貴重で素晴らしいものなんです。
しかし、遠くの親戚より近くの他人っていう言葉もある。
そういうのをすごく欲してる。
私には今自分を筆頭にした家族がいるわけです。私世帯主。
だからひとりではないのだけれど。
いかんせん私の家族に対して、私は責任がありすぎる。
それでも世の親と呼ばれる人からしたら、私は子供に対してぶっちゃけすぎているきらいもある。
そして私の家族はまだまだちょっと未熟なのである。
私の思っていることや感じていることを、彼らに話しても彼らにはきっとピンとこないのだ。
彼らは、多分困っちゃうんだ。当たり前だ。まだ小学生だし中学生なのだから。
ちなみに私は親から絶大な信頼を寄せられすぎて、自分が甘えるより親が自分に甘えかかった
という子供時代を過ごしています。
お友達感覚で子どもと接している、と豪語する母でしたが、ラインの引き方をちょっと間違えてたと思う。
悪気はないし、愛してもくれているのです。
ただその伝え方と接し方に問題があっただけ。
お友達として接するならば、お友達なりの礼儀は必要だと思う。
相手の年齢や経験値を加味して、背負わせてもいいものと悪いものの区別はつけようよ。ママン。
そんなわけで、とてもじゃないが私の家族には背負わせられないような物事を軽く受け流してくれるような、
また、その物事を軽々と持ち上げてくれるような、笑い飛ばせるような、そういう人を求めているのです。
話を聞いているようで聞いていない、聞いてくれない。
親は好きだ。でも、私の欠けている部分については理解してくれない。
しようとしないんじゃない、できないんだと思う。
自分は自分のためにしか生きてなくて、相手も相手自身の事でいっぱいいっぱいで、
だからこそ、自分が楽しいな、嬉しいなと思った瞬間に相手も同じように感じるってすごく嬉しいこと。
さらに何かのたすけになるならば、こんなに幸せなことってないよね。
無理せずにお互いのエネルギーがやり取りできる。そんな感じに憧れ続けています。


昨日のブログは半分寝ながら書きました。
我ながら書いてある事が素すぎていたたまれないです。恐るべし睡魔。
明日は運動会なのです。お肉とかを仕込んで余裕かましてブログ書いてたらこんな時間。
運動会のあとで楽しみにしていた一人芝居も観に行くのです。子連れで。
はぁ。なんだってこう大きなイベントが重なっちゃったんでしょう。
うだうだ書いてないでとっとと寝ろって話ですよね。
えぇえぇ。寝ますとも。

僕らの 身代わりマリーのお次は誰だ? 誰かが代わりに落ちていくよ はコメントを受け付けていません
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